平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

目撃者がいなくなる時に備えて(2014.11.12 祈り会)

2014-11-13 09:20:57 | 祈り会メッセージ
2014年11月12日祈り会メッセージ
『目撃者がいなくなる時に備えて』
【ヨハネ12:37~43】

はじめに
 早いもので、静岡聖会から1ヶ月が経ってしまいました。こうして慌しく日々を過ごしているうちに、あっという間に2015年を迎えることになりそうです。
 2015年は第二次世界大戦が終わってから70年目の年に当たります。それは、広島と長崎に原爆が投下されてから70年になるということでもあります。原爆投下時に成人であった被爆者の大半は既に亡くなられ、現在生存している被爆者の多くは被爆時に少年少女、或いは乳幼児であった方々です。その方々の高齢化も進んでいますから、いずれは被爆者がいなくなる時が来ます。そこで被爆地の広島と長崎では被爆体験を風化させないための様々な取り組みが為されています。

風化させてはならない被爆体験
 去年の8月にNHKで『かたりべさん』というドラマが放送されました。NHKの広島放送局が製作して全国放映されたものですが、広島市が行っている「被爆体験伝承者養成事業」を取材してドラマ化したものです。被爆体験が無い世代が被爆体験を継承して行くことはとても難しいことだと思いますが、難しいことを承知で困難に立ち向かって行く人々がいるのは、やはり広島・長崎の悲劇を二度と繰り返してはならないという強い気持ちがあるからですね。
 今年の7月に沼津で上映会が行われた『アオギリにたくして』を製作した人たちのエネルギーも大変なものです。この映画は2011年に亡くなった広島の被爆体験の語り部の沼田鈴子さんをモデルにした作品です。沼田さんは原爆被害で片足を失い、婚約者も戦死し、終戦後に付き合い始めた男性も失ってしまうという絶望的な中を通りました。しかし、終戦の翌年の春、被爆したアオギリの木が若芽を吹いたのを見て生きて行く勇気をもらいました。その後は被爆者であることを隠して生きて来ましたが、1982年に原爆被害の記録映画の『にんげんをかえせ』の中に自分が写っていることを知ったのをきっかけにして語り部を始めたという方です。このような沼田さんの生涯をモデルにした『アオギリにたくして』のような映画は商業的には黒字にすることが難しいですから、大手の映画会社が出資することはありませんし、映画館で1週間単位で上映してくれるような所もまずありません。それで、『アオギリにたくして』を製作した人たちは自分たちで資金を集めて、上映も、1日単位の上映会を全国行脚して行うという形態で行っているんですね。それは、沼田鈴子さんのような被爆体験を絶対に風化させてはならないという強い気持ちがあるからで、その熱意とエネルギーは本当にすごいと思います。

イエスの目撃者がいなくなる時に備える
 きょう、どうしてこのような話をしているかというと、ヨハネの福音書が執筆された背景にも、同様の事情がありそうだということを私はこのところ、強く感じるようになったからです。同様の事情というのは、ヨハネの福音書が書かれた時期が、十字架からだいたい60年後から70年後ぐらいの時期だということです。十字架の出来事が紀元30年頃で、ヨハネの福音書が書かれたのは紀元90年代だろうと多くの聖書学者が考えていますから、原爆投下から70年が経とうとしている今とだいたい同じような時期にヨハネの福音書は書かれたということになります。それはつまり、地上生涯のイエス・キリストを見た目撃者が、間もなくいなくなる時期であるということです。そういう目でヨハネの福音書を読み返してみると、ヨハネの福音書が書かれた背景には、このような目撃者が間もなくいなくなるという事情がかなり文章の中に反映されていることに気づきます。
 もちろんヨハネの福音書が書かれた背景にはもっといろいろな事情が含まれていることと思います。ユダヤ教との関係や、グノーシスなどの異端との関係もあるでしょう。ただし、それらのユダヤ教や異端などとの関係はその方面の専門家でないと論じるのは難しいです。その方面では素人の私が専門書を何冊か読んだぐらいの生半可の知識で論じても、良い結果にはつながらないことはハッキリしていますから、それらの領域には下手に立ち入らないほうが安全です。
 一方、原爆体験の継承の問題とイエスについての証言の継承の問題を絡めてヨハネの福音書を論じることは、素人でもできることです。もしヨハネの福音書の執筆年代がもっと早かった筈とかもっと遅かった筈だとかで論争になっているようでしたら、これもまた素人では参入しにくい問題になってしまいます。しかし、ヨハネの福音書は紀元90年代に書かれたであろうと多くの聖書学者が考え、しかもヨハネの福音書からはイエスの直接の目撃者が間もなくいなくなるという臭いがプンプンと漂って来ますから大丈夫です。私は原爆体験の継承の問題とイエスについての証言の継承の問題を絡めて論じる仕事は、戦後70年という節目の年に私たち日本人がどうしてもやらなければならないことだろうと、今強く思っています。これこそが私たち日本人が果たすべき使命ではないかという気がしています。そしてもし、この気運が高まって行くなら、この教会の会堂問題にも良い影響を及ぼすだろうと思います。

見ずに信じる者は幸い
 さてでは、イエスの目撃者が間もなくいなくなるという雰囲気が、ヨハネの福音書のどういうところに漂っているのかについて、残りの時間で少し説明したいと思います。先ず、一つは、これは復習になりますが、イエスさまが20章の最後のほうでトマスに言った、

「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

という言葉ですね。ヨハネの福音書は20章で一旦閉じる形になっていますから、このイエスさまのトマスへの言葉は、ヨハネの福音書におけるイエスさまの最後の言葉です。ですから、この言葉は、格別に重く受け取るべきだと思います。
 イエスさまを直接見た目撃者がいなくなったら、あとはイエスさまについて書かれた福音書の証言を信じるか、復活したイエス・キリストに出会ったというクリスチャンの証言を信じるしかありません。私たち現代のクリスチャンも復活したイエスさまに出会っていますが、復活して天に上った後のイエスさまは目に見えませんから、イエスを信じていない人に私は復活したイエスに出会ったと言っても信じてもらうのは、難しいですね。その難しさがわかっていたからこそ、イエスさまはヨハネの福音書の最後で、

「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」

とおっしゃったと解釈することができます。

カミングアウトした者たち
 それから今日の聖書箇所のヨハネ12章の記事の特に42節と43節については、現代の広島・長崎の語り部と重ねて考えてみると、とても興味深いと思います。42節と43節、

12:42 しかし、それにもかかわらず、指導者たちの中にもイエスを信じる者がたくさんいた。ただ、パリサイ人たちをはばかって、告白はしなかった。会堂から追放されないためであった。
12:43 彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである。

 ユダヤ人の指導者たちの多くもイエスを信じていたことが、だいぶ後になってから、わかったということですね。イエスを信じていることを隠していることに良心の呵責を感じて、人生の晩年になって告白した者たちが大勢いたのではないでしょうか。広島・長崎の被爆者でも、自分が被爆者であることを隠していた人が大勢いたということです。その理由を、私は十分に理解しているわけではありませんが、たとえば被爆者とは結婚させないという結婚の問題があったでしょう。また、何かが上手くできなかったり鈍かったりすると、それは放射線を浴びたせいだとか、何でも被爆のせいにされるという苦痛もあったことでしょう。そのような差別や偏見は被爆者本人だけでなく家族にも及びますから、被爆者であることを隠していたほうが嫌な目に会わずに済むということがあったでしょう。この被爆者の差別の問題は、ヨハネ12章42節の、「会堂から追放されないためであった」という記述と、よく重なって来ます。
 1900年前に書かれたヨハネの福音書と被爆者とを重ねることに、どれほどの意味があるのかと考える人もいるかもしれませんが、私は大いに意味があると思います。聖書の出来事は現代の私たちの身近な出来事と重なることが驚くほど多いからこそ学ぶ価値があるのだと思います。そして、現代と重ねることで、聖書の理解も却って進みます。43節の「彼らは、神からの栄誉よりも、人の栄誉を愛したからである」という書き方は、イエスさまを信じたユダヤ人の指導者たちに対して随分と厳しいように見えますが、私はこの箇所はニコデモと重ねてあるから、このような厳しい書き方になっているのだろうと考えます。3章でイエスさまはニコデモに厳しいことを言っていますが、イエスさまのニコデモへの愛もまた感じます。ですから12章43節の厳しい書き方もニコデモのことを考えるなら、厳しい中にも愛がある言葉だと受け取るべきだろうと思います。
 晩年になって被爆体験について語り始めた被爆者とニコデモとを重ねてみると、また違った思いでニコデモを見ることができます。ニコデモも晩年になってイエスを信じたことを告白したのでしょうか。

信じた後に理解が深まる罪の重さ
 私たちクリスチャンは自分の罪深さに気付き、罪を悔い改めてイエス・キリストを信じたということになっていますが、罪のことが本当にわかって来るのは、むしろ信じた後です。信じた後、聖霊の働きによって十字架の理解が深まり、それに伴って自分の罪の重さ、そして人類全体の罪の重大さもわかって来ます。ヨハネの福音書でも、読者である私たちがイエス・キリストを信じると、私たちは愛弟子とされて十字架のそばに招かれて、十字架を見上げ、そのことで十字架の理解が深まって行きます。
 被爆体験を隠していた被爆者が被爆体験を語り始めるのも、原爆という核兵器を人類が持つことの罪の重大さがわかって来て、自分の生活を守るために黙っていることに良心の呵責を感じ、平和のために役立ちたいという思いが強くなって行くのではないかと思います。そんな被爆者の証言を私たちは聞いて、私たちも心の中で原爆を体験して原爆の罪深さを理解して行きます。それは私たちがイエスさまの目撃者の証言を聞いて、やがて人間の罪深さを理解して行くのと同じだと思います。

おわりに
 このように原爆とヨハネの福音書を絡めて論じることは日本人にしか出来ないことです。私はこの平和のための働きを沼津教会の皆さんと共に進めて行きたいと願っています。この働きを沼津教会の私たちが行うことを神様はきっと祝福して下さるのではないかという予感が私はしています。この働きのために、ご一緒にお祈りさせていただきたく思います。
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