<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

もう夕暮れ

2015年03月24日 18時02分42秒 | Weblog

ただいまあ。遠くの友人を我が家に迎えて、それから外食をして、彼の親戚の家2軒をまわりました。ぶるぶるるるっ。寒いっ。風も出てきたぞ。これじゃ、今更外に出ての農作業はできないな。うん。窓を閉じて炬燵をオンにして、籠もるとするか。小学生の孫を連れて来た友人が張り切って見えた。サッカーをしている少年も誠実な顔をしていた。

当たり前のことだけど、外に出ると、人間がたくさんだなあ。ぞろぞろと行き来をしてるなあ。みんなそれぞれちゃんとした用事があるからそうしているんだよね。用事を持っているっていうのは目的があってそうしているってこと。生き生きしていて刺激的だった。用事のないさぶろうなどは、なんだか避けて通らなくちゃならないように思った。

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褒めて褒めて褒められる

2015年03月24日 10時08分43秒 | Weblog

一切善悪凡夫人 聞信如来弘誓願 仏言広大勝解者 是人名分陀利華    「正信念仏偈」より

イッサイゼンマクボンプーニン モシンニョライグゼイガン ブツゴンコウダイショウゲシャ ゼニンミョウプンダーリーケー

一切の善悪(人)・凡夫の人 如来の弘誓の願を聞いて信ずれば、(それだけで)仏は(是の人を)広大な勝解の人と言(のたま)ひて分陀利華と名づけたまふなり。

<一切善悪凡夫人>は、<善を為し悪を為しながら平凡な暮らしをしているあらゆる人>つまり、さぶろうのことだろう。

分陀利華(プンダーリーケー)は白蓮華のことである。<広大の勝解の人>とは仏と等しい大きな智慧の持ち主ということか。仏さまが褒めて褒めておられる。最上級の賛辞で以て、凡夫のわれらを、褒めそやして、おだてられる。そうやって如来の弘誓の願いを聞いてくれよ、聞いてくれよ、信じてくれよと言って招き寄せられる。蓮の華の根元は汚れたままの泥水泥土であるが、地上部は茎も葉も花も、これに染まることなく清浄であるゆえに、白蓮華は仏教のシンボルとなっている花である。

阿弥陀如来が建てた万人に対する誓いと願いとは、ずばり、さぶろうを守るという誓いと願いである。迷ったりさせぬぞ、心細い思いはさせぬぞ、どこまでもいっしょにいて導いて行くぞ、必ず救い取るぞ、阿弥陀の国に生まれさせるぞ、ついには仏陀としての活躍を保証するぞ、という誓願である。だから、我が名を呼べ我が名を呼べと頼まれる。呼べばそれが二人の会話になる。信頼になる。二人の絆になる。安心になる。

さぶろうはただこの阿弥陀の誓願を聞くだけ、信(まか)せるだけでいいのである。実行は阿弥陀さんがする。実にうまい話である。うまい話に欺されるなと思ってしまうので、「じゃ、お願いします」と下駄を揃えて預けるわけには行かない。それで親のない子のようにさまようばかりで、われわれはなかなか安心ができないのだ。

今朝は、仏さまが(さぶろうを)賞めて褒めて褒められるところを取り上げてみました。阿弥陀如来の名を呼ぶだけで、「さぶろうは白い蓮の華のように清らかだな」と言って褒められるのだ。仏さまからですよ。嬉しいよね~。ともかく経典を読めば嬉しいことだらけだ。

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パソコン操作がうまくいかない

2015年03月24日 09時41分02秒 | Weblog

パソコン操作がうまくいかない。困った困った。すぐにフリーズしてしまう。暫く待っても駄目。こりゃ、不便だ。電気屋さんに行って見てもらって、ウイルスらしきものを排除してもらったのだけど。またお願いに行かなくちゃならない。老人はメカに弱い。お店の人のようにどんどん動かせたらいいだろうなあ。

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これならどうだろう?

2015年03月24日 08時23分33秒 | Weblog

のどかだなあ。田舎暮らしはいいなあ。春の空を見上げながら、終日のんびりしていられるなんていいなあ。

功成り名遂げた方がよかったんだけど、これはまるっきり叶わなかった。それと引き替えに、さぶろうは(鼻毛が伸びたようにだらしなくだけど)長閑にしている。庭先の日溜まりに椅子を置いてそこでひとり春風に吹かれている。折しも赤白の八重椿が満開。足下にホトケノザの紫とヒヨコグサの純白。嬉しくなってついつい小さくきゃあきゃあ言ってほめいているさぶろう。

自慢の夫じゃなかったなあと思う。おばちゃん女子会に参加したときにそれぞれ伴侶の自慢話になった場合、わが家内殿は小さくなっているしかないだろうなあ。この頃、日本国からご褒美の叙勲(?)を受けられた方(元の職場の方)の祝賀会に家内は参加してきたようだった。さぶろうにはまるで縁がない世界の出来事だった。出席者の大半はやっぱり功成り名遂げたお偉いさん方のようだった。(これを聞いて、功成り名遂げた人のことが頭に残っていて、さぶろうを攪乱しています)

死んだおっとうやおっかあにも自慢の息子を自慢にさせてあげられなかった。これも申し訳がなかったなあ。死んだ先のあの世の社交界でも、それぞれ我が子の自慢話をすることがあるかもしれないが、そんな場合、おっとうやおっかあは小さくなって俯いているのかなあ。<あなたの息子は終日庭の草取りをして老い先を暮らしています>なんて報告してもよろこんではもらえないだろう。

でも、これは自慢になりそうだ。昨日、花を着けたサンシュウの木の下で、下を向いて草取りをしているとジョウビタキ(紋付き鳥)が近くの枝に来てヒッヒッヒと鳴くんだよね、で見上げると彼は頭を盛んに上下に動かして親愛の情を示してきた。さぶろうは、「やあ、こんにちは。遊びに来たんだね。こんなに近くまで来てくれるんだから、きみは僕の友人だよ」と告げたら彼は嬉しそうだった。さぶろうは小鳥の友人である、これならどうだろう。山に帰ったジョウビタキが仲間に自慢をしているかもしれない。「ボク ニハ ニンゲン ノ トモダチ ガ イル ヨ。ハナシ ガ デキル ヨ」って。

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今日はお客さんを迎えます

2015年03月24日 08時04分18秒 | Weblog

おはようございます。寒気団が南下しているもよう。せっかく開花した桜の花に花冷えがしています。

昨日は夕方に、庭のアイリスがあまりにも繁殖・増殖していましたので、一部を掘り上げて移植を企てました。通りがかりの散歩の人(近隣の方)にも10株ほど差し上げました。お昼頃には畑の小葱と葉大根をどっさり掘り上げて、食べて下さる近所の方の処へ運んで行きました。よろこばれました。

茄子とトマトの種蒔きもしました、小さなポットに3粒ずつ。ズッキーニが昨年は大成功大収穫でしたので、今年も植え付けたいと思います。種蒔きからしてみたいと思います。まだしていません。

今日はお昼頃に奈良からお客さん(同年齢)が見えます。近くの高速バス停までお迎えに行きます。小学校6年生のお孫さんもいっしょです。まずは枝垂れ桜の名所になっている黄檗宗のお寺さんへお連れしたいと思います。それからバイキング料理の店にランチをしに行こうと考えています。彼のご先祖さまのお墓参りを済ませてから、夕方彼の親戚(ここでお泊まり)のところまで送り届けます。

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