<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

貴婦人の安らかな落ち着いた寝顔

2017年04月23日 22時03分28秒 | Weblog

庭のキンモクセイの大木の下陰に、牡丹の花が大輪で咲いている。月のように明るく、雪のように白い。それが静謐なたたずまいを見せている。花の持つふっくらした気品に圧倒される。日が落ちた夕方には、うすい影の中で、この貴婦人はゆるやかに瞳を閉じた。人間の貴婦人よりももっと安らかな落ち着いた寝顔である。一日を咲き通した後の充足した寝顔である。

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寒くて震えたり暑くて汗を掻いたりしている

2017年04月23日 21時53分20秒 | Weblog

一日の寒暖の差が大きい。寒くて震えたり暑くて汗を掻いたりしている。昼間の下着を半袖に替えたかと思うと夕方にはま長袖が必要になる。上着もしかり。衣替えが定着しない。夜寝るときの布団もそうである。厚いのを押し入れになおしてしまったのに、朝方にはまた引き出して来て重ねている。体温調節が難しいので、風邪を引きやすい。ここしばらくはご用心ご用心。

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これに背いていることはない 何一つ

2017年04月23日 21時35分22秒 | Weblog

宇宙に意思がある。これをわれわれは最高神とも、毘盧遮那仏とも、ダンマとも呼んでいる。宇宙の意思は完全であり完璧である。宇宙は現在で完了をしている。完了を重ねながら無限完了に向かっている。われわれもまたこの宇宙の一形態である。だから、宇宙は三人称ではなく一人称である。一人称単数であって同時に一人称複数である。宇宙が完全で完璧であるのだから、わたしたちやわたしがそれに反しているわけはない。これに背いているわけはない。これに違っていることなどないのである。そうは見えていないだろうが、現在も未来も完全で完璧である。ここを通ってそこへ行くのである。その全体でもって完全で完璧である。心配は要らない。

これはさぶろうの信である。さぶろうが賜った信である。一生掛かって行き着いた信である。

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一度の死でもって死を乗り越えて行く

2017年04月23日 21時25分48秒 | Weblog

たった一度の死でもって死を乗り越えて行くのである。二度はない。われわれのいのちといのちの智恵はまことに崇高で偉大である。終わりを消して不安を消して行くのである。次の舞台へ明るく明るく展開して行くのである。

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今日は久しぶりでお昼寝をした

2017年04月23日 20時38分09秒 | Weblog

今日はお昼寝をした。日の射し込むお縁側の絨毯の上で。ごろんとなって。後で家内に毛布を掛けてもらった。風を引かないように。お昼寝は久しぶりだった。すかっとした。立ち上がって外に出た。また午前中の続きの野良仕事を始めた。日暮れまでずっとこれをやっていた。ジャガ芋の土寄せだとか、九条葱の土盛りだとか、西瓜の虫除け対策だとか、白茄子の苗の植え付けだとか、ドクダミを抜いて回るだとか、丸莢オクラの植え付けだとか、牛糞の施肥だとか、発芽を促すための水撒きだとか。そこで気づいたことをあれこれあれこれ。ぶらりぶらり。そうしているうちに日が翳っていた。寒くなって、お昼前に木の枝に掛けておいたジャンパーを、また羽織った。

 

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ホトトギスの寝小便の唱歌

2017年04月23日 01時39分52秒 | Weblog

♪♪ 卯の花の匂う垣根に、ホトトギスはやも来鳴きて、忍び音洩らす夏は来ぬ ♪♪

人様のブログを読ませて頂いたら、文部省唱歌「夏は来ぬ」の歌詞を見つけた。卯の花の写真とともに。その白い無数の小さな花の写真に、曰く言い難い不思議なこころの高まりを覚えた。どうしてだったんだろう。人の胸を打つのだから、当然それは撮った写真家の、凄腕のしからしむところに違いない。

そうか、もう卯の花が咲き出しているのか。我が家にも垣根に咲いていたことがあった。いつの間にか枯れて消えた。季節が夏を見通すころになると、山間(やまあい)の森の下陰あたりにぽっかり灯りを灯している卯の花ウツギが目にとまる。右に左に咲いていて思わず目を遣ってしまう。山全体が季節を白く染めて、ひどく新鮮である。ホトトギスはまだ耳にしていない。もうすぐだろう。

ところで、小さい頃、幼い耳は、ホトトギスの「音洩らす」をホトトギスの「寝洩らす」と聞いていた。ホトトギスが夜尿をした歌だと。その時期、夜ごとの己が寝小便に悩んでいたのかもしれない。勘違いはその後も長く続いたから、おつむの程度が知れる。

「忍び音」とは、いったいホトトギスのどんな鳴き方なのだろう。時まだ浅く忍び足でやって来て、慎ましげに鳴いている、というのだろうか。それとも恋心を秘めて密やかに鳴き交わしているというのだろうか。「洩らす」とは抑えていてもついつい出てしまうということなのだろうか。だったら夜尿に似通うところがある。

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