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一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

パウロの異邦人伝道におけるマルコの役割(2017.5.14 礼拝)

2017-05-16 14:08:49 | 礼拝メッセージ
2017年5月14日礼拝メッセージ
『パウロの異邦人伝道におけるマルコの役割』
【使徒11:27~30、12:25】

はじめに
 『使徒の働き』の学びを続けます。この学びで私が重視していることは、使徒の働き全体の流れを皆さんにわかっていただくことです。説教を連講形式で行う場合、一回当たりのメッセージの聖書箇所はそんなに長いものではありません。その場合、前の説教とのつながりをきちんとお話ししないと、それぞれの説教が切れ切れの断片的なものになってしまい、使徒の働き全体の流れがどうなっているのかわからなくなってしまいます。

全体の流れを押さえるべき『使徒の働き』
 私が高津教会で一般信徒だった時、何人かの神学生が半年周期ぐらいで入れ替わりながら教会に実習に来ていました。その中の一人の神学生が祈祷会で『使徒の働き』の連講を毎週してくれたことがありました。当時、私は聖書通読をまだきちんとしていませんでしたから、私の聖書知識は専ら教会の藤本先生の説教を聞くことで豊かにされていました。最初に聞いた藤本先生の『ガラテヤ人への手紙』の説教は、まだ1年目ということでそんなに理解できませんでしたが、『祈る人びと』のシリーズの説教では旧約聖書に関する知識を増し加えることができました。ですから、たとえ神学生の説教であったとしても、それがきちんとした説教であったなら、私の『使徒の働き』についての知識も増し加わっていて良かったはずです。しかし、そうはなりませんでした。今思い返してみると、その時の神学生の説教が切れ切れの断片的な説教であったからだろうと思います。『使徒の働き』には、いろいろな人物が登場して、主役も入れ替わって行きます。使徒1章の主役は復活したイエスさまであり、2章以降はペテロが主役ですが、途中でステパノが主役になることもあります。そして後半の主役はパウロです。そして主役以外にも様々な人物が登場しますから、全体像を押さえておかないと、『使徒の働き』がどういう書であるかを見失うことになります。ですから、今回の『使徒の働き』の学びでは、全体の流れを大切にして行きたいと願っています。
 ただし全体の流れを大切にすると言っても、どういう観点から『使徒の働き』を見るかによって、見えて来る全体の流れも異なってくるだろうと思います。今回、私が大切にしたいと思っている全体の流れは、「パウロの異邦人伝道」という観点からのものです。きょうはマルコに注目することにしていますが、マルコについても「パウロの異邦人伝道」において彼の役割がどんなものであったのか、という視点から見てみたいと思います。

マルコを連れて帰ったバルナバとパウロ
 まず、マルコが登場する前の11章27節から30節までを交代で読みましょう。

11:27 そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケに下って来た。
11:28 その中のひとりでアガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。
11:29 そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。
11:30 彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った。

 28節に、クラウデオの治世に大ききんが起きたとあります。クラウデオというのはローマの皇帝です。このクラウデオ帝の時代に起きた大ききんがどういうものであったか、それについて詳しく説明する説教もあるでしょう。それもまた一つの説教です。しかし、今回は全体の流れを大切にしていますから、そういう細部のことはスルーすることにして、着目するのは30節です。
 ユダヤが大ききんで困窮していたために、アンテオケ教会では救援の物を送ることにしました。それをユダヤのエルサレムに届けたのがバルナバとサウロでした。そして、途中を大幅に飛ばして次に12章の終わりの25節を見ていただくと、

12:25 任務を果たしたバルナバとサウロは、マルコと呼ばれるヨハネを連れて、エルサレムから帰って来た。

とあります。きょう注目したいのは、バルナバとサウロがエルサレムに行って、その帰りにマルコを連れて来たということです。そして、その後、マルコがどうしたかということについても、きょうの後半に見たいと思います。

エルサレムの実家が家の教会だったマルコ
 但し、いま12章のほぼ全体を丸々飛ばしてしまいました。飛ばしたままにしておくのも少し気持ちが悪いので、簡単に12章の内容を見ておきたいと思います。12章の1節から3節までをお読みします。

12:1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、
12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
12:3 それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祝いの時期であった。

 ちょうどバルナバとサウロがエルサレムに向かったころ、ヘロデ王はヨハネの兄弟ヤコブを殺し、そしてペテロも捕らえて牢に入れてしまいました。もしペテロがそのまま牢に入れられたままであったなら、ペテロも殺されてしまったことでしょう。しかし、不思議なことが起きました。7節です。

12:7 すると突然、主の御使いが現れ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。

 なんとペテロは御使いに導かれて牢の外に出ることができました。そして12節を見ていただくと、「ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った」とあり、「そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた」とありますから、マルコの家は人が集まる家の教会であったらしいことがわかります。マルコはそのような家庭で育った若者であったようです。そして、マルコはペテロにかわいがられていたことが、ペテロの手紙の最後の挨拶から見て取れます。第一ペテロ5章13節(p.459)を、今度はご一緒に読みましょう。

5:13 バビロンにいる、あなたがたとともに選ばれた婦人がよろしくと言っています。また私の子マルコもよろしくと言っています。

 ペテロは「私の子マルコ」と書いていますから、ペテロはマルコをかわいがっていたようです。そしてコロサイ4章10節(p.394)を見ると、ここにはマルコがバルナバのいとこであると書いてあります。こうしてバルナバはいとこのマルコをアンテオケに連れて帰りました。

第1次伝道旅行の途中で脱落したマルコ
 さて、きょうは少し先回りをして、マルコがその後どうしたかを、見たいと思います。13章の1節から5節までを交代で読みましょう。

13:1 さて、アンテオケには、そこにある教会に、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、国主ヘロデの乳兄弟マナエン、サウロなどという預言者や教師がいた。
13:2 彼らが主を礼拝し、断食をしていると、聖霊が、「バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが召した任務につかせなさい」と言われた。
13:3 そこで彼らは、断食と祈りをして、ふたりの上に手を置いてから、送り出した。
13:4 ふたりは聖霊に遣わされて、セルキヤに下り、そこから船でキプロスに渡った。
13:5 サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ始めた。彼らはヨハネを助手として連れていた。

 ここでバルナバとサウロは第一次伝道旅行に出発しました。このことは次回また改めてゆっくり見ることにして、きょうは5節の、彼らがマルコを助手として連れていたことに注目します。この5節のヨハネというのがマルコのことです。
 そして、このマルコが一行とずっと一緒にいたかというと、そうではありませんでした。13節です。

13:13 パウロの一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から離れて、エルサレムに帰った。

 なんとマルコはエルサレムに帰ってしまいました。なぜ帰ってしまったのか、ここにはその理由が書かれていませんから、色々なことが言われています。エルサレムが恋しくなってホームシックになったとか、過酷な船旅に耐えられなかったとか、異邦人クリスチャンに律法は必要ないというパウロの過激な考え方に付いて行けなかったとか、等々です。本当のところは本人に聞いてみなければわかりませんが、とにかくマルコは一行から離れてエルサレムに帰ってしまいました。

マルコを巡って対立したバルナバとパウロ
 さて、この第一次伝道旅行の時は、この問題はこれで済んだのですが、第二次伝道旅行を開始するのに当たってマルコを巡って大問題になりました。パウロの第二次伝道旅行は、15章の36節から始まります。36節から41節までを交代で読みましょう。

15:36 幾日かたって後、パウロはバルナバにこう言った。「先に主のことばを伝えたすべての町々の兄弟たちのところに、またたずねて行って、どうしているか見て来ようではありませんか。」
15:37 ところが、バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。
15:38 しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。
15:39 そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った。
15:40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて出発した。
15:41 そして、シリヤおよびキリキヤを通り、諸教会を力づけた。

 ここにはマルコを巡ってパウロとバルナバとの間で意見が分かれてしまったことが書かれています。39節には、激しい反目となって、その結果、二人は別行動をとることになったと書かれています。マルコはバルナバのいとこでしたから、マルコに対して寛容でした。前のことは大目に見てやろうよ、そしてもう一度チャンスを与えてやろうよ、という感じでしょうか。しかし、パウロは妥協せず、許しませんでした。ここにパウロの性格の一端が見えるように思います。マルコは、こういうパウロの激しい気質に付いて行けなくなって、第一次伝道旅行では一行から離れてしまったのかもしれません。

マルコが果たした重要な役割
 さてしかし、私はこの一件でマルコがとても重要な役割を果たしたという気がしています。それは、バルナバとパウロが別々に行動することになったことで、これ以降、パウロの能力が存分に発揮されることになったであろうと思うからです。
 パウロにとってバルナバはかつて大変にお世話になった恩人でした。まだパウロの回心から、そんなに時が経っていなかった頃、エルサレムの兄弟たちはパウロを恐れて受け入れませんでしたが、バルナバは受け入れました。そして、アンテオケ教会が成長している時にバルナバはパウロを探しにタルソへ行き、アンテオケに連れて帰りました。そうしてパウロの働きが本格的に始まりましたから、パウロにとってバルナバは大恩人でした。しかもバルナバは聖霊と信仰に満ちた立派な人でした。こういう立派な信仰者と一緒にいると、パウロがどんなに優れた使徒であっても、パウロの良さが半分ぐらいは消されてしまっていたのではないかという気がします。しかし、二人が別れたことで、パウロはいよいよ神様に与えられた賜物を発揮できるようになりました。これはマルコがいたからこそであって、もしマルコがいなかったら、パウロとバルナバはずっと一緒だったかもしれません。
 このことの背後にもまた、神様の働きがあったのかもしれません。
 コロサイ書でパウロは、

4:10 私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。バルナバのいとこであるマルコも同じです──この人については、もし彼があなたがたのところに行ったなら、歓迎するようにという指示をあなたがたは受けています。──

と書いています。このコロサイ書からは、後のパウロがマルコに信頼を寄せるようになっていた様子が見てとれますから、パウロがずっと後まで、「マルコは使えない奴だ」と思っていたわけではありません。ですから、マルコの一件は、パウロがバルナバから離れて存分に能力を発揮するための、神様の奇しい御業だったように思います。

おわりに
 これからも『使徒の働き』の学びは、きょうの学びのように全体を見るようにして、切れ切れではない学びをして行きたいと願っています。そして、そこに神様の働きを見て、御名を崇め、いつも主を賛美し、主に感謝している私たちでありたいと思います。
 お祈りいたしましょう。
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