<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

簡単ランチ

2015年03月06日 13時00分51秒 | Weblog

腹が減った。13時。日清のチキンラーメンにお湯をぶっかけてお昼にしよう。3分でできあがる。さぶろうのランチは簡単だ。

奈良に居る従兄弟から電話があった。3月末に小学6年生の孫を連れて里帰りをするから会おうという。会うことにした。彼とは同い年だ。小さい頃によく遊んだ。パソコンメールで行程表も送られてきた。ふう。あちこちへ飛んで回って、楽しそうだ。

 

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仏たちの座す道場に、我も座して

2015年03月06日 12時05分32秒 | Weblog

諸仏座道場 所得秘要法 能持是経者 不久亦当得    妙法蓮華経如来神力品より

しょぶつざどうじょう しょとくひようほう のうじぜきょうしゃ ふきゅうやくとうとく

諸仏の道場に座して得たるところの秘要の法を 能(よ)く是の経を持(たも)つ者は 久しからずして亦当に得(う)べし

「是の経」とはお釈迦様の説かれている是の妙法蓮華経である。この経を受持する行者は、道場に長く座して得たまひし諸仏秘密枢要の悟りとその教えをも、やがては引き継ぐことができるだろう。諸仏とあるからバラエテイに富んでいるはずである。それを現代風に言えば「みんなあなたにあげます」と言って、仏陀(ここでは釈迦如来)がさぶろうを祝福をしているのだ。嬉しいじゃないか。法は無量の法門であるから、窮尽(ぐうじん)することもできまいが。

さぶろうは今日はここを味わうことにした。ていたらくの、みすぼらしいさぶろうであるから、諸仏の説くところを味わうなんて、眩しくって高温すぎて凄まじすぎて、到底できないかもしれないが。

どうしたことか、今日のさぶろうは「諸仏坐道場」ここに強く引かれるのである。諸仏が座しておられる道場とは何処か。さぶろうはその場をさぶろうの居る場所だとしたからである。諸仏が仏と成られた場所こそは道場である。悟りの道場である。それは衆生の苦悩するこの娑婆世界でしかありえない。安楽安養の場ではないはずだ。諸仏は苦悩する衆生を離れて存在することはできないからだ。衆生もまたここ道場以外に居ることはできない。ここは人間修養修行の道場である。魂の学ぶ根本道場である。仏教では、仏は釈迦牟尼世尊のお一人ではない。ガンジス川の砂の数ほどの仏がおられるのである。あろうことか、この諸仏の仲間入りをやがてかならずさぶろうも果たしていくのである。だからここは、この場所は、仏に満ちあふれている場でもあるのだ。

嘗て長く長く諸仏はさぶろうの居る道場にお座りになっておられました。そして今もすぐ傍に座しておられまして是の経をさぶろうに読ませておられます。ここは諸仏の、そしてさぶろうの、永遠に展開する道場であります。仏たちはいろいろの姿に身を変えながら秘密の法をそれこそおおっぴらに説いて聞かせておられます。この道場には今日三月、紅梅白梅が咲いて、此処で過分の待遇を受けているさぶろうを褒めて賛美して、祝福しております。

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ふむらむにゅむら

2015年03月06日 10時15分34秒 | Weblog

三月が声を放っています

最初に聞いたときには

ふむらむにゅむらとだけ聞こえて来ます

もっと耳を傾けてこれを聞きます

すると

ふむらむにゅむらの声の糸巻き玉がほぐれてきます

どんどんふくらんできます

その柔らかなことはまるで乳白色のシャボンの泡のようです

そしてこの泡に呑み込まれてしまいます

それから空を呑み込み山を呑み込み海を呑み込みます

制止のサインを送らないとどこまで膨張するのかわかりません

ふむらむにゅむら

これを呪文にします

するとそこへやっと

紅梅白梅や桃の花、菜の花やレンゲソウたちが顔を見せます

三月の声はやさしい女の人のような匂いがします

ささやかれた三月はみんな嬉しいのです

こころを持つもののこころが

縦も横も上辺も底辺も弾んでくるのです

もうおし黙ってなんかいられないのです

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三月の空に捧げる声の朗読

2015年03月06日 09時25分48秒 | Weblog

ぼそりぼそり彼は朗読をします。林の中に空間が空いているところがあります。そこから円い空が覗いています。彼の朗読の声はここから空へ上がって行きます。声帯の振動数を528hz(ヘルツ)の半分の264hzにするといい気持ちになります。ときどき風が来て彼の声をストローで呑んでしまいます。風も彼の声を欲しがるのです。もちろん小鳥たちも彼の朗読を愛しています。周囲に集まって来てそれぞれが心地よくしているのが分かります。朗読するのは唐詩選の詩だったり、妙法蓮華経妙音菩薩品だったり、古事記だったり、エマソンの自然論だったりします。なんでもいいのです。三月の空を賛美する即興詩だっていいのです。声は捧げるものです。人間の声は、彼に言わせると、ただただ捧げるために発声するもののようです。心地よくが原則です。発声者がここちよくしているので、それが宇宙空間を伝わっていく間に増幅されて、聞声者の耳に届く頃にはその愉快さが最初の100の10乗くらいになっています。聞くのは彼をこよなく愛して止まない高次元の存在たちです。彼の喉の声帯1を取り巻いているのはほとんど無限数の耳たちです。みんなエネルギー体、生命体です。えええっ、そんなにもたくさんのファンがいたのかとびっくりするほどです。しかも、彼らが一斉に快感ホルモンのエンドロフィンを放ちますので、銀河は独特の乳白色になってしまいます。発声は難しくはありません。彼が心地よくしているとその振動数を吸いこんだ声がこれに合わせてくれるのです。

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職業は宇宙のゆたかさ証明業

2015年03月06日 09時18分00秒 | Weblog

 「南天」

宇宙は全部がゆたかです
ゆたかさは
しかしそれにもまして
とどまることなく
どんどんひろがっています
どんどんたかまっています
それゆえ南天たちは
息をするだけでゆたかです
宇宙のゆたかさをこうして
我が身で証明してみせます
だから彼らの職業は
宇宙のゆたかさ証明屋業です
自分では
なんにもしなくても大丈夫
ここちよく光を浴びていれば
全身の緑はいつも鮮やかだし
赤い結実は小鳥を集めます
彼らが自分の立つ位置を
たのしめばたのしむほど
宇宙が更にゆたかになります
両者は息が合っています
大峰山南斜面渓谷沿いの
南天たちの一生は
一つの法則に貫かれていて
とてもとてもシンプルです

久しぶりで詩を書きました。新聞の文化欄に投稿をしていたら入選をしていました。嬉しいです。

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留守にしていました

2015年03月06日 08時53分37秒 | Weblog

留守にしていました。用事ができたので舞い戻ってきました。

さぶろうはひとりぶらりぶらりが好きなようです。人といっしょだと気遣いをして(それが面倒臭いので半分以上省略をしているけれど)、でもやっぱり気を遣っていて、別れた後へとへとになります。で、我が儘ができるようにひとりぶらぶらをします。二人だと行き先を決めねばなりませんし、決めようとしてもそれぞれが思惑があって容易に決まりません。いらいらをしますが、いらいらを表に出さぬようにします。でも、結局愉快の快晴になれずに雨降りになってしまいます。要するにさぶろうは気まぐれの我が儘男なのであります。好きにさせておくとにやにやでれでれしています。その代わり淋しさを忍耐しなければなりません。相手を立てていさえすれば問題は起こらないのですが、彼は協調性ゼロ男です。長く生きているのにまったく人間的成長をしていません。いつまでたっても風に揺れる枯れ葦原のようにふうらりふらりです。

今日は伸びをしてきた空豆畑の草取りをするつもりです。そしてそのあとへ細かくした鶏糞の施肥をしてあげねばなりません。臭くない鶏糞と表示してありますがそれでもやっぱり臭います。これはしかし一人作業だから1時間でも2時間でも、続けて3時間でもできます。コツコツするのは苦手としません。

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