<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

波に崩される砂山 わたしのブログ

2015年03月11日 09時50分45秒 | Weblog

さぶろう。

はい。

なんでお前はここでブログを書くのか? 毎度毎度、中身の詰まっていない、ろくでもないブログじゃないか。

はい。

そんなことは書いたって書かなくったってどっちでもいいことないんじゃないか。

はい。

じゃ、どうして書くんだ?

わたしが何処に居るのか知りたいためです。此処が何処で、此処で何をしているか。それはなんのためなのか。手掛かりが欲しいのです。見つけていないものを見つけられそうな気がするのです。これが見付かれば安心をします。安心をしてろくでなしをしていられるからです。百年後千年後万年後のマイセルフと百年前千年前万年前のマイセルフが代わる代わる天空からわたしに「お前はそこで何をしているのだ」と質問をしてくるので、これに答えを返さねばなりません。

ふむ。それは虚妄だな、さぶろう。妄想をすることなかれ。徒労だ。

はい。

今日、紅梅白梅が咲いてさぶろうの元へ陽春の光が差し込んでいる。これでは安心は得られないのか。過去も未来もこの一点に集約されているではないか。これでは不足か。

はい。光に満ちていられます、しばらくは。しかし、合点をしてもすぐに波に崩される砂山のように跡形もなくなるのです。それでまた砂山をこしらえなければならなくなるのです。

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穏やかな沈黙

2015年03月11日 09時19分51秒 | Weblog

昨日は、寒いのに、日が暮れるまで外に居て、鶏糞の施肥をしていた。花壇、庭、畑のあちこちに。でもその前に草取りを終えていなければならない。草取りがすんだところから施肥をして回った。撒いただけでは駄目で、これを土の中に巻き込まねばならない。作業量はたいしたことはなかったのに、鍬(小さい農具)を持つ右手、手首、腕、肩がコリコリになって痛んだ。粒状鶏糞は臭いので、作業が終わってからもしばらくは鼻先から臭いが去らなかった。春野菜、夏野菜の収穫には土作りには欠かせないのである。しかし、土作り、野菜作りのためにではなく、ほんとうは、陽春の兆しの中で山里に押し寄せる時間の波<穏やかな沈黙>に浸っているためだ。さぶろうにとって沈黙は瞑想と同じくらいに貴重だ。

 

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