平和への道

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これが永遠にわたしの名(2015.2.18 祈り会)

2015-02-19 20:25:59 | 祈り会メッセージ
2015年2月18日祈り会メッセージ
『これが永遠にわたしの名』
【出エジプト3:15】

はじめに
 出エジプト記の学びを続けて行きますが、きょうは新改訳聖書に太字で書いてあるについて学ぶことにします。15節をお読みします。

3:15 神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエル人に言え。あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、が、私をあなたがたのところに遣わされた、と言え。これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。

 ここで神はモーセに、太字のが「わたしの呼び名である」と仰せられました。この太字のは、以前使われていた文語訳では「ヱホバ」になっています。しかし、現代では読み方としては「ヱホバ」ではなく、恐らくは「ヤハウェ」が本来の読み方であったのだろうという説が有力のようです。きょうは、この辺りの事情を学んでおくことにしたいと思います。私たちが使っている今の聖書には「ヱホバ」も「ヤハウェ」も出て来ませんから、この学びは省略しても良いのだと思いますが、出エジプトの3章15節を学ぶ以上は、この学びははずせません。ただ、細かい話になりますし、私もこのことに詳しいわけではありませんので、この3章15節を飛ばしてしまうという選択肢もありました。しかし、それも何となく気持ちが悪いので、学ぶことにします。

読み替えられていた聖四文字
 まず先ほどの読み方の問題で、「ヱホバ」ではなく、恐らくは「ヤハウェ」であろうということですが、「ヤハウェ」も100%確実というわけではないようです。どうして、そんなことになっているのかというと、元々のヘブル語の文字は子音しかなく、母音は無かったからです。今は母音の記号が考案されて子音に母音も添えられていますが、紀元前から伝わった写本には子音しか書かれていませんでした。
 また、イスラエルの王国が南北に分裂して、まず北王国のイスラエルがアッシリヤに攻め滅ぼされて捕囚として引かれて行き、北の10部族は消滅してしまいました。そして北のサマリヤには異民族が入って来ましたから、北方ではヘブル語が話されなくなりました。さらに南王国のユダもバビロニア帝国に攻め滅ぼされてバビロンに捕囚として引かれて行き、ユダの民族はバビロンで使われていたアラム語を話すようになって行きました。そして先日の礼拝で学んだように約70年後のペルシャのクロス王の時代にエルサレムへの帰還が始まりましたが、帰還した民は、もはやアラム語を話していたようです。従ってイエス・キリストの時代のユダヤ人たちがエルサレムで話していた言語もアラム語であったと言われており、福音書に出てくるイエスさまが話したことばの「タリタ、クミ」(マルコ5:41)、「エパタ」(マルコ7:34)、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(マタイ27:46)もアラム語です。
 このように、口語でヘブル語が話されなくなっていたことに加えて、神の名をみだりに唱えてはならないという戒めを厳格に適用するようになっていたという事情もあります。出エジプト記の20章を見て下さい。ここにはモーセの十戒が記されていますが、7節に、

20:7 あなたは、あなたの神、の御名を、みだりに唱えてはならない。は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。

 とあります。ある時期から、これが厳格に適用されるようになって、ヘブル語聖書に子音の四文字で書かれていた神の名前は、別の呼び方に置き換えて読まれるようになりました。その子音の四文字というのが、今お配りした、



というヘブル文字です。ヘブル語は右から左へ読むようになっていて、それぞれに英語のアルファベットを当てはめると「YHWH」になります。この四文字がある箇所では、「主」の意味である「アドナイ」と読むようになったため、この「YHWH」の4つの子音にどのような母音を加えて読んでいたのかが、わからなくなってしまったのだそうです。そうして以前は「ヱホバ」であろうとされていたものが、今では「ヤハウェ」であるというのが有力なようです。
 いずれにしても、それが「ヱホバ」であろうが「ヤハウェ」であろうがイスラエルでは、その名を唱えることはせずに「アドナイ」と読み替えていましたから、英語訳の聖書でも、敢えて「YHWH」の四文字の子音に母音を付け加えることをせずに、「主」の意味のLordを使っています(頭文字は大文字です)。またNIV(新国際訳)では、四文字全てを大文字にしてLORDと表記しています。新改訳がと太文字で表記しているのも、それに習っているのかなと思います。

アドナイ・イルエ
 きょう学びたいと思っていたことは以上ですが、まだ少し時間がありますから、「主」の意味の「アドナイ」、即ちユダヤ人が「YHWH」の四文字を置き換えていた「アドナイ」が新改訳聖書の中で使われている箇所を見ておきたいと思います。そうすれば「アドナイ」を覚えておくことができるでしょう。新改訳聖書では、「アドナイ」が3箇所で使われています。創世記と出エジプト記と士師記の3箇所で使われています。このうち、アブラハムがイサクをほふろうとした場所のアドナイ・イルエが一般的にも有名ですし、記憶に留めやすいかなと思いますので、そこを開きましょう。創世記の22章です。有名な箇所ですから、皆さんも良くご存知の箇所です。9節から14節までを交代で読みましょう。

22:9 ふたりは神がアブラハムに告げられた場所に着き、アブラハムはその所に祭壇を築いた。そうしてたきぎを並べ、自分の子イサクを縛り、祭壇の上のたきぎの上に置いた。
22:10 アブラハムは手を伸ばし、刀を取って自分の子をほふろうとした。
22:11 そのとき、の使いが天から彼を呼び、「アブラハム。アブラハム」と仰せられた。彼は答えた。「はい。ここにおります。」
22:12 御使いは仰せられた。「あなたの手を、その子に下してはならない。その子に何もしてはならない。今、わたしは、あなたが神を恐れることがよくわかった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しまないでわたしにささげた。」
22:13 アブラハムが目を上げて見ると、見よ、角をやぶにひっかけている一頭の雄羊がいた。アブラハムは行って、その雄羊を取り、それを自分の子の代わりに、全焼のいけにえとしてささげた。
22:14 そうしてアブラハムは、その場所を、アドナイ・イルエと名づけた。今日でも、「の山の上には備えがある」と言い伝えられている。

 この14節の「アドナイ・イルエ」がそうですが、ここに星印が付いていますから、下の脚注を見ると、あるいは「が備えてくださる」というように、が太文字で書かれていますね。ですから、ここはヘブル語聖書では、「YHWH」の四文字が使われています。その四文字をユダヤ人が「アドナイ」と読み換えたように、新改訳聖書でも「アドナイ」と読ませています。
 ですから、これから旧約聖書を読む時には、という太文字が現れたら、実はここには「YHWH」の四文字があり、それをユダヤ人は「アドナイ」と読み換えていたのだということを頭の隅に置いておくと良いかもしれません。

おわりに
 ユダヤ人たちは、このようにを畏れ敬っていました。私たちももちろんを畏れ敬う者たちですが、私たちには聖霊が注がれており、「神の子ども」とされていますから、私たちにはを「父」あるいは「お父さま」などと呼ぶことができる特権が与えられています。この素晴らしい特権が与えられている恵みを、私たちはもっと噛み締めるべきなのだろうと思います。この、私たちが神の子どもとされ、を「父、お父さま」と呼べる特権を噛み締めながら、最後にもう一度、出エジプト記3章15節を、ご一緒に呼んで終わりたいと思います。

3:15 神はさらにモーセに仰せられた。「イスラエル人に言え。あなたがたの父祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神、が、私をあなたがたのところに遣わされた、と言え。これが永遠にわたしの名、これが代々にわたってわたしの呼び名である。

 お祈りしましょう。
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