多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

帰省の思い出

2016-12-29 12:15:32 | 思い出
二男だった 父は、毎年の 盆暮れに お金を工面して、


私たち家族を連れて、亡き親への お供えを持って、


一番安く行ける 鈍行列車に 乗って 遠い 田舎へ帰省した。朝早くでて、着くのは夜近く。


父と 母の 実家は 割と 近所にあったので、私たち家族は 


どちらにも 顔をだし、何日も 泊まった。


父の家では 父の両親は 早く 亡くなり、伯父の代になっていたし、


従妹が 20人ほどいたので (多すぎて 私も覚えていない)


子どもには たまに おやつが出るくらいで 特に何もなかった。


母の 実家では、祖母が まだ 健在だったが、もう家の切り盛りは


やはり伯父がやっていた。伯父は 自分の子が 男の子ばかりだったのと、


私が 内気で 滅多に しゃべらないので 関心を持って あれこれ


気を引くことをしてくれた。私のきょうだいは いとこたちと遊ぶことに 夢中だった。


私が トウモロコシが好きだと きくと、大きな畑の 一角に


ロープを張り、「ここが おめえの 分だから、好きなだけ食え。


食いたくなったら 母ちゃんにいって うででもらえ」と


いつでも 好きな時に 食べられるように してくれた。


ある時は 私が 年上の いとこの本を 読んでいるのを見て


本屋さんで 一冊本を 買ってくれた。


家に帰る時、私は それを 持って帰りたかったのだが、


母が それを 許してくれない。「また 買ってあげるから」と言ったが 


そんなことは ごまかしだと わかったから 抱え込んでいたが、


とうとう 取られてしまった。


長い 道中で、本は 重いし 荷物になる。


わかってはいたが とても 悲しかった。


夏になると、私専用の トウモロコシ畑を作って 待っていてくれた伯父。


思わぬ事故で亡くなってしまったが、私の 心の中では まだ 在りし日の 若い伯父の姿がある。


私の 長男の名前は、文字は違うけれど、伯父の名と 読みは同じである。


生まれた時に 伯母に 母が「こよりは 産んだ子に 死んだ兄さと 同じ名前つけたぞ、


字は 変えたけど、おんなじ 名前だぞ」と報告したら、伯母は しばらく絶句していたそうだ。


伯母にも たくさん お世話になった。恩返しもできなかったけど、


いつも 思うたび 感謝でいっぱいになる。

お金を貯めて、もっと 体を 元気にして、母と一緒に 田舎へ お墓参りに行きたいと思っている。

 


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