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一粒のタイル2

平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるからです。(マタイ5:9)

ヨブの受難(2018.9.9 礼拝)

2018-09-09 17:41:08 | 礼拝メッセージ
2018年9月9日礼拝メッセージ
『ヨブの受難』
【ヨブ1:18~22】

はじめに
 きょうから何回か、ヨブ記を開くことにします。ヨブは耐え難い苦痛、それも精神的な苦痛と肉体的な苦痛の両方を受けました。その苦しみの中でヨブの信仰はどのようであったか、ヨブの言葉と友人たちの言葉を読みながら考え、そしてまたヨブの苦しみの声に対して神様がどのように応えられたのかを共に学んで行きたいと思います。

多くの災害にみまわれた日本
 今年、日本列島は本当に多くの自然災害にみまわれました。1月には草津白根山が噴火してスキー場で訓練中だった陸上自衛隊員が噴石の直撃を受けて死亡しました。2月には北陸地方で大雪が降り、国道で多くの車が何昼夜にも亘って立ち往生してしまったことが報じられていました。屋根の雪下ろし中の事故も多く起きました。
 6月には大阪で大きな地震があって小学校のブロック塀が倒壊し、登校して来た小学校4年生の女児が下敷きになって死亡したことは記憶に新しいところです。そして、その悲しみもまだ癒えない7月の初めに岡山・広島・愛媛等で豪雨による大災害が起きました。この7月と8月は各地で豪雨の被害、台風の被害が多発しました。そうして9月に入ってからは台風21号と北海道の大地震によって甚大な被害がありました。先週の9月2日の日曜日の時点では台風21号はまだ遥か南方にあって何の被害の報告もありませんでした。それが火曜日から水曜日に掛けて各地で強風による被害をもたらしました。私たちは車が強風によって横倒しになる映像をテレビやネットで見ました。また建物の屋根が飛ばされる様子や、街路樹や電柱がなぎ倒しになっている映像も見ました。関西空港が水没して高潮の被害がいかに恐ろしいものであるかも知りました。また同じ台風21号が東北・北海道にも強風の被害をもたらし、農作物などにも甚大な被害がありました。この台風被害は先週の火曜日と水曜日のことで、関西空港は再開の見通しが立っていませんでしたから木曜日はこのニュースで持ちきりになることが予想されました。しかし、その予想は裏切られて木曜日の朝の3時過ぎに北海道で大地震が起こり、この日のニュースは地震一色になり、台風21号の被害の続報は少ししか報じられませんでした。このように今年の日本は次から次へと災害にみまわれています。
 これらの災害に遭った被災地の方々は大変な苦しみの中にあります。そしてヨブ記のヨブもまた大変な苦しみを味わいました。また私たちの教会もまた大きな痛みを経験し、今も困難の中にありますから、今回ご一緒にヨブ記を味わうことで、とても大切なことを皆で学ぶことができるかもしれないと感じています。

財産をすべて失ったヨブ
 それではヨブ記の学びに入って行きます。ヨブ記の全体は42章から成る大変に長いものですが、その大半はヨブと彼の友人たちとの言葉のやり取りで占められています。このヨブと友人たちとの言葉のやり取りは、(読み方にもよりますが)3章から始まって37章まで続きます。そして38章から41章までは主のことばがあり、最後の42章には、苦しみから解放されたヨブのその後についてが、描かれています。
 きょうは1章と2章のヨブに災いが及ぶことになった顛末を学ぶことにします。しかし、ここで終わってしまうと、ヨブ記をまだ読んだことがない方にとっては得るものが少ないと思いますから、ヨブのその後のことについても簡単に触れるようにしたいと思います。
 1章1節から見て行きましょう。

1:1 ウツの地に、その名をヨブという人がいた。この人は誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていた。

 ヨブは誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっていました。またヨブは七人の息子と三人の娘に恵まれ、羊やらくだ、牛などを多く持つ大変な有力者でした。そして、5節にあるようにヨブは息子たちのために全焼の捧げ物を、第3版では「全焼のいけにえ」となっていましたが、ささげていました。ヨブは、「もしかすると、息子たちが罪に陥って、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからで、ヨブはいつもこのようにしていたということです。この「心の中で神を呪う」ことの罪は、一つの大きなポイントであろうと思います。
 さて、ある日、主の前にサタンがやって来ました。主はサタンに言いました。8節です、

「おまえは、わたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。」

 するとサタンは主に言いました。9節から11節です。

「ヨブは理由もなく神を恐れているのでしょうか。あなたが、彼の周り、彼の家の周り、そしてすべての財産の周りに、垣を巡らされたのではありませんか。あなたが彼の手のわざを祝福されたので、彼の家畜は地に増え広がっているのです。しかし、手を伸ばして、彼のすべての財産を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」

 つまり、主がヨブを祝福しているから、ヨブは神を恐れて信仰を保っているのであって、もし彼から財産を奪ってしまえばヨブはきっと神を呪うだろうと、サタンは主に言っているわけです。
 すると主はサタンに言いました。

「では、彼の財産をすべておまえの手に任せる。ただし、彼自身には手を伸ばしてはならない。」

 主はサタンがヨブに災いを及ぼすことを許しました。それでサタンはヨブが飼っている家畜たちを彼から奪い、また焼き滅ぼし、挙句の果てには彼の息子たちと娘たちも殺してしまいました。
 どうして、こんなにひどい災いがヨブに及んだのか、主とサタンとのやり取りの場面を読んだ読者の私たちには事情が分かっています。しかし、ヨブには全然分かっていません。こんなにひどいことがあったら、神を呪ってもおかしくはないでしょう。しかし、ヨブは違いました。20節と21節、

1:20 このとき、ヨブは立ち上がって上着を引き裂き、頭を剃り、地にひれ伏して礼拝し、
1:21 そして言った。「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう。は与え、は取られる。の御名はほむべきかな。」

 ヨブは「私は裸で母の胎から出て来た。また裸でかしこに帰ろう」と言いました。何も持たずに生まれて来たのだから、最初の状態に戻っただけだというわけですね。
「主は与え、主は取られる」とヨブは言いましたから、これまでの財産のすべては主が与えて下さったという信仰にヨブは堅く立っていました。そして、何とヨブは「主の御名はほむべきかな」と主を褒め称えました。すごい信仰ですね。そして22節、

1:22 ヨブはこれらすべてのことにおいても、罪に陥ることなく、神に対して愚痴をこぼすようなことはしなかった。

 本当に素晴らしい信仰だと思います。さてしかし、ヨブの信仰が素晴らしいことは良いとしても、ヨブの信仰を試すために殺されてしまった息子や娘たちは、あまりにも気の毒ではないかという気にならないでしょうか。これは私の個人的な考えですが、主はこの息子たちと娘たちの死後の魂にしっかりと寄り添って下さっているだろうと思っています。そうでなければ、息子たちと娘たちはあまりにも気の毒です。しかし、これはヨブ記の本質とは関係ありませんから、この件については、以降は考えないことにします。

全身を腫れ物で打たれたヨブ
 次に2章を見ましょう。サタンが再び来て、主の前に立ちました。主はサタンに言いました。3節から見ます。

「おまえはわたしのしもべヨブに心を留めたか。彼のように、誠実で直ぐな心を持ち、神を恐れて悪から遠ざかっている者は、地上には一人もいない。彼はなお、自分の誠実さを堅く保っている。おまえは、わたしをそそのかして彼に敵対させ、理由もなく彼を吞み尽くそうとしたが。」

 するとサタンは主に言い返しました。5節、

「手を伸ばして、彼の骨と肉を打ってみてください。彼はきっと、面と向かってあなたを呪うに違いありません。」

 そこで主はサタンに言いました。6節、

「では、彼をおまえの手に任せる。ただ、彼のいのちには触れるな。」

 ここで主はサタンにヨブ自身を打つ許可を与えました。ただし命は取るなと言い添えました。そこでサタンは7節にあるようにヨブを足の裏から頭の頂まで、悪性の腫物で打ちました。ヨブの妻は言いました。

「あなたは、これでもなお、自分の誠実さを堅く保とうとしているのですか。神を呪って死になさい。」
 しかし、ヨブは妻に言いました。10節、

「あなたは、どこかの愚かな女が言うようなことを言っている。私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。」

 そしてヨブは「唇によって罪に陥ることはなかった」とヨブ記は書いています。サタンの予想は外れました。ヨブはなお、神を呪わずにいました。
 さて、そこに友人たちが訪ねて来ました。11節と12節、

2:11 さて、ヨブの三人の友が、ヨブに降りかかったこれらすべてのわざわいのことを聞き、それぞれ自分のところから訪ねて来た。すなわち、テマン人エリファズ、シュアハ人ビルダデ、ナアマ人ツォファルである。彼らはヨブに同情し、慰めようと、互いに打ち合わせて来た。
2:12 彼らは遠くから目を上げて彼を見たが、それがヨブであることが見分けられなかった。彼らは声をあげて泣き、それぞれ自分の上着を引き裂き、ちりを天に向かって投げ、自分の頭の上にまき散らした。

 ここからヨブの状態がいかに悪かったかということが良く分かると思います。続いて13節、

2:13 彼らは彼とともに七日七夜、地に座っていたが、だれも一言も彼に話しかけなかった。彼の痛みが非常に大きいのを見たからである。

 友人たちはヨブに掛けるべき言葉が思い浮かびませんでした。それほどヨブの状態は悪かったということです。

ヨブの嘆きは神への呪いではないのか
 きょうは、ここまでを確認しておいて、次回以降でヨブと友人たちとのやり取り、そして神の言葉を共に見ることにします。
 しかし、ここで終わってしまうとヨブは素晴らしい信仰の持ち主であった、というところで終わってしまうことになります。実はヨブ記はそんなに単純な書ではありません。この後からヨブは延々と嘆きの言葉をつぶやき続けます。これを、どう解釈したら良いかはなかなか難しいところだと思います。それゆえ、私はこれまでヨブ記からの説教を一度もしたことがありませんでした。「ヨブは素晴らしい信仰の持ち主ですから、私たちも皆、ヨブを見習いましょう」というのがヨブ記のメッセージだとしたら、私はとっくの昔にヨブ記からの説教をしていたことと思います。しかし、ヨブ記はそんなに単純ではありません。
 そこで、この問題にも簡単に触れておくことにします。
 3章を見ていただくとヨブはこんなことを言い始めました。1節から3節までをお読みします。

3:1 そのようなことがあった後、ヨブは口を開いて自分の生まれた日を呪った。
3:2 ヨブは言った。
3:3 私が生まれた日は滅び失せよ。「男の子が胎に宿った」と告げられたその夜も。

 苦しんでいたヨブは、自分は生まれて来ないほうが良かったと言って、自分の生まれた日を呪いました。さてしかし、自分の命は神様が与えて下さったものだということをヨブ自身もよく知っています(10:8)。すると、生まれた日を呪うことはヨブを造った神様を呪うことにならないでしょうか?この言葉はアウトではないか?そんな気がしないでもありません。一方、神様を直接呪ったわけではないのだから、これはセーフだという考え方もあると思います。そして、このヨブ記の結末を見るなら、どうやらこれはセーフのようです。これは、旧約聖書の時代の信仰について考える上で、とても興味深いことだと思います。
 ヨブ記からは脱線しますが、伝道者の書の伝道者は「空の空。すべては空。」(伝道者1:2)と言いました。これも考えようによっては命を与えて下さった神を批判しているようにも取ることができます。しかし、これも旧約聖書にあってはセーフのようです。或いはまた、少し前にご一緒に見た、詩篇22篇の詩人の言葉の「わが神 わが神 どうして私をお見捨てになったのですか。私を救わず遠く離れておられるのですか。私のうめきのことばにもかかわらず。」(詩篇22:1)は明らかに神様を直接的に批判しているように取れますね。しかし、これもセーフです。この詩篇22篇の詩人に比べれば、ヨブの「私が生まれた日は滅び失せよ」は、かわいいものなのかもしれません。

神に愛されていたヨブ
 このように嘆くヨブを神様は38章以降で叱り付けます。ヨブ記38章の1節と2節を交代で読みましょう。

38:1 は嵐の中からヨブに答えられた。
38:2 知識もなしに言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。
38:3 さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。
38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。分かっているなら、告げてみよ。

 ここで主はヨブを叱っています。しかし、叱責に加えて神様がヨブを愛している様子もまた感じ取ることができます。主がヨブを愛しておられることは1章と2章からも十分に感じましたが、3章以降でヨブが延々と自分の境遇を嘆き続けたにも関わらず、主はなおヨブを愛していたと感じ取ることができます。
 ヨブがこんなにも神様から愛されたのは何故でしょうか。ヨブ記は不思議な魅力に溢れた書だと思います。これから何週間か、礼拝では共にヨブ記を学ぶことにして、どうしてヨブが神様からこんなに愛されたのかを探っていくことにしたいと思います。
 いま私が感じていることを少しだけ話すと、神様がヨブを愛し続けたのは、ヨブもまた神様を深く愛していたからではないかという気がします。ヨブの叫びからは、自分がこんなにも神様を愛しているのに、どうしてこんな目に遭うのかという悲痛な思いが伝わって来ます。ヨブは神様を恐れていただけではなくて、心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして神様を愛していました。一方、ヨブの友人たちは神様を恐れてはいたものの、ヨブほどには神様を愛していなかった、そんな気がしています。

おわりに
 これからの学びでこれらのことを深めていくことができたらと思います。学びが祝されますよう、また被災地で苦しんでいる方々のために、お祈りいたしましょう。
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