<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

蜜蜂だって飛べるのだから

2017年04月15日 12時59分24秒 | Weblog

夢は願望の表れ。僕は夢の中でエンジェルと化している。翼を広げると体が軽くなって、浮き上がる。垂直に空に上がっている。実験は成功。ふわりふわり。ほんとうなんだと僕は思う。エンジェルになるということは、嘘ではなかったのだ。実現したのだ。僕はいい気持ちになる。快感ホルモンが全身を巡っている。夢の中の軽飛行が繰り替え荒れる。

蜜蜂だって飛べるのだから、飛べるはずだ。スマートフォンを発明してそれからまもなくすると地球上の大方の地球人がスマートフォンを手にしたのだ。夢には終わらなかったのだ。思ったことはすべからくやがて実現可能になるのだ。翼は必ず人間の背中にも生えて来る。

 

 

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人に自慢することはしない できない

2017年04月15日 12時48分11秒 | Weblog

日が射し込んだり隠れたりしてる。風が少しある。それで暑くはない。庭には姫林檎が咲いている。愛らしい。

桜の木下に駐車している僕の車が桜の花片で埋まってしまったので、300円を出して洗車をしてきた。ボックス型なので広い屋根の部分は、張り付いた花片が張り付いてしまっていて、きれいになっていないようだ。山桜系統なのでそろそろ葉が出て来た。木の葉を食べようとイラ虫が集まってくる。そして今度は糞を撒き散らす。これが地上を赤黒く染めてしまう。もちろん、糞が僕の愛車をも汚してしまう。その度に僕は洗車をしに行かねばならなくなる。難儀なことだ。

苗物屋さんから新しくトマト苗5株、ピーマン4株、茄子2株を買ってきている。これからこれを畑に受け付ける作業をする。これくらいで一日が過ぎていく。華やかなことは何もしない。人に自慢をすることは何もしない。できない。日長、ひたすら長閑だ。

 

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こころは老いるということがない

2017年04月15日 05時52分43秒 | Weblog

明け方の6時現在。障子戸の向こうに雨の音がしている。予報通りだ。しとしとという雨の音がしている。山里は静かだ。

あの人は目を覚ましているだろうか。あの人のところにも雨の音がしているかもしれない。あの人は、会いたい人のことを思っている。会えない人のことを思っている。

それでもやさしい気持ちになって目を覚ましている。

僕は架空の人をこしらえてものを思う。優しく美しい人を紙人形に折り畳んで、美しい着物を着せる。紙人形の胸はまだふくらんでもいない。

こうしていると僕はまだ7才でしかない。こころは老いるということがない。

明け方の6時を少し過ぎた。障子戸の向こうが明るくなった。雨脚がひどくなったようだ。

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これから我が世を咲いて迎えようとしているものがいる

2017年04月15日 05時44分46秒 | Weblog

エビネ蘭が咲き出そうとしている。林の中に。立ち止まって、しゃがみ込む。これから我が世を咲いて迎えようとしているものが、いる。その門出を見ている。神さまになって見ている。薄い鴬色だ。いまにも柔らかい顎を破ろうとしている。

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もういい もういいよ もう沢山だよ

2017年04月15日 05時08分44秒 | Weblog

もういい。もういいよ。もう沢山だよ。思い出したくもない。

僕の捨て台詞である。一人でぶつぶつぶつぶつ泡を吹いている。蟹の穴を出たり入ったりしながら。そして最後にこう締めくくる。

人生は終わったんだよ。

すべては過ぎ去ったことなんだよ。良いも悪いもなかったんだ。

べっとりくっついている毀と誉と褒と貶のペンキ。そんな色なんかついてはいなかったんだ。そのときには着色されていたけれど、過ぎてしまえば、みんな無色透明。無評価だったんだ。

そこにないものを有るとして来たけれど、それに拘って来たけれど、色付けに苦心をしたけれど、もういい。もういいよ。もう沢山だよ。

船は港を出て行こうとしている。この世の桟橋を渡り終えた者の目に映っているのは、赤い空と白い夕月である。

手にしたものはない。あの世に携えていくものはない。何にもない。有ると思って精々、精魂を傾けて来たけれど、何もなかった。

これでよかったのである。

失って行くだけである。見失って行くだけである。これには訳がある。新しい目で見る時が来ようとしているからである。

新しい目が与えられて行くだろう。然り。新しい目が与えられて行くだろう。

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