多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

自閉っ子のための道徳入門 秘話

2019-01-22 10:58:54 | 発達凸凹
自閉っ子のための道徳入門の著者の一人として、話を聞かせてほしいと


浅見さんからお話があった頃、私は 家族の介護と自分の通院でスケジュールが


びっしりだった。浅見さんは 私のスケジュールに合わせて、


名古屋まで出向いてくださった。


名古屋駅で待ち合わせをした。私は相貌失認であるが、浅見さんのお顔は


以前会った時に 覚える事ができたので、私の方に向かって歩いてくる姿を見て


「あ、浅見さんだ!」とわかり、それがうれしかった事を覚えている。


「名古屋駅で待ち合わせて、名古屋の会議室で話をする」という約束である。


私は 勝手に「名古屋駅から大きな移動はない」とマイルールを作っていた。


以前 お会いした時に 同じように名古屋駅で待ち合わせ、お話をしたが、


その時の移動は 名古屋駅周辺のほんの狭い範囲だったからである。


「名古屋の会議室」とは「名古屋駅周辺の会議室」だと脳内変換していたので、


浅見さんから「会議室まで どうやって移動しましょうか」と言われて


とたんに混乱である。


前回は 特に予定を定めていなかったが、今回は会議室を時間で予約してある。


その時間に 必要な事を済ませなければ、仕事にならない。


「自閉っ子のための道徳入門」でインタビューを受けている人は、


「自閉っ子の親御さん あるいは 支援者」であり、


「自閉っ子本人」は 私だけである。


浅見さんは さぞかし 「めんどくさいなあ、自閉脳の人は」と思っただろうが、


私にこう語りかけた。


「私は横浜に住んでますが、私が(横浜)と聞いて思い出す地点と、


賢ママ(当時のハンドルネーム。)さんが思い出す地点は 別だと思います。


でも、どっちも(横浜)で間違いないですよね?


これから行く場所が 賢ママさんが思っていた(名古屋)でなくても、


そこも名古屋に間違いないですよ」


確かに。納得した私に 浅見さんは移動手段の説明をして、


「調べたんですけど、一番早くて近いのは地下鉄なんですよ。


大丈夫ですか?」と言ってくれた。名古屋の地下鉄の路線の中でも、


騒音や 車両の違いなど、自閉症の私のこだわりポイントはいくつもあったが、


幸い浅見さんが 提示してくれた方法は、当時感覚過敏がひどかった私でも


移動が可能なものだった。


名古屋駅から 地下鉄を乗り継いで移動し、会議室に着いた。


小さな部屋で、ソファーが二つ。静かな部屋だった。


浅見さんは 飲み物を 何種類か買い、「どれがいいですか」と


私に選ばせてくれた。食事の時には、「シウマイ弁当」をごちそうになった。


私にとっては 初めての「シウマイ弁当」だった。鮮やかな包装紙の色、


括り紐もきれいで、見惚れた事を覚えている。


「これがねえ、ハマっ子のソウルフードなんですよ」と教えてくれた。


行った事のない横浜。いつか行きたいなあ、とその時思った。


その後に 何度も訪れる事になるとは 思っていなかった。


問われるままに 色んな事を 思いつくまま話した。


とりとめのないおしゃべりもしたし、発達凸凹である私自身の話、


発達凸凹の子ども達を育ててきた中でのエピソード、などなど。


時間はあっという間に過ぎ、お別れの時間が来た。


浅見さんはご帰宅のため 名古屋駅へ向かい、


私は その駅から 自宅に戻れるルートの交通機関に乗った。


当時の私が抱えていた多数の持病、感覚過敏、自閉症ゆえのこだわり。


そういった生きづらさをもたらすものから、解放への一歩を踏み出したのが


あの日だったように思う。


あの日、「あー、自閉脳めんどうくさい」と浅見さんは 何度思っただろうか、と


思い出す。まだ「めんどうくさい自閉脳」の私だけれど、あのときよりは


かなり進歩し、治り、生きづらさは解消された。


わが家で一番「めんどうくさい自閉脳」だった自閉っ子のほうが


進歩し 適応し そして治っていった。


今 家の中で 一番「めんどうくさい」のは


自閉っ子でも、極端に内向的な性質の夫でもなく、


私になってしまった。以前は世話を焼く立場でしたが、


今は 夫や息子達に助けられる立場です。











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