<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

捨てられるところだったのに

2017年04月16日 20時49分23秒 | Weblog

今晩の食事はケチャップ味のチキンライスだった。この中にマッシュルームが入っていた。これがおいしかった。それと我が家のキャベツ(丸く巻かないキャベツ)の微塵切りが加えてあった。もう青臭くはなかった。堅くもなかった。これでぴったりこんのレシピができた。これだったらどれだけでも食べられる。しめしめ。捨てられるところを捨てられないですんだようだ。まだ畑にふんだんにある。

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仏と仏の菩提は生涯を通してわたしに近づいている

2017年04月16日 20時21分52秒 | Weblog

至極の大乗思議すべからず。見聞触知皆菩提に近づく。     日蓮宗「開経偈」より

凡俗のわたしには仏教の至極を極めた大乗経典(妙法蓮華経)は思議したところで思議の矢が的を射ることは難しいが、それはそれでよし。日常の暮らしの中に菩提、すなわち仏の教え、仏の智慧、仏の覚りが巡回している。よって、見るものの中にも菩提の姿、聞くものの中にも菩提の音、触れるものの中にも菩提の衣擦れ。知覚するものの中にも菩提の妙。こうしてわたしの具体的実践の生活が、仏陀の菩提によってさまざまに吸引されて行く。  (独り合点屋さぶろうの意訳 自分に言い聞かせるための我田引水訳)

わたしの方から近づくことが出来なくとも、仏と仏の菩提はわたしに近づいている。となれば、焦ることはあるまい。凡俗凡庸のわたしでも、焦ることはあるまい。畑を耕して畑に種を蒔いて、畑に愛情を掛けて畑の収穫をいただく。いつもやっていることではないか。

・・・などと曲解をしてみた。まことにまことに楽天的な老爺である。

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こんなことですっかりもっかり楽しい

2017年04月16日 20時02分40秒 | Weblog

落花生の種蒔きをした。小さなポットに培養土を満たしここに種を植え込む。そしてまた少しばかり土を被せる。たっぷりたっぷり水を撒く。ポットが20個揃って平面の一籠に列べて外の畑に置く。数夜、星の雫を掛けてやり、星々の国々の輝きを見せてやる。すると、にょきにょきと発芽してくる。此処で始めて畑に移植をする。土作りを済ませた畑に。すべて一人遊び。無言のこつこつこつこつ。ああ、このこつこつが楽しい楽しい。老爺はこんなことですっかりもっかり楽しい。

 

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今回の今生で是を聞くところまで来ている

2017年04月16日 17時28分15秒 | Weblog

「この功徳 この利益(りやく)は計り知れない」シリーズ5回を読んで下さってお礼を申し上げます。癖の強い、灰汁の強い、臍曲がりのさぶろうの信ですので、聞きづらかったことでしょう。さぶろうの求道願心などは実にあやふやなものです。小石の石ころのようなものです。重たくありません。蹴飛ばしてくださって結構です。

妙法蓮華経観世音菩薩普門品を直接聞いた菩薩たち、修行者たちの心境はどんなものだったのだろうと思います。読む度にそう思います。

でもさぶろうも遅れてではありますがここへ来ています。この教えを聞いています。今回の今生でこれを聞くところまで辿り着いています。

「普門」とは門を開放してあるので誰でも入って来ることが出来るという意味です。普は普遍ということです。来る者を拒まずということです。だから、さぶろうだって寄りついて、にじり寄って、ともかく来ているのです。

「品」はチャプターということです。お釈迦様はたくさんのご説法をされました。その内の1章ということです。だからこの観世音菩薩普門品(略して観音経)だけしか読まないのではありません。仏陀の説法にはどれにも耳を傾けます。貞節がないと言われるかも知れませんね。

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この功徳 この利益は計り知れない その5

2017年04月16日 17時26分30秒 | Weblog

6)

功徳不少。仏陀の説法を聞いた者が得るものは大きい。持地菩薩はそう言っている。さぶろうもそれを疑わない。真理とは無縁の界隈に住んでいるさぶろうだがそれを求める心が起きてくる。ここへ来る度に、仏陀の指し示される方へ歩み寄っていこうとする決心が呼び起こされてくる。

7)

「無等等」とは「仏陀と等しい」ということである。偽者紛い物ではなくて、仏陀が求められて得た覚りそのものを与えられるというのである。さぶろうのこの体得がいつになるかは分からないが、この功徳は計り知れない。

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この功徳 この利益は計り知れない その4

2017年04月16日 17時24分23秒 | Weblog

4)

彼らは仏陀の言葉を聞いたのである。直接聞いたのである。感極まっているはずである。説法の場所はインドの霊鷲山の山頂である。ここは岩山で鷲の形にそっくりの大きな岩がある。山頂はやや平べったい。ここに天上からも地下からも84000人の聴衆が集まったのである。人間だけではもちろんない。真理を求めるあらゆる段階の修行者が集まって来たのである。

5)

さぶろうも此処へ旅をした。50歳の時である。明け方早く上り始めて、暁の山頂に立った。山頂には精舎の礎が残っていた。法門を次ぐ僧の姿があった。燈火がゆらゆら揺らいでいた。上座部仏教との人たちがその国々の言葉で経典を読み始めた。さぶろうも日本語の経典を朗誦した。そこに仏陀を感じて震え立った。

 

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此の功徳 この利益は計り知れない その3

2017年04月16日 17時22分00秒 | Weblog

3)

さぶろうはよくここへ来たがる。此処とは観世音菩薩普門品というご説法の最後の行(くだり)である。締め括りの感謝の言葉のところである。そして感謝の持地菩薩になりたがる。この最後の舞台をイメージしたがる。それをするだけでうっとりしたがる。

 

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この功徳 この利益は計り知れない その2

2017年04月16日 17時19分23秒 | Weblog

2)

仏陀のご説法が終わったその時に、多くの菩薩や聴衆を代表して持地菩薩が座から立ち上がって前に進み出、仏陀世尊にこのようにお礼の言葉を申し上げた。「世にも尊きお方よ、今日この観世音菩薩の経典をわたしたちにお説きくださいました。命を持つありとあらゆるものがこれを聞きました。彼らは皆、観世音菩薩の自由自在の力とその働き、そしてあらゆる場所に出現して人々を救済する不思議な神力のことを聞いて理解したのですから、必ずや彼らが得た功徳は計り知れないものがありましょう。これを感謝申し上げます」と。仏陀釈尊がこのすべての人を救済する法門をお説きになられましたので、聞いていた8万4千人の聴衆はみな仏陀と等しい無上正等正覚を求めようとする誓いの心を起こしたのであった。  (さぶろうの訳だから正当性はない)

 

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この功徳 この利益は計り知れない その1

2017年04月16日 15時20分49秒 | Weblog

1)

爾(そ)の時、持地(じじ)菩薩は、即ち座より起ち、前(すす)み(出て)仏に白(もう)して言(もうさ)く、「世尊よ、若し衆生ありて、是の観世音菩薩品の自在之業・普門示現の神通力を聞かん者は、当(まさ)に知るべし、是の人(ら)の功徳は少なからず」仏、是の普門品を説きたまふ時に、衆中の八万四千の衆生は皆、無等等のアノクタラサンミャクサンボダイの心を発(おこ)しき」 

妙法蓮華経「観世音菩薩普門品第28」より

アノクタラサンミャクサンボダイ;仏(釈迦如来)の覚られた無上正等正覚を指す。

 

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外気温27度 いきなり夏日だ

2017年04月16日 15時01分53秒 | Weblog

外気温27度c。暑い。いきなり夏日だ。室内でも26度ある。徐福サイクリングロードを南佐賀から諸富昇開橋までサイクリング往復。桜並木には下影があり、風も吹いていたのに、戻って来たら汗びっしょり。半袖の下着も、頭に巻き付けたほっかぶりのタオルも汗に濡れていた。まあ、かなりスピードを上げて走ったのだけれど。すぐに逆上せるから、大腿骨の筋肉が引き攣ってしまったみたい。途中でお弁当を食べた。ミニ冷やし中華と昆布のおにぎり一箇。ちょうど休憩できる小さな公園で、そこに椅子とテーブルも揃えてあった。傍には水量のある小川が流れていたっけ。自宅に帰り着いて、風呂場に駆け込んでシャワーを浴びた。全身にまとわりついた汗を石鹸で洗い流した。しばらく休憩だ。お天気がいいので家の中に潜んでいるのはもったいないのだけど。老爺には休息が必要である。夕暮れが来て、少し条件が緩和されれば外に出て、日没まで軽い農作業をしよう。

サイクリングロードのかたわらにドウダンツツジが咲いて真っ白な鈴を垂らしていた。アイリスも見かけた。桜並木は散ってしまって大地が花片に埋め尽くされていた。1個100円のアイスクリーム「白熊」を橋の駅「ドロンパ」に入って行って探したけど見つからなかった。夏日になるとこれがおいしいんだよねえ。

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