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仏たちの座す道場に、我も座して

2015年03月06日 12時05分32秒 | Weblog

諸仏座道場 所得秘要法 能持是経者 不久亦当得    妙法蓮華経如来神力品より

しょぶつざどうじょう しょとくひようほう のうじぜきょうしゃ ふきゅうやくとうとく

諸仏の道場に座して得たるところの秘要の法を 能(よ)く是の経を持(たも)つ者は 久しからずして亦当に得(う)べし

「是の経」とはお釈迦様の説かれている是の妙法蓮華経である。この経を受持する行者は、道場に長く座して得たまひし諸仏秘密枢要の悟りとその教えをも、やがては引き継ぐことができるだろう。諸仏とあるからバラエテイに富んでいるはずである。それを現代風に言えば「みんなあなたにあげます」と言って、仏陀(ここでは釈迦如来)がさぶろうを祝福をしているのだ。嬉しいじゃないか。法は無量の法門であるから、窮尽(ぐうじん)することもできまいが。

さぶろうは今日はここを味わうことにした。ていたらくの、みすぼらしいさぶろうであるから、諸仏の説くところを味わうなんて、眩しくって高温すぎて凄まじすぎて、到底できないかもしれないが。

どうしたことか、今日のさぶろうは「諸仏坐道場」ここに強く引かれるのである。諸仏が座しておられる道場とは何処か。さぶろうはその場をさぶろうの居る場所だとしたからである。諸仏が仏と成られた場所こそは道場である。悟りの道場である。それは衆生の苦悩するこの娑婆世界でしかありえない。安楽安養の場ではないはずだ。諸仏は苦悩する衆生を離れて存在することはできないからだ。衆生もまたここ道場以外に居ることはできない。ここは人間修養修行の道場である。魂の学ぶ根本道場である。仏教では、仏は釈迦牟尼世尊のお一人ではない。ガンジス川の砂の数ほどの仏がおられるのである。あろうことか、この諸仏の仲間入りをやがてかならずさぶろうも果たしていくのである。だからここは、この場所は、仏に満ちあふれている場でもあるのだ。

嘗て長く長く諸仏はさぶろうの居る道場にお座りになっておられました。そして今もすぐ傍に座しておられまして是の経をさぶろうに読ませておられます。ここは諸仏の、そしてさぶろうの、永遠に展開する道場であります。仏たちはいろいろの姿に身を変えながら秘密の法をそれこそおおっぴらに説いて聞かせておられます。この道場には今日三月、紅梅白梅が咲いて、此処で過分の待遇を受けているさぶろうを褒めて賛美して、祝福しております。

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