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みみこのneko的生活

スノーボードとねことともに・・・がんと向き合って生きる

夏の読書日記

2006-08-21 22:12:46 | 本と雑誌

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夏に読んだ本です。一気に読んだ本もあれば、月をまたいで読んだ本もあります。

あっという間に読める本が結構多いな~。

昨年のお盆頃から入退院を繰り返している間、子どもの頃大好きだった本の楽しさに再び目覚めました。

仕事をしていると、なかなかじっくり読書できなくて、雑誌やマンガばかりに手が伸びるのですが、久々にいろんなジャンルの本を読むようになりました。

仕事に復帰して、読書量は落ちましたが、通院の日などは読書のチャンス。電車のなか、病院での待ち時間などを利用して、読書しています。

今月前半は、年休を取って旅行にいったり、お盆休みを取ったりしたので、いろんな本を読みだめできました。

☆澤戸夏代ブラント「デンマークの子育て・人育ち」~日本の政策や今の社会状況と比べると、その違いにうなってしまいます。今の日本の政治には、理念が必要と思います。アメリカ追従も一つの選択ですが、デンマークや北欧の国の政策もいい参考になるのではないかと思います。私はとても理想的に思えましたが・・・。

☆米原万里「嘘つきアーニャのまっ赤な真実」~米原さんのエッセイは入院中よく読みました。今年に入り、がんで亡くなられましたが、本当に惜しい人が亡くなってしまったと思います。米原さんの子ども時代とそのときの友人のその後を書いたお話ですが、人生や歴史、民族、いろんなことを考えさせられるすばらしい1冊です。

☆群ようこ「ぢぞうはみんな知っている」~群ようこさんのエッセイも入院中たくさん読みました。せっぱつまったときに、元気になれるのです。このエッセイもそんな本です。

☆ほしよりこ「きょうの猫村さん2」~ゆるゆるかげんがいいんです。家政婦の猫村さんが時折見せる猫っぽいところも「そうそう!」と思わせるものがあったりして、笑いあり、涙ありで楽しい本です。

☆ターシャ・テューダー、リチャード・W・ブラウン写真、食野雅子訳「ターシャの家」~ターシャの生き方にあこがれます。実際にはなかなかできないでしょうけれど、やっぱりあこがれです。見ていて、まったくあきない1冊です。

☆マイケル・ローゼン、クエンティン・ブレイク絵、谷川俊太郎訳「悲しい本」~愛する人をなくす悲しみは想像を超える悲しみと思います。悲しみを超えるためには、やっぱり人のあたたかさや待つ時間が必要なのではないでしょうか。最後のローソクの光は希望に見えます。RFLのルミナリエも亡くなった人へ追悼とともに、希望の光となりますように。

☆武田康夫「楽しい気象観察図鑑」~実はまだ熟読していないのですが、いろんな空や雲の写真を見ているだけで、楽しい気持ちになったり、驚いたり、自然の凄さを実感する1冊。

☆絵門ゆう子「がんと一緒にゆっくりと~あらゆる治療をさまよって」~「あらゆる治療をさまよって」とあるように、率直にこれまでの経緯や思いを綴っている1冊。気持ちがとてもわかり、亡くなられたあとに読んだこともあり、切ない気持ちになるのだけど、すばらしい医師との出会いにより、心も体も生き生きとなっていったゆう子さんの姿に私も元気をもらいました。

☆絵門ゆう子「がんとゆっくり日記」~亡くなられた後、HPで一部読むことができ、その文章のすばらしさに手元に置きたくなった1冊。私もゆう子さんのように、いろんな葛藤をしながらも、人に優しく、勇気を持って生きていきたいと思いました。

☆キューブラー・ロス、鈴木晶訳「死ぬ瞬間~死とその過程について」~バリで読みきった1冊。死やホスピス関連の本でよくキューブラー・ロスの「死の5段階」は取り上げられており、いつか読んでみたいと思っていたのです。心の動きがわかるとともに、アメリカとの医療の違い(病院牧師がいたり・・・など)も垣間見え、興味深かったです。今度はデーケン(悲嘆のプロセスやデス・エデュケーションで有名)の本も読んでみたいです。

☆寄藤文平「死にカタログ」~題名を見ると、おどろおどろしいものを想像してしまいますが、そういう内容ではありません。寄藤さんが「死ぬってなに?」の疑問について真剣に考え、調べたことを絵と文で表しています。特に、絵がよいです。あとがきでキューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」に大きな影響を受けたということを書いていて、ああなるほどなあと思いました。それから、私も寄藤さん同様、パプアニューギニアの「死んだら近所の島に行く」っていうのいいなあと思いました。それから、アイヌの「パラレルワールドへ行く」もいいかも。実際には「栄養になる」っていうのでもいいなと思っています。


ここ一週間の読書

2006-04-24 22:04:56 | 本と雑誌

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Hon1左は、先週読んだ本。 右は、今日買った本。「チーズ スイート ホーム」3巻、「がんと向き合って」上野創。用事をたしたあと、本を買って、紀伊国屋2階のイノダコーヒーで一休みしながら、読みました。コーヒーはミルク入りで、飲みやすくて、おいしいです。本屋さん、大好き!

先週読んだ3冊。

「三浦家の元気な食卓」。食事について参考になるだけでなく、三浦家すごい!と思わせられます。特に、亡くなってしまったけど、敬三さんの食事や生活についてしっかり勉強し、実践されているところは見習いたい!でも、なかなかそうはいかないよなあ。とりあえず、ボーナス出たら、圧力鍋ほしいです。

「いまどきの『常識』」香山リカ。コメンテーターとしてテレビでお見かけすると「そうだよね!」と思わせる発言が多く親近感を持っていたし、著書や雑誌のコラムを読んでもなるほどと思うことの多い香山さん。「自分の周りはバカばかり」「お金は万能」「男女平等が国を滅ぼす」「痛い目にあうのは『自己責任』」「テレビで言っていたから正しい」「国を愛さなければ国民にあらず」・・・。う~む・・・。

「グレートジャーニー」①南米~アラスカ編 関野吉晴。道新の日曜版で楽しみに読んでいた写真付きコラムの総集編。豊かさって何だろうと考えさせられます。②ユーラシア~アフリカ編もあります。


グーグーだって猫である1・2

2006-04-11 20:28:46 | 本と雑誌

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①「グーグーは猫である」1・2巻 角川書店 1100円(ちょっと高いかな)

②今日食べたデザート。セブンイレブンのいちごのパンナコッタ。まあまあかな。

③うちのみーみー。グーグーと同じアメリカンショートヘアー。別名ダメリカンショートヘアー。ふくろ好き。

④春です。白鳥がたくさん田んぼにいました。

なってみないとわからない・・・本当にその通りです。でも、なってみないとわからないけど、わかろうとすることが大事だと思っています。

が、この本はまさに私にとって「なってみないとわからない」を実感した本です。

この本はマンガだけど、ねこがかわいくて、数年前に買いました。そして、もちろんかわいくて、なにげない話もねこ好きにはたまらない本ではあるのですが、1巻の最後の方から著者の大島弓子さんの卵巣がんになる話が出てきます。

入院中のねこたちの世話、万が一の場合のねこたちをどうするかなどについても書かれており、その時自分ががんだとは思っていなかった私は「そうだよね。いつどうなるかわからないから、そんなことも考えないと。でも、夫がいるから大丈夫かな。」ぐらいにしか思っていませんでした。

が、がんになって、読み返してみると、とても切実に感じられます。特に、2巻は、以前ならきっとふ~ん・・・ぐらいな感じで読んでいたと思うのですが、今は「ふむふむ、そうだよね」とうなづきながら読めます。

ねこの姿に癒されながら、がんについてや生き方について考えさせられる本です。


さよなら エルマおばあさん

2006-03-16 14:27:41 | 本と雑誌

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左が、「さよなら エルマおばあさん」写真・文 大塚敦子 

右は、ファイナル・ファンタジーⅩⅡ 私はやりませんよ~。

夫がやるんです。ほんとです。

だって、RPGってめんどくさそうです。

時々手にとってみたくなる本が何冊かある。

そのなかで、一番読んでいるのがこの本だと思う。

4~5年ほど前に共同購入かなにかでなにげなく買った本の1冊で、たぶんねこが出てくるという理由で買ったように思う。

病気になる前も、病気になってからも、たびたび開いていた。

今日も読んだ。

いつも思う。エルマおばあさんのように生きていけるだろうかと。

エルマおばあさんは、85才で多発性骨髄腫で亡くなる。

きっとエルマおばあさんは若い頃からすてきな人だったのだろう。けれど、亡くなるまでのこの1年がまたすばらしく輝いているのだ。

「わたしの命は、あと1年くらいだろうから、いろいろ準備をはじめないとね・・・」

そして、徐々に体は弱っていくが、残された時間もこれまでと変わらなく生活を楽しみ、リビングウイルに署名をし、これまでのことやお別れの手紙を書き、周囲の人々とお別れをし、穏やかに亡くなっていく。

読むたび、告知の問題、リビングウイルの問題、ホスピスの問題(特に、まだ日本では少ない在宅ホスピス)、葬儀について、支える家族の問題、人としての生き方などさまざまなことが私の頭をよぎる。日本ではリビングウイルやホスピスの問題、生死観の問題など難しいところは多々あるであろう。

けれど、○○らしいという言葉は難しいなあと常日頃思うが、あえて使うと、自分らしく最後まで生きたエルマおばあさんはすてきだと思うし、自分も最後はそのように迎えたい。

もちろん、まだまだ生きていきたい。生きることはあきらめないつもりでいる。

けれど、その一方で死もどこかで意識している。そして、その死は私にとってはただの恐怖ではないのは、エルマおばあさんと亡くなった私の祖母のおかげと思っている。その祖母の話については、またいつか。