平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

聖書の物語は私の一生の物語

2024-05-06 11:32:08 | 折々のつぶやき
聖書の物語は私の一生の物語
~エデンの園から十字架、そしてパラダイスへ~

 聖書は魅力にあふれた書物です。聖書の物語は他人事として読んでも十分に面白いですが、自分事として読むなら神様からのメッセージが心の奥底に響いて来ます。この素晴らしい恵みを分かち合うために、聖書の物語を「自分の一生の物語」として読むことを、お勧めしたいと思います。聖書は創世記から始まってヨハネの黙示録に至る66書から成り立っています。この「創世記~黙示録」の物語を自分の人生に重ねて読むのです。以下に「私の物語」を、できるだけ短く簡単に記してみます。皆さんの人生の物語も途中はそれぞれ違っても、アダムとエバから始まり十字架を経由してパラダイスに至る道のりは、だいたい同じではないかと思います。

 母の胎の中で形造られた時、私の心は汚れを知りませんでした(創世記1~2章)。しかし生まれた途端(或いは胎児の段階から)、世間の雑音にさらされて汚れ始めます。そうして、エデンの園で蛇にそそのかされたアダムとエバのように神様から離れて行きました(創世記3章)。そんな私を神様は本来の正しい道に連れ戻そうと手を尽くし、憐みによって私は間一髪で滅びを免れて来ました。例えば私はノアの家族の一員として箱舟に乗ることができ、洪水の難を免れました(創世記6~9章)。またアブラハムの甥のロトの家族としてソドムとゴモラへの火炎から逃れました(創世記19章)。

 そして、イスラエルの民がモーセに率いられてエジプトを脱出し(出エジプト記)、その後に神様に逆らった罪でカナンの地に入れなくなった時も(民数記)、当時の私はまだ子どもだったので荒野での滅びを免れて、ヨシュアに率いられてヨルダン川を渡ることができました(ヨシュア記)。

 その後も私は何度も神様に逆らい続けましたが、子どもであったためか、北王国が滅亡した時や南王国が滅亡した時も(列王記第二)、生き延びることができました。そうして大人になった頃、私はイエス・キリストと出会いました。イエス様は私に近づいて来て、次のようにおっしゃいました(ヨハネの福音書1章)。

ヨハネ1:38 「あなたがたは何を求めているのですか。」
39 「来なさい。そうすれば分かります」

 しかし、すぐには従いませんでした。その後、いろいろあって付き従うようになりましたが、付いたり離れたりを繰り返して来たように思います。そうして、前回の記事「苦しみの頂点からパラダイスへ」に書いた十字架に至ります。その時の私はイエス様をののしる側にいるのでしょうか?(ルカの福音書23章)

ルカ23:39 十字架にかけられていた犯罪人の一人は、イエスをののしり、「おまえはキリストではないか。自分とおれたちを救え」と言った。

 それとも、もう一人の犯罪者の側にいるのでしょうか?

ルカ23:40 すると、もう一人が彼をたしなめて言った。「おまえは神を恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。
41 おれたちは、自分のしたことの報いを受けているのだから当たり前だ。だがこの方は、悪いことを何もしていない。」
42 そして言った。「イエス様。あなたが御国に入られるときには、私を思い出してください。」

 しかし、いずれの側にいたとしても、私はイエス様に次のように言っていただけて、パラダイスに行けます。

ルカ23:43 イエスは彼に言われた。「まことに、あなたに言います。あなたは今日、わたしとともにパラダイスにいます。」

 なぜなら、前回の記事で書いたように、次の44節に

ルカ23:44 さて、時はすでに十二時ごろであった。全地が暗くなり、午後三時まで続いた。

と記されていて、イエス様をののしった犯罪人にも悔い改めのための時間が与えられているからです。

 そして、私が行くパラダイスの最終形はヨハネの黙示録21章と22章に記されています。

黙示録21:1 また私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとから、天から降って来るのを見た。
3 私はまた、大きな声が御座から出て、こう言うのを聞いた。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。
4 神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」

 そこに死はなく、悲しみも叫び声も苦しみもありません。さらに、次のようにも書かれています。

黙示録22:1 御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、
2 都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。

 ここで私たちは母の胎の中にいた時のように汚れのない者となり、究極の平安を得ることができます。神様は、信仰の幼い私たちが離れて行っても見捨てずにいて下さり、イエス・キリストを遣わして下さり、パラダイスへと導いて下さいます。この幸いを聖書によって、さらに深く知ることができたらと思います。
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