さぶろう。
はい。
なんでお前はここでブログを書くのか? 毎度毎度、中身の詰まっていない、ろくでもないブログじゃないか。
はい。
そんなことは書いたって書かなくったってどっちでもいいことないんじゃないか。
はい。
じゃ、どうして書くんだ?
わたしが何処に居るのか知りたいためです。此処が何処で、此処で何をしているか。それはなんのためなのか。手掛かりが欲しいのです。見つけていないものを見つけられそうな気がするのです。これが見付かれば安心をします。安心をしてろくでなしをしていられるからです。百年後千年後万年後のマイセルフと百年前千年前万年前のマイセルフが代わる代わる天空からわたしに「お前はそこで何をしているのだ」と質問をしてくるので、これに答えを返さねばなりません。
ふむ。それは虚妄だな、さぶろう。妄想をすることなかれ。徒労だ。
はい。
今日、紅梅白梅が咲いてさぶろうの元へ陽春の光が差し込んでいる。これでは安心は得られないのか。過去も未来もこの一点に集約されているではないか。これでは不足か。
はい。光に満ちていられます、しばらくは。しかし、合点をしてもすぐに波に崩される砂山のように跡形もなくなるのです。それでまた砂山をこしらえなければならなくなるのです。