2021年5月2日礼拝メッセージ
『復活したイエスのパウロへの強烈な顕現』
【使徒の働き26章12~20節】
はじめに
先週は復活したイエス様がエマオへ向かう二人の弟子に現れた箇所を開きました。二人の弟子はその日にあった出来事について話し合っていました。そこにイエス様が近づいて来て彼らと共に歩き始めて、「その話は何のことですか?」と二人に聞きました。このイエス様の現れ方は、きょうのパウロの場合と比べると、かなり柔らかい現れ方でした。パウロの場合はパウロの目が見えなくなるほど強烈なものでした。このイエス様のパウロへの強烈な現れ方は、エマオへ向かう二人の弟子に現れた時とは対照的な現れ方ですから、きょうはこのことについて考えてみたいと思います。
きょうは次の三つのポイントでイエス様がパウロに強烈な形で現れたことを見ることにします。
①異邦人伝道にどうしても必要な人材だったパウロ
②力を振るうパウロを屈服させた主の圧倒的な顕現
③パウロへのイエスの顕現を信じてイエスを信じる
①異邦人伝道にどうしても必要な人材だったパウロ
始めに、イエス様がパウロに現れた場面を確認しておきたいと思います。使徒の働きには、イエス様がパウロに現れた場面が3つも記されています。一つめは使徒9章で、これは客観的な形で書かれています。そして22章と26章にはパウロ自身による証言の形で書かれています。きょう26章を開くことにしたのは、他の2箇所よりもコンパクトにまとまっていて、分かりやすいと思ったからです。
26章でパウロはカイサリアにいました。この約2年前にパウロはエルサレムで捕らえられました。それから、このカイサリアに送られて、囚人として2年間を過ごしていました。そして、27章の1節に「私たちが船でイタリアへ行くことが決まった」とありますから、パウロとルカたちは、27章でローマに向かいます。26章はその直前の場面です。
26章の1節から見て行きます。
この時、アグリッパ王がカイサリアに来ていました。アグリッパ王というのはヘロデ大王のひ孫です。ヘロデ大王はイエス様が生まれた時に「2歳以下の男の子は皆殺せ」と命令したユダヤの王です。アグリッパはそのヘロデ大王のひ孫でした。パウロはアグリッパに「自分のことを話してよろしい」と言われて話し始めました。2節、
そうしてパウロは復活したイエス様が自分に現れた時のことを話しました。その時、パウロはイエス様を信じる者たちを激しく迫害していました。9節から11節、
そうしてパウロは祭司長たちから権限と委任を受けてダマスコへ向かいました。すると13節と14節、
この時のイエス様の現れ方は、皆が地に倒れるほど強烈でした。そしてイエス様はパウロに言いました。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」イエス様を信じた弟子たちの中にはイエス様がいましたから、サウロはイエス様を迫害していたのでした。「とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い」とは、当時は農耕用の牛を飼いならすのに、とげの付いた棒を用いていたことから来ているようです。この時、パウロはイエス様に屈服させられて、主人に仕える牛のように、イエス様に仕える者とされました。15節と16節、
イエス様はパウロに現れて、この強烈な体験の証人になるように言いました。そして17節と18節、
このようにイエス様はパウロに、これからすべき役割を与えました。こういうわけで19節と20節、
こうしてパウロは、ユダヤ人だけでなく異邦人にもイエス・キリストの福音を宣べ伝えました。パウロは、地域的にヨーロッパ方面にまで伝道の範囲を広げたということだけでなく、割礼派の人々と激しく戦った点で大きな働きがありました。
割礼派の人々とは、異邦人もユダヤ人と同じように律法を守って割礼を受けなければ救われないと主張していた人々のことです。単にイエス・キリストを信じるだけでは救われず、律法を守る必要があると主張していました。しかしパウロは、人はイエス・キリストを信じる信仰によって神様に義と認められるのであって、律法の行いによっては救われないと主張して反論しました。かつてはクリスチャンを激しく迫害していたパウロの激しさをイエス様は用いたということなのでしょう。
異邦人も律法を守らなければ救われないということであれば、キリスト教が広く世界に広がることは無かったでしょう。この点において、パウロはキリスト教伝道にどうしても必要な人材でした、それゆえに強烈な方法で回心へと導かれたのではないでしょうか。
②力を振るうパウロを屈服させた主の圧倒的な顕現
パウロの考え方、すなわち律法を守らなくてもイエス・キリストを信じさえすれば神様に義と認められるという考え方は、当時のユダヤ人たちにとっては、とうてい受け入れがたい過激な考え方でした。しかし、パウロは一切妥協しないで、この過激な考えを主張し貫きました。ガラテヤ人への手紙2章16節でパウロはこのように書いています(週報p.2)。
ユダヤ人にとっては律法を行うことで神様に義と認められることは、あまりにも当たり前のことで疑う余地のないことだったでしょう。かつてイスラエルの北王国と南王国は律法を守らなかったために、滅ぼされてしまい、人々は捕囚として外国に引かれて行ってしまいました。その祖先の苦い経験がありましたから、ユダヤ人にとっては律法を守るべきことは当たり前のことでした。それゆえ異邦人も当然律法を守るべきだと考えました。しかし、パウロはそれをくつがえしました。ガラテヤ2:16でパウロは「人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められる」と書きました。
パウロは神の大きさの前では人の行いなど小さ過ぎて無いに等しいことをよく知っていました。それはパウロがそのことをダマスコ途上でのイエス様の圧倒的な顕現によって嫌と言うほど思い知らされたからではないでしょうか。ダマスコ途上でイエス様と出会ったパウロはそれから3日間、目が見えなくなってしまいました。それゆえパウロは人々に手を引かれてダマスコに入りました。それまで目がよく見えていた人が急に視力を失ったら、まったくの無力になります。パウロは見えなくなる直前までは力に頼る人でした。イエス様を信じる者たちを暴力的な方法で捕らえて迫害していました。そのための権限を祭司長たちから与えられて暴力をふるっていました。そんなパウロでしたが、突然目が見えなくなったことで、まったくの無力になってしまいました。
そうして、イエス様に「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い」と語り掛けられました。とげの付いた棒とは、先ほども言ったように、農耕用の牛を飼いならすために用いる棒だそうです。まだ飼いならされていない牛は主人に抵抗して蹴ろうとしますが、牛はかえって痛い思いをします。
イエス様を信じる者たちを迫害していた頃のパウロは、まだ飼いならされていない暴れ牛だったということでしょう。パウロは圧倒的な力を持つイエス・キリストの力にねじ伏せられて、屈服させられました。パウロは全面降伏するしかありませんでした。そうして、パウロはイエス・キリストを宣べ伝える者へと変えられました。
③パウロへのイエスの顕現を信じてイエスを信じる
今回、イエス様が暴れ牛のパウロをねじ伏せるようにして圧倒的な現れ方をしたことを改めて思い巡らしていて、もしイエス様のパウロへの現れ方がエマオへ向かう弟子たちに現れた時のようなマイルドなものだったら、仮にイエス様を信じたとしてもパウロもまた割礼派になっていたのではないかと思いました。
しかしパウロは人間の小さな行いなど神様の御前ではゼロに等しい全くの無力なものなのだということを思い知らされて、律法の行いでは決して救われないことが分かったのだろうと思いました。
そうしてパウロは、ダマスコ途上でのイエス様との強烈な出会いを人々に証し続けました。それはルカの心にも深く刻み込まれました。ルカが使徒の働きに三度もパウロのこの強烈な体験を書いたのも、それゆえでしょう。もしかしたらルカはパウロが語ったこの体験を通してルカ自身もイエス様と出会い、イエス様を信じたのかもしれません。
かく言う私が正にそうでした。私はパウロの証言を信じることでイエス様を信じました。私の信仰は福音書のイエス様を信じることで始まったわけではなくパウロの証言したイエス様を信じたことで始まりました。それを神様は義と認めて下さったのだろうと思っています。私が福音書のイエス様に親しみを感じるようになったのはずっと後のことで、私はパウロを通してイエス様に出会いました。
以前も話したことがありますが、20年前の2001年の8月に私が初めて高津教会を訪れた日は、藤本先生によるガラテヤ人への手紙の講解説教の初日でした。その説教で藤本先生は、信仰に熱心になればなるほど逆に神様から離れることがあるという逆説を語りました。ユダヤ人たちは熱心に信仰に励んでいました。それはとても尊いことです。しかし熱心になり過ぎて、律法を守ることに熱心になり、形式主義的になっていました。そういう形式主義に陥ると、神様から離れてしまうことになります。
現代のキリスト教会においても同様です。礼拝に出席することはもちろん大切ですが、それをあまりに重視しすぎると、礼拝に出席しさえすれば良いという形式主義に陥ってしまいます。それでは礼拝はつまらないものになってしまい、神様からも離れていってしまいます。
このように信仰に熱心になればなるほど逆に神様から離れてしまうことがあるという逆説に興味を持った私は、次の週も礼拝に行って、ガラテヤ人への手紙の説教の続きを聞くことにしました。そうして次の週に語られたのが、イエス様がパウロに強烈な形で現れたダマスコ途上の出来事でした。パウロはこの強烈な体験によって、イエス様の弟子たちを迫害する者から、イエス様を宣べ伝える者に変えられたという話を聞きました。そして私は、その話を素直に信じました。
人の人生が180度変わるなどということは、滅多にあることではありません。もしあるとしたら、よほどの出来事が必要です。そのよほどの出来事が、パウロにとっては復活したイエス・キリストとの強烈な出会いであったということを、私は素直に信じました。
ですから私はイエス・キリストの復活も、パウロを通して信じました。パウロという一人の人の人生が大きく変えられた、その直接の原因が復活したイエス・キリストとの出会いであったというのなら、それは信じるよりほかないだろうと思います。
復活のような科学的ではないことは信じられないという話をよく聞きます。では科学的なことなら何でも簡単に信じられるでしょうか?皆さんは、海の潮の満ち引き、満潮と干潮がどうして起きるか知っていますか?それは海水が月の引力に引っ張られているからです。月に面している方の海水は月に引っ張られているから満潮になります。ということは、私たちの体も月に引っ張られているということです。その引力に私たちは気付いていませんが、実は海の水を引っ張り上げるほどに大きな力です。そして私たちの体も、地球からずっと遠くに離れている月に引っ張られています。とても信じがたいことですが、科学ではそういうことになっています。
こういう信じがたいこと、すなわち私たちの体も海水と同じように月に引っ張られていることが信じられるなら、パウロの人生を大きく変えた復活したイエス様との出会いを信じても少しもおかしくないだろうと思います。
21世紀の私でも聖書に書かれているパウロの証言を通してイエス様の復活を信じましたから、1世紀にパウロから直接証言を聞いた人々はもっと心を動かされて、多くの異邦人たちがイエス様の復活を信じたことと思います。ただし、律法に縛られていたユダヤ人たちはイエス様が神の子キリストであることを、なかなか信じようとしませんでしたから、パウロはそのことを嘆いていました。ユダヤ人たちの多くは律法に縛られていて、律法から自由になっていたパウロのことばを信じることができないでいました。
おわりに
最後に、パウロに強烈な形で現れたイエス様は、私たちについては、どう思ってらっしゃるのか?ということを考えたいと思います。
イエス様はエマオへ向かう二人の弟子にソフトな形で現れました。しかし、パウロに対しては強烈な形で現れました。イエス様は本当に必要な時には、このような強烈な形で現れるのですね。
イエス様は大抵の場合は柔らかい形で私たちに近づきます。この会堂の入口の上にある絵にあるように、イエス様は私たちの心の扉を叩いて下さいました。イエス様はほとんどの場合、こういうソフトな形で私たちに近づいて下さいます。しかし、パウロの場合には、もっと乱暴に扉を叩き壊して中にいるパウロを強引に外に引きずり出して、屈服させました。暴れ牛をとげの付いた棒で飼いならすような手荒い方法でイエス様はパウロに全面降伏を強いました。それは、イエス様にとってパウロがどうしても必要な人材だったからです。イエス様はパウロをどうしても必要としていましたから、手荒い方法でパウロを屈服させました。
では、イエス様は私たちのことは、どうしても必要としてはいないのでしょうか?イエス様は私たちの前にはパウロの時のような強烈な現れ方をしませんでした。私たちはイエス様にとっては、どうでも良い存在なのでしょうか?
そんな筈はありませんね。イエス様は私たちの一人一人の皆を、必要としておられます。そのためには、パウロがどうしても必要でした。パウロを通して私たちを信仰に導くために、パウロがどうしても必要でした。
もしパウロの回心がなければ、パウロとルカとの出会いもありませんでしたから、ルカの福音書も使徒の働きも書かれませんでした。新約聖書にはパウロの手紙が13通も収められています。もし新約聖書にパウロの手紙が載っておらず、ルカの福音書も使徒の働きも載っていなければ、どれだけの人が信仰に導かれたでしょうか?ぜんぜんいないことはないにしても、遥かに少なかったことだけは確かです。私自身もパウロのガラテヤ人への手紙で信仰に導かれましたから、パウロがいなければ信仰を持つことはなかったでしょう。
イエス様は私たち一人一人の全員を必要としておられます。そのためには、どうしてもパウロが必要でした。じゃあ、私たちの一人一人もパウロのように強引に屈服させればいいじゃないかと思う方もいるかもしれません。しかし、イエス様はそのようなことは望んでおられません。一人一人がイエス様のノックの音に応答することを望んでおられます。パウロのように強引にイエス様の側に引き込むことは最小限にとどめるべきです。パウロはそのために選ばれた器でした。イエス様が私たちのためにパウロを召し出して下さったことに、心から感謝したいと思います。
締めくくりとして、週報p.2に載せたガラテヤ2章19節と20節をご一緒に読んで、きょうのメッセージを閉じることにします。
パウロはキリストともに十字架に付けられて、イエス様と一つになっていました。パウロはイエス様が自分の内に生きておられることをはっきりと自覚して、日々を歩んでいました。いま私たちはペンテコステの日に向かって歩んでいます。私たちもパウロのように、イエス様と一つになることができるよう、聖霊に導かれながら日々歩んで行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。
『復活したイエスのパウロへの強烈な顕現』
【使徒の働き26章12~20節】
はじめに
先週は復活したイエス様がエマオへ向かう二人の弟子に現れた箇所を開きました。二人の弟子はその日にあった出来事について話し合っていました。そこにイエス様が近づいて来て彼らと共に歩き始めて、「その話は何のことですか?」と二人に聞きました。このイエス様の現れ方は、きょうのパウロの場合と比べると、かなり柔らかい現れ方でした。パウロの場合はパウロの目が見えなくなるほど強烈なものでした。このイエス様のパウロへの強烈な現れ方は、エマオへ向かう二人の弟子に現れた時とは対照的な現れ方ですから、きょうはこのことについて考えてみたいと思います。
きょうは次の三つのポイントでイエス様がパウロに強烈な形で現れたことを見ることにします。
①異邦人伝道にどうしても必要な人材だったパウロ
②力を振るうパウロを屈服させた主の圧倒的な顕現
③パウロへのイエスの顕現を信じてイエスを信じる
①異邦人伝道にどうしても必要な人材だったパウロ
始めに、イエス様がパウロに現れた場面を確認しておきたいと思います。使徒の働きには、イエス様がパウロに現れた場面が3つも記されています。一つめは使徒9章で、これは客観的な形で書かれています。そして22章と26章にはパウロ自身による証言の形で書かれています。きょう26章を開くことにしたのは、他の2箇所よりもコンパクトにまとまっていて、分かりやすいと思ったからです。
26章でパウロはカイサリアにいました。この約2年前にパウロはエルサレムで捕らえられました。それから、このカイサリアに送られて、囚人として2年間を過ごしていました。そして、27章の1節に「私たちが船でイタリアへ行くことが決まった」とありますから、パウロとルカたちは、27章でローマに向かいます。26章はその直前の場面です。
26章の1節から見て行きます。
使徒26:1 アグリッパはパウロに向かって、「自分のことを話してよろしい」と言った。そこでパウロは、手を差し出して弁明し始めた。
この時、アグリッパ王がカイサリアに来ていました。アグリッパ王というのはヘロデ大王のひ孫です。ヘロデ大王はイエス様が生まれた時に「2歳以下の男の子は皆殺せ」と命令したユダヤの王です。アグリッパはそのヘロデ大王のひ孫でした。パウロはアグリッパに「自分のことを話してよろしい」と言われて話し始めました。2節、
2 「アグリッパ王よ。私がユダヤ人たちに訴えられているすべてのことについて、今日、王様の前で弁明できることを幸いに思います。」
そうしてパウロは復活したイエス様が自分に現れた時のことを話しました。その時、パウロはイエス様を信じる者たちを激しく迫害していました。9節から11節、
9 実は私自身も、ナザレ人イエスの名に対して、徹底して反対すべきであると考えていました。
10 そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を受けた私は、多くの聖徒たちを牢に閉じ込め、彼らが殺されるときには賛成の票を投じました。
11 そして、すべての会堂で、何度も彼らに罰を科し、御名(みな)を汚すことばを無理やり言わせ、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを迫害して行きました。
10 そして、それをエルサレムで実行しました。祭司長たちから権限を受けた私は、多くの聖徒たちを牢に閉じ込め、彼らが殺されるときには賛成の票を投じました。
11 そして、すべての会堂で、何度も彼らに罰を科し、御名(みな)を汚すことばを無理やり言わせ、彼らに対する激しい怒りに燃えて、ついには国外の町々にまで彼らを迫害して行きました。
そうしてパウロは祭司長たちから権限と委任を受けてダマスコへ向かいました。すると13節と14節、
13 その途中のこと、王様、真昼に私は天からの光を見ました。それは太陽よりも明るく輝いて、私と私に同行していた者たちの周りを照らしました。
14 私たちはみな地に倒れましたが、そのとき私は、ヘブル語で自分に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い。』
14 私たちはみな地に倒れましたが、そのとき私は、ヘブル語で自分に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い。』
この時のイエス様の現れ方は、皆が地に倒れるほど強烈でした。そしてイエス様はパウロに言いました。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」イエス様を信じた弟子たちの中にはイエス様がいましたから、サウロはイエス様を迫害していたのでした。「とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い」とは、当時は農耕用の牛を飼いならすのに、とげの付いた棒を用いていたことから来ているようです。この時、パウロはイエス様に屈服させられて、主人に仕える牛のように、イエス様に仕える者とされました。15節と16節、
15 私が『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、主はこう言われました。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
16 起き上がって自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たことや、わたしがあなたに示そうとしていることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。
16 起き上がって自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たことや、わたしがあなたに示そうとしていることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。
イエス様はパウロに現れて、この強烈な体験の証人になるように言いました。そして17節と18節、
17 わたしは、あなたをこの民と異邦人の中から救い出し、彼らのところに遣わす。
18 それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』
18 それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。』
このようにイエス様はパウロに、これからすべき役割を与えました。こういうわけで19節と20節、
19 こういうわけで、アグリッパ王よ、私は天からの幻に背かず、
20 ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤ地方全体に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えてきました。
20 ダマスコにいる人々をはじめエルサレムにいる人々に、またユダヤ地方全体に、さらに異邦人にまで、悔い改めて神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするようにと宣べ伝えてきました。
こうしてパウロは、ユダヤ人だけでなく異邦人にもイエス・キリストの福音を宣べ伝えました。パウロは、地域的にヨーロッパ方面にまで伝道の範囲を広げたということだけでなく、割礼派の人々と激しく戦った点で大きな働きがありました。
割礼派の人々とは、異邦人もユダヤ人と同じように律法を守って割礼を受けなければ救われないと主張していた人々のことです。単にイエス・キリストを信じるだけでは救われず、律法を守る必要があると主張していました。しかしパウロは、人はイエス・キリストを信じる信仰によって神様に義と認められるのであって、律法の行いによっては救われないと主張して反論しました。かつてはクリスチャンを激しく迫害していたパウロの激しさをイエス様は用いたということなのでしょう。
異邦人も律法を守らなければ救われないということであれば、キリスト教が広く世界に広がることは無かったでしょう。この点において、パウロはキリスト教伝道にどうしても必要な人材でした、それゆえに強烈な方法で回心へと導かれたのではないでしょうか。
②力を振るうパウロを屈服させた主の圧倒的な顕現
パウロの考え方、すなわち律法を守らなくてもイエス・キリストを信じさえすれば神様に義と認められるという考え方は、当時のユダヤ人たちにとっては、とうてい受け入れがたい過激な考え方でした。しかし、パウロは一切妥協しないで、この過激な考えを主張し貫きました。ガラテヤ人への手紙2章16節でパウロはこのように書いています(週報p.2)。
ガラテヤ2:16 人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められると知って、私たちもキリスト・イエスを信じました。律法を行うことによってではなく、キリストを信じることによって義と認められるためです。というのは、肉なる者はだれも、律法を行うことによっては義と認められないからです。
ユダヤ人にとっては律法を行うことで神様に義と認められることは、あまりにも当たり前のことで疑う余地のないことだったでしょう。かつてイスラエルの北王国と南王国は律法を守らなかったために、滅ぼされてしまい、人々は捕囚として外国に引かれて行ってしまいました。その祖先の苦い経験がありましたから、ユダヤ人にとっては律法を守るべきことは当たり前のことでした。それゆえ異邦人も当然律法を守るべきだと考えました。しかし、パウロはそれをくつがえしました。ガラテヤ2:16でパウロは「人は律法を行うことによってではなく、ただイエス・キリストを信じることによって義と認められる」と書きました。
パウロは神の大きさの前では人の行いなど小さ過ぎて無いに等しいことをよく知っていました。それはパウロがそのことをダマスコ途上でのイエス様の圧倒的な顕現によって嫌と言うほど思い知らされたからではないでしょうか。ダマスコ途上でイエス様と出会ったパウロはそれから3日間、目が見えなくなってしまいました。それゆえパウロは人々に手を引かれてダマスコに入りました。それまで目がよく見えていた人が急に視力を失ったら、まったくの無力になります。パウロは見えなくなる直前までは力に頼る人でした。イエス様を信じる者たちを暴力的な方法で捕らえて迫害していました。そのための権限を祭司長たちから与えられて暴力をふるっていました。そんなパウロでしたが、突然目が見えなくなったことで、まったくの無力になってしまいました。
そうして、イエス様に「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。とげの付いた棒を蹴るのは、あなたには痛い」と語り掛けられました。とげの付いた棒とは、先ほども言ったように、農耕用の牛を飼いならすために用いる棒だそうです。まだ飼いならされていない牛は主人に抵抗して蹴ろうとしますが、牛はかえって痛い思いをします。
イエス様を信じる者たちを迫害していた頃のパウロは、まだ飼いならされていない暴れ牛だったということでしょう。パウロは圧倒的な力を持つイエス・キリストの力にねじ伏せられて、屈服させられました。パウロは全面降伏するしかありませんでした。そうして、パウロはイエス・キリストを宣べ伝える者へと変えられました。
③パウロへのイエスの顕現を信じてイエスを信じる
今回、イエス様が暴れ牛のパウロをねじ伏せるようにして圧倒的な現れ方をしたことを改めて思い巡らしていて、もしイエス様のパウロへの現れ方がエマオへ向かう弟子たちに現れた時のようなマイルドなものだったら、仮にイエス様を信じたとしてもパウロもまた割礼派になっていたのではないかと思いました。
しかしパウロは人間の小さな行いなど神様の御前ではゼロに等しい全くの無力なものなのだということを思い知らされて、律法の行いでは決して救われないことが分かったのだろうと思いました。
そうしてパウロは、ダマスコ途上でのイエス様との強烈な出会いを人々に証し続けました。それはルカの心にも深く刻み込まれました。ルカが使徒の働きに三度もパウロのこの強烈な体験を書いたのも、それゆえでしょう。もしかしたらルカはパウロが語ったこの体験を通してルカ自身もイエス様と出会い、イエス様を信じたのかもしれません。
かく言う私が正にそうでした。私はパウロの証言を信じることでイエス様を信じました。私の信仰は福音書のイエス様を信じることで始まったわけではなくパウロの証言したイエス様を信じたことで始まりました。それを神様は義と認めて下さったのだろうと思っています。私が福音書のイエス様に親しみを感じるようになったのはずっと後のことで、私はパウロを通してイエス様に出会いました。
以前も話したことがありますが、20年前の2001年の8月に私が初めて高津教会を訪れた日は、藤本先生によるガラテヤ人への手紙の講解説教の初日でした。その説教で藤本先生は、信仰に熱心になればなるほど逆に神様から離れることがあるという逆説を語りました。ユダヤ人たちは熱心に信仰に励んでいました。それはとても尊いことです。しかし熱心になり過ぎて、律法を守ることに熱心になり、形式主義的になっていました。そういう形式主義に陥ると、神様から離れてしまうことになります。
現代のキリスト教会においても同様です。礼拝に出席することはもちろん大切ですが、それをあまりに重視しすぎると、礼拝に出席しさえすれば良いという形式主義に陥ってしまいます。それでは礼拝はつまらないものになってしまい、神様からも離れていってしまいます。
このように信仰に熱心になればなるほど逆に神様から離れてしまうことがあるという逆説に興味を持った私は、次の週も礼拝に行って、ガラテヤ人への手紙の説教の続きを聞くことにしました。そうして次の週に語られたのが、イエス様がパウロに強烈な形で現れたダマスコ途上の出来事でした。パウロはこの強烈な体験によって、イエス様の弟子たちを迫害する者から、イエス様を宣べ伝える者に変えられたという話を聞きました。そして私は、その話を素直に信じました。
人の人生が180度変わるなどということは、滅多にあることではありません。もしあるとしたら、よほどの出来事が必要です。そのよほどの出来事が、パウロにとっては復活したイエス・キリストとの強烈な出会いであったということを、私は素直に信じました。
ですから私はイエス・キリストの復活も、パウロを通して信じました。パウロという一人の人の人生が大きく変えられた、その直接の原因が復活したイエス・キリストとの出会いであったというのなら、それは信じるよりほかないだろうと思います。
復活のような科学的ではないことは信じられないという話をよく聞きます。では科学的なことなら何でも簡単に信じられるでしょうか?皆さんは、海の潮の満ち引き、満潮と干潮がどうして起きるか知っていますか?それは海水が月の引力に引っ張られているからです。月に面している方の海水は月に引っ張られているから満潮になります。ということは、私たちの体も月に引っ張られているということです。その引力に私たちは気付いていませんが、実は海の水を引っ張り上げるほどに大きな力です。そして私たちの体も、地球からずっと遠くに離れている月に引っ張られています。とても信じがたいことですが、科学ではそういうことになっています。
こういう信じがたいこと、すなわち私たちの体も海水と同じように月に引っ張られていることが信じられるなら、パウロの人生を大きく変えた復活したイエス様との出会いを信じても少しもおかしくないだろうと思います。
21世紀の私でも聖書に書かれているパウロの証言を通してイエス様の復活を信じましたから、1世紀にパウロから直接証言を聞いた人々はもっと心を動かされて、多くの異邦人たちがイエス様の復活を信じたことと思います。ただし、律法に縛られていたユダヤ人たちはイエス様が神の子キリストであることを、なかなか信じようとしませんでしたから、パウロはそのことを嘆いていました。ユダヤ人たちの多くは律法に縛られていて、律法から自由になっていたパウロのことばを信じることができないでいました。
おわりに
最後に、パウロに強烈な形で現れたイエス様は、私たちについては、どう思ってらっしゃるのか?ということを考えたいと思います。
イエス様はエマオへ向かう二人の弟子にソフトな形で現れました。しかし、パウロに対しては強烈な形で現れました。イエス様は本当に必要な時には、このような強烈な形で現れるのですね。
イエス様は大抵の場合は柔らかい形で私たちに近づきます。この会堂の入口の上にある絵にあるように、イエス様は私たちの心の扉を叩いて下さいました。イエス様はほとんどの場合、こういうソフトな形で私たちに近づいて下さいます。しかし、パウロの場合には、もっと乱暴に扉を叩き壊して中にいるパウロを強引に外に引きずり出して、屈服させました。暴れ牛をとげの付いた棒で飼いならすような手荒い方法でイエス様はパウロに全面降伏を強いました。それは、イエス様にとってパウロがどうしても必要な人材だったからです。イエス様はパウロをどうしても必要としていましたから、手荒い方法でパウロを屈服させました。
では、イエス様は私たちのことは、どうしても必要としてはいないのでしょうか?イエス様は私たちの前にはパウロの時のような強烈な現れ方をしませんでした。私たちはイエス様にとっては、どうでも良い存在なのでしょうか?
そんな筈はありませんね。イエス様は私たちの一人一人の皆を、必要としておられます。そのためには、パウロがどうしても必要でした。パウロを通して私たちを信仰に導くために、パウロがどうしても必要でした。
もしパウロの回心がなければ、パウロとルカとの出会いもありませんでしたから、ルカの福音書も使徒の働きも書かれませんでした。新約聖書にはパウロの手紙が13通も収められています。もし新約聖書にパウロの手紙が載っておらず、ルカの福音書も使徒の働きも載っていなければ、どれだけの人が信仰に導かれたでしょうか?ぜんぜんいないことはないにしても、遥かに少なかったことだけは確かです。私自身もパウロのガラテヤ人への手紙で信仰に導かれましたから、パウロがいなければ信仰を持つことはなかったでしょう。
イエス様は私たち一人一人の全員を必要としておられます。そのためには、どうしてもパウロが必要でした。じゃあ、私たちの一人一人もパウロのように強引に屈服させればいいじゃないかと思う方もいるかもしれません。しかし、イエス様はそのようなことは望んでおられません。一人一人がイエス様のノックの音に応答することを望んでおられます。パウロのように強引にイエス様の側に引き込むことは最小限にとどめるべきです。パウロはそのために選ばれた器でした。イエス様が私たちのためにパウロを召し出して下さったことに、心から感謝したいと思います。
締めくくりとして、週報p.2に載せたガラテヤ2章19節と20節をご一緒に読んで、きょうのメッセージを閉じることにします。
ガラテヤ2:19 しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。
20 もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。
20 もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは、私を愛し、私のためにご自分を与えてくださった、神の御子に対する信仰によるのです。
パウロはキリストともに十字架に付けられて、イエス様と一つになっていました。パウロはイエス様が自分の内に生きておられることをはっきりと自覚して、日々を歩んでいました。いま私たちはペンテコステの日に向かって歩んでいます。私たちもパウロのように、イエス様と一つになることができるよう、聖霊に導かれながら日々歩んで行きたいと思います。
お祈りいたしましょう。