多病息災発達障害者こよりの日常

両手で数えきれない障害と持病を抱えつつ毎日元気に活動中。発達障害の息子たちの子育ても終え、悠々自適の毎日です。

自閉っ子のための道徳入門、重版出来!

2019-01-22 07:44:07 | 思い出
自閉っ子のための道徳入門が重版出来(しゅったい)と聞き、うれしくまた懐かしくなった。


この本が出版された頃、兄ちゃんは勤労学生、


自閉っ子は 高等養護学校に朝5時起きして通っていた。


私が 「卒母」目前の時代である。


私の日常は、育児ではなく 家族の介護と自分の闘病であり、


子ども達は 私のサポートをしてくれる立場になっていた。


進路の事で 助言はしたけれど、基本自分たちで決めていたので、


私が手を出す場面は 本当に少なくなっていた。


せいぜい書類の書き方を教える事くらいである。


その後 自閉っ子が内定をもらい、学校を卒業して


私も めでたく「卒母」の日を迎えた。


息子達は 経済的自立を果たし、同居しているとはいえ


職業人、社会人として 経験を積み、「子ども」から「大人」になっていった。


本を読み返し、私以外のお母様方の お子さんへの取り組みの素晴らしさを思った。


また 瀧澤さんや愛甲さん、浅見さんの 見解にも。


出てきた方々に比べると、私はやはり「がさつ・ぐうたら・ずぼら」である。


それは 今でも変わらないが、私なりに進歩し、病気も軽快し


中には治癒したものもある。「道徳入門」から広がったお付き合いが、


子ども達はもちろん私には大きなプラスになり、それが「猫本」に繋がった。


私は 発達凸凹の専門家でもなく、医療や教育の資格もなく、従事経験も無い。


学歴もないし ないない尽くしの子育てだったが、それがプラスに働いた。


医療の知識がない分、先入館に惑わされなくて済んだ。


診断がつく前に 自分流の「修行」の取り掛かる事ができたし、


診断後も 自分流を貫く事ができた。


診断名や 発達検査の結果に一喜一憂しなかったし、


子ども達の将来を悲観したこともなかった。


わが家は古い木造家屋で、子育て中は4世代同居だった。


共有スペースが多く、子どもが入れないスペースも多かった。


よく世間で聞く「構造化」もした事がない。


それでも 子ども達は育ち、働く大人になり、夫や私を支えてくれる存在になった。


よく「大変ではなかったですか?」と聞かれるが、私の中に主体性があったことが、


忙しくて不眠不休の生活の中でも 役に立ったと思う。


自分の子どもを育てる事、自分の家庭の切り盛りをする事、自分の家族の世話をする事。


すべて「自分」というものがあったから、やってこられたのだと思う。


人にやらされている、自分だけが重荷を負っている、と思っていたら


できなかっただろうと思う。


私よりも、あれもこれも満足にできないおっちょこちょいの私と生活していた


夫や子ども達や夫の祖父母や両親、その他周囲の人たちのほうが、


気苦労が多かったのではないかなあ、と思う。


私も様々な事をできる範囲でやってきたが、周囲に助けられた部分も同じくらいあったと思う。


自閉っ子のための道徳入門
クリエーター情報なし
花風社

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