家には 老人がたくさんいたから、私がするべきことは 山のようにあった。
忙しいと言えば忙しいのかも知れないけど、その中で 子どもたちと遊びつつ
修行し、おじいちゃんや おばあちゃんの 病院に付き添ったり
お見舞いに来る 親戚の接待や その他、やることは 切りなく押し寄せてきた。
でも それを 苦痛とは 思わなかったし、十分な生活費も なく、
「今日の 夕飯どうしよう」と頭を ひねったり することも たびたびあったけれど、
あるもので 何とか 作って、しのいできた。
子どもたちにも 新しい物をそろえてやることもできない時期も あったが、
知り合いや 友人に声をかけて、「なんでも いいから いらないものあったら分けて」と
頼んで、使える物は なんでも使った。色鉛筆すら買えなくて、長男は
おじいちゃんが 昔 仕事で使っていたのを お古で もらって 使っていた。
ある時「みんなが 持ってるのに ぼくだけ こんな 変なの嫌だ」と言い出した。
確かに 皆 今風の 物を持ってるのに、「製図用色鉛筆」なんて嫌だろう。よく我慢してたなあ、と思い
私は なんとか やりくりして、新しい色鉛筆を買って持たせた。
その時 園か何かの参観日で、長男は「ぼくの 鉛筆 新品なんだよ!見てみて」と
大きな声で 先生や 友達に話していて、知り合いのお母さんは
「こよりさん、あれだけ喜んでくれれば 買った価値もあるというものよねえ、
うちの子たちなんか 買ってやっても 当たり前と思ってるのよねえ」と言ってくれた。
贅沢は させてやってないし、旅行に行ったことも 一回しかない。
でも、その分 思い出は 強烈だったろうし、学校や 園での 行事も
皆 「こんなとこ 何回も来た~」と退屈そうな顔なのに、
写真を見ると うちの子たちは うれしそうに 写っている。帰ってきてからも
機嫌がよかった。
自閉っ子は 乗り物嫌いで大変だったけど、修行して 乗れるようになって
無事行けて それなりに 楽しめた。もっと 居たい所から 離されるときは
不満そうだったらしいが、頑張って付いていけてよかった。
わたしは日用品には 贅沢をさせなかったけど、本は できるだけ買ってやった。
家事の合間、介護の合間に読み聞かせをした。
美容院に行く暇もお金もないので、 いつも後ろで 束ね髪で、
化粧もしなかった。余裕もなかったし、好きでもなかったし。
その中で 小銭を貯めておいて、いくらか たまると 本を買った。
「うちの嫁は 役にも立たん本なんか 買いよって」と 嫌味も言われたので、
そっと隠れて 読んだりもした。
経済が 大変になった時、深夜のパートに出て、それで 生活をしのいだ。
深夜は時給がいいので、自分の小遣いもできて、好きなものを買う余裕もできた。
その時期は まだ おじいちゃんも おばあちゃんも まだ 状態がいいときで、
その頃が 一番 楽しかったと思い出す。
12時が過ぎてから 帰宅して、食事して お風呂に入って ちょっと寝たら
もう朝の 支度が 待っている。そういう時、おいしいお菓子を 一口つまむとか
好きな本を 少しでも読んで 自分の機嫌を取るというか、
「疲れた」ではなく 「おいしかった」「楽しかった」という記憶を
残して 眠るようにしていた。
時間が なくても 子どもとの 時間は できるだけ 取るようにしたし、
お金がなくても 子どもに それを 悲観させるような 言葉は 吐かなかった。
ある日 長男が、「OOくんちって 貧乏くさいっていった」と 言ってきた。
なので 私は 「うちはね、貧乏くさいんじゃなくて、本当の 貧乏なの。
OOくんは 嘘を言ってるんだから そんなの気にしなくていいの。」と
笑って 答えた。
「うちに よそにない いいものってある?」というから
わたしは 「ゆうくんちでも たかちゃんちでも、おじいちゃんも おばあちゃんもいないでしょ。
うちには 明治生まれのひいばあちゃんが いるし、じいちゃんも ばあちゃんもいるでしょ。
皆に うちには じいちゃんも ばあちゃんも ひいばあちゃんも いるんだぞ!」って
自慢しておいで」と言ったら 数日して 子どもの団体が うちに来た。
長男は 本当に 私が言った通りにしたらしい。
皆 ひいばあちゃんを 囲んで 珍しそうに 見ている。
ひいばあちゃん困惑しながらも「こいつら どこの子や」という。
「皆 並んで ひいばあちゃんに あいさつしなさい。名前言いなさい」というと
皆その通りにした。で、私が 「この子は 山ノ下(地名)の子で、こっちは明さんとこの孫で・・
と解説。
その後は 長男を からかう子は いなくなったらしい。
いろんな 価値観が あることを、世間には いろんな家があることを、
その子たちなりに 学んでいったらしい。
楽な 暮らしが 幸せばかりとは 限らないし たくさんの事情があっても 楽しみを
見つける事は いくらでも できる。
世間の人から見たら 私は 不幸なのかも知れないが、
結婚してからの 人生で 得たことは たくさんあったし、
幸せな人生を 送っていると 自分では 思っている。
忙しいと言えば忙しいのかも知れないけど、その中で 子どもたちと遊びつつ
修行し、おじいちゃんや おばあちゃんの 病院に付き添ったり
お見舞いに来る 親戚の接待や その他、やることは 切りなく押し寄せてきた。
でも それを 苦痛とは 思わなかったし、十分な生活費も なく、
「今日の 夕飯どうしよう」と頭を ひねったり することも たびたびあったけれど、
あるもので 何とか 作って、しのいできた。
子どもたちにも 新しい物をそろえてやることもできない時期も あったが、
知り合いや 友人に声をかけて、「なんでも いいから いらないものあったら分けて」と
頼んで、使える物は なんでも使った。色鉛筆すら買えなくて、長男は
おじいちゃんが 昔 仕事で使っていたのを お古で もらって 使っていた。
ある時「みんなが 持ってるのに ぼくだけ こんな 変なの嫌だ」と言い出した。
確かに 皆 今風の 物を持ってるのに、「製図用色鉛筆」なんて嫌だろう。よく我慢してたなあ、と思い
私は なんとか やりくりして、新しい色鉛筆を買って持たせた。
その時 園か何かの参観日で、長男は「ぼくの 鉛筆 新品なんだよ!見てみて」と
大きな声で 先生や 友達に話していて、知り合いのお母さんは
「こよりさん、あれだけ喜んでくれれば 買った価値もあるというものよねえ、
うちの子たちなんか 買ってやっても 当たり前と思ってるのよねえ」と言ってくれた。
贅沢は させてやってないし、旅行に行ったことも 一回しかない。
でも、その分 思い出は 強烈だったろうし、学校や 園での 行事も
皆 「こんなとこ 何回も来た~」と退屈そうな顔なのに、
写真を見ると うちの子たちは うれしそうに 写っている。帰ってきてからも
機嫌がよかった。
自閉っ子は 乗り物嫌いで大変だったけど、修行して 乗れるようになって
無事行けて それなりに 楽しめた。もっと 居たい所から 離されるときは
不満そうだったらしいが、頑張って付いていけてよかった。
わたしは日用品には 贅沢をさせなかったけど、本は できるだけ買ってやった。
家事の合間、介護の合間に読み聞かせをした。
美容院に行く暇もお金もないので、 いつも後ろで 束ね髪で、
化粧もしなかった。余裕もなかったし、好きでもなかったし。
その中で 小銭を貯めておいて、いくらか たまると 本を買った。
「うちの嫁は 役にも立たん本なんか 買いよって」と 嫌味も言われたので、
そっと隠れて 読んだりもした。
経済が 大変になった時、深夜のパートに出て、それで 生活をしのいだ。
深夜は時給がいいので、自分の小遣いもできて、好きなものを買う余裕もできた。
その時期は まだ おじいちゃんも おばあちゃんも まだ 状態がいいときで、
その頃が 一番 楽しかったと思い出す。
12時が過ぎてから 帰宅して、食事して お風呂に入って ちょっと寝たら
もう朝の 支度が 待っている。そういう時、おいしいお菓子を 一口つまむとか
好きな本を 少しでも読んで 自分の機嫌を取るというか、
「疲れた」ではなく 「おいしかった」「楽しかった」という記憶を
残して 眠るようにしていた。
時間が なくても 子どもとの 時間は できるだけ 取るようにしたし、
お金がなくても 子どもに それを 悲観させるような 言葉は 吐かなかった。
ある日 長男が、「OOくんちって 貧乏くさいっていった」と 言ってきた。
なので 私は 「うちはね、貧乏くさいんじゃなくて、本当の 貧乏なの。
OOくんは 嘘を言ってるんだから そんなの気にしなくていいの。」と
笑って 答えた。
「うちに よそにない いいものってある?」というから
わたしは 「ゆうくんちでも たかちゃんちでも、おじいちゃんも おばあちゃんもいないでしょ。
うちには 明治生まれのひいばあちゃんが いるし、じいちゃんも ばあちゃんもいるでしょ。
皆に うちには じいちゃんも ばあちゃんも ひいばあちゃんも いるんだぞ!」って
自慢しておいで」と言ったら 数日して 子どもの団体が うちに来た。
長男は 本当に 私が言った通りにしたらしい。
皆 ひいばあちゃんを 囲んで 珍しそうに 見ている。
ひいばあちゃん困惑しながらも「こいつら どこの子や」という。
「皆 並んで ひいばあちゃんに あいさつしなさい。名前言いなさい」というと
皆その通りにした。で、私が 「この子は 山ノ下(地名)の子で、こっちは明さんとこの孫で・・
と解説。
その後は 長男を からかう子は いなくなったらしい。
いろんな 価値観が あることを、世間には いろんな家があることを、
その子たちなりに 学んでいったらしい。
楽な 暮らしが 幸せばかりとは 限らないし たくさんの事情があっても 楽しみを
見つける事は いくらでも できる。
世間の人から見たら 私は 不幸なのかも知れないが、
結婚してからの 人生で 得たことは たくさんあったし、
幸せな人生を 送っていると 自分では 思っている。
自閉っ子のための道徳入門 | |
クリエーター情報なし | |
花風社 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます