2016年12月7日祈り会メッセージ
『神の目線で地域を見る』
【詩篇8篇、マタイ5:14~16】
はじめに
先週に続いて今週も私が前半の司会も担当しますから、きょうも前半と後半と関連を持たせて話して行くことにします。そして今日これから話すことは、次の礼拝でも、また話したいと願っています。きょう一度話しておいて、次の日曜日には、もっとわかりやすいものにできたらと思っています。
神を感じた夕暮れ時
きのうの午後の沼津のお天気は、雲一つない快晴でした。私は夕方4時20分ごろに海岸の防潮堤に出て、ジョギングを始めました。いつも大体20~25分ぐらい西の原方面に向かって走り、それから戻って来ます。今はもう4時半を過ぎると日が沈みますので、きのうは日没を見ながら西へ向かい、日没後ももう少し西へ向かって走り、帰りはもう暗くなりましたから、安全のために自発光式のライトを点けて目立つようにして戻って来ました。
きのうは日没後の清水方面の陸地の上空と駿河湾の水平線の上空がオレンジ色に染まって本当にきれいでした。富士山もよく見えていました。月もきれいで、やがて星も見えて来ました。
そうして詩篇8篇のみことばが心に浮かびました。3節と4節、
8:3 あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、
8:4 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。
きのうの防潮堤の上からの日没前後の眺めは本当に素晴らしくて、いま私がこの今沢の地でご奉仕ができていることの幸せを感じました。これはいつも感じていることですが、きのうはまた格別に強く感じました。空に雲が何もありませんでしたから、暗くなるにつれて宇宙が現れて、宇宙を支配している神様が地球も支配していることを感じました。そして、まだ明るさが残っている時刻でしたから、カラスやトビもまだ飛んでいて、ネコもまだ歩いていました。ススキの穂が揺れている様子も、まだよく見えました。それで神様は私たち人間を愛して下さっているのはもちろん、鳥や動物たちや植物たちのこともまた愛しておられることを感じました。創世記1章の26節には、
1:26 「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
と神様が仰せられたことが書かれています。昔の、神様の愛がまだわかっていなかった頃の私は、この創世記のみことばを読んで、人間があらゆる者たちの中で一番えらいのだということを聖書は言っているのだと解釈していました。しかし、今は違います。神様はすべての地上の生き物たちを愛しておられ、それゆえ、この神様が愛するものたちが失われることがないようにしっかりと治めるようにと人間に託しているのだと感じています。
聞くだけの側にいるとわからない神の御心
話は少し飛びますが、近頃私はエレミヤ書を時おり開くようにしています。それは『つばさ』誌の「日々の聖句」でエレミヤ書の担当になったからです。私は牧師になってから、エレミヤ書のことがよくわかるようになって、とても身近に感じる書になりました。エレミヤ書の大半は、霊的に鈍感な人々への警告のことばですから、読んでいて、あまり良い気分にはならない書です。それゆえ「好きな書」と言うには躊躇がありますが、とても大切な愛すべき書だと思っています。
どうしてエレミヤ書を身近に感じるようになったかというと、以前の私は神様の御心も何もわからないような者でしたから、エレミヤ書(他の預言書も同様ですが)のことを、警告される側に身を置いて読んでいました。すると、何が書いてあるかほとんどわからないけれど、神様が怒っていることだけはわかるので、人が怒られてばかりいるつまらない書だという感じを持っていました。しかし、牧師になって毎週のようにメッセージの御用をするようになってからは、神様のことばを預かる預言者のエレミヤの側に身を置くことができるようになりました。すると、エレミヤ書のことばが以前に比べて格段によくわかるようになりました。もちろん、まだまだわからないことも多いですが、以前はほとんどわかりませんでしたから、以前に比べたら格段にわかるようになりました。そうして、神様の御心も少しずつ理解できるようになって来ました。神様は人々を愛しておられますから、何とかして人々が神様の方を向くように再三にわたってエレミヤを通して人々に警告していることを感じることができます。この神様の愛が少しでもわかって来ると、エレミヤ書のように神様の怒りばかりが目立つ書でも、恵まれるようになります。
そして、いま私は『つばさ』誌の「日々の聖句」でも、エレミヤの側に身を置いて読むことを勧めたいと思っています。ただし『つばさ』誌が対象とする読者は一般の信徒の方々ですから、牧師のような神様のメッセージを取り次ぐご奉仕をするわけではありません。それゆえ、エレミヤの側に身を置くことは、なかなか難しいであろうことが予想されます。それでも私は、何とかエレミヤの側に身を置くことを読者にお勧めして、この恵みを分かち合いたいと願っています。エレミヤの側に身を置くことで神様の御心にずっと近づくことができる恵みを味わうことができるからです。
さて、ここで、もう一度先ほどの防潮堤の話に戻ります。私は防潮堤に立ち、駿河湾の沿岸の景色を眺め、富士山を眺め、そして月と星を見て、この宇宙と地球とを支配している神様のことを感じたと話しました。ここでエレミヤ書の話と足し合わせて考えてみていただきたいのですが、防潮堤に立っている私は、実はエレミヤの話を聞く側の民に身を置いています。しかし、その民の側では、神様の御心はなかなかわからないのです。
地面にいるだけではわからない神の御心
それで、ふと会堂問題のことを思いました。私たちは、どのサイズの礼拝堂を建てるべきか神様の御心を知りたいと願っていますが、地面に立っているだけでは、神様の御心はなかなかわからないのではないかということを示されました。
では、どうしたら神様の目線でこの地域を見ることができるのか、ドローンでも飛ばせばできるのかなと考えていたところ、Google Earthのことが頭に浮かびましたので、さっそく見ることにしました。
ご一緒に見てみましょう。










これらの写真は、まだ隣のアパートある時のものですし、しかも教会の屋根もまだ私が青いペンキを塗る以前のものです。カラスがゴミを散らかした一番ひどいタイミングでGoogleの車が通って写真を撮って行きましたから、残念すぎます。
さて、こうしてGoogle Earthの画像を見ていて私はもう一つ新たなことに気付きました。このGoogle Earthの画像を見始めたきっかけは、神様はこの地にどのような礼拝堂が建つことを望んでいらっしゃるかを知る手掛かりとしたいということでしたが、一般の人々も、この画像を利用するということです。何かのきっかけで教会に行ってみようと思い、このインマヌエル教会を知ったとします。そして、ブログも見てくれるかもしれませんが、このGoogle Earthを使って、どんな教会かを見ようともするかもしれません。今はまだ、そういう人はそんなに多くはないかもしれませんが、5年後10年後には、みんな当たり前のように、このような教会の側が提供する写真ではなくて、Googleのような私たちの意図のまったく及ばない会社が提供する写真を見て、この教会に行こうか行くまいかを判断するかもしれません。その場合、こんなゴミだらけのタイミングで写真を撮られたら最悪ですね。それはともかく、こういうインターネットの画像の見映えも考えた上で新しい会堂を考えるべき時代になりつつあるのだということは意識する必要があると感じます。
神の目線で地域を見る
そして、これから建設する新しい礼拝堂が、私たちのこれからの伝道の拠点になります。イエスさまはマタイの福音書で、次のようにおっしゃいました。マタイ5章の14節、
5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
そして16節、
5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
この16節にある「良い行い」は、とりあえずは「神様を愛する」ということができれば良いのではないかと思います。「隣人を愛する」ことももちろん大切ですが、それだと皆さんにプレッシャーになり過ぎるかもしれないからです。
プレッシャー云々というのは、実は私はこのマタイ5章の14節と16節を来年の私たちのみことばにしたらどうかと思っているからです。まだ最終的に決めたわけではありませんが、このように、今年のうちに皆さんに候補をお示しして反応を見るのも良いかなと思って、次の礼拝でも、この考えを話そうかと思います。
先日の礼拝メッセージでも話しましたが、神様が私たちに「あなたがたは、世界の光です」とおっしゃる時、私たちの心には聖霊が与えられていて、私たちの内には「聖霊の光」が灯っています。神様から見て、私たちには「聖霊の光」が灯っています。そして教会にも「聖霊の光」が灯っています。この神様の目線から見て、私たちの一人一人、そして教会には「聖霊の光」が灯っています。
この神様の目線を共有するメリットもあって、私は「あなたがたは、世界の光です」を来年の私たちの聖句にすることを示されています。私たちは狭い範囲しか見えない時、羊のように迷いやすくなります。そんな風に迷ってばかりでは、地域の方々を神様の御許にお招きすることはなかなかできません。しかし、「あなたがたは、世界の光です」という神様のことばを神様の目線で味わうなら、私たちは自分たちのことを、もう少し広い視野で見ることができるようになると思います。
この今沢の地に建てる会堂は、どのような会堂がふさわしいのかについても、Google Earthの画像を参考にして、神様の目線も参考にすることができるならば、神様の御心も知りやすくなるのではないかと思います。
会堂の設計においては、大きさを先ず決めなければなりませんが、その他にも細かく考えなければならないことがいろいろとあります。そのような時に、狭い視野で考えるのでなく、広い視野で考えたいと思います。
おわりに
今度の礼拝でも、きょうと同じようなことを話しますが、ご一緒に分かち合い、礼拝後には会堂祈祷会がありますから、共にお祈りをしたいと思います。
お祈りいたしましょう。
5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
『神の目線で地域を見る』
【詩篇8篇、マタイ5:14~16】
はじめに
先週に続いて今週も私が前半の司会も担当しますから、きょうも前半と後半と関連を持たせて話して行くことにします。そして今日これから話すことは、次の礼拝でも、また話したいと願っています。きょう一度話しておいて、次の日曜日には、もっとわかりやすいものにできたらと思っています。
神を感じた夕暮れ時
きのうの午後の沼津のお天気は、雲一つない快晴でした。私は夕方4時20分ごろに海岸の防潮堤に出て、ジョギングを始めました。いつも大体20~25分ぐらい西の原方面に向かって走り、それから戻って来ます。今はもう4時半を過ぎると日が沈みますので、きのうは日没を見ながら西へ向かい、日没後ももう少し西へ向かって走り、帰りはもう暗くなりましたから、安全のために自発光式のライトを点けて目立つようにして戻って来ました。
きのうは日没後の清水方面の陸地の上空と駿河湾の水平線の上空がオレンジ色に染まって本当にきれいでした。富士山もよく見えていました。月もきれいで、やがて星も見えて来ました。
そうして詩篇8篇のみことばが心に浮かびました。3節と4節、
8:3 あなたの指のわざである天を見、あなたが整えられた月や星を見ますのに、
8:4 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。
きのうの防潮堤の上からの日没前後の眺めは本当に素晴らしくて、いま私がこの今沢の地でご奉仕ができていることの幸せを感じました。これはいつも感じていることですが、きのうはまた格別に強く感じました。空に雲が何もありませんでしたから、暗くなるにつれて宇宙が現れて、宇宙を支配している神様が地球も支配していることを感じました。そして、まだ明るさが残っている時刻でしたから、カラスやトビもまだ飛んでいて、ネコもまだ歩いていました。ススキの穂が揺れている様子も、まだよく見えました。それで神様は私たち人間を愛して下さっているのはもちろん、鳥や動物たちや植物たちのこともまた愛しておられることを感じました。創世記1章の26節には、
1:26 「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配するように。」
と神様が仰せられたことが書かれています。昔の、神様の愛がまだわかっていなかった頃の私は、この創世記のみことばを読んで、人間があらゆる者たちの中で一番えらいのだということを聖書は言っているのだと解釈していました。しかし、今は違います。神様はすべての地上の生き物たちを愛しておられ、それゆえ、この神様が愛するものたちが失われることがないようにしっかりと治めるようにと人間に託しているのだと感じています。
聞くだけの側にいるとわからない神の御心
話は少し飛びますが、近頃私はエレミヤ書を時おり開くようにしています。それは『つばさ』誌の「日々の聖句」でエレミヤ書の担当になったからです。私は牧師になってから、エレミヤ書のことがよくわかるようになって、とても身近に感じる書になりました。エレミヤ書の大半は、霊的に鈍感な人々への警告のことばですから、読んでいて、あまり良い気分にはならない書です。それゆえ「好きな書」と言うには躊躇がありますが、とても大切な愛すべき書だと思っています。
どうしてエレミヤ書を身近に感じるようになったかというと、以前の私は神様の御心も何もわからないような者でしたから、エレミヤ書(他の預言書も同様ですが)のことを、警告される側に身を置いて読んでいました。すると、何が書いてあるかほとんどわからないけれど、神様が怒っていることだけはわかるので、人が怒られてばかりいるつまらない書だという感じを持っていました。しかし、牧師になって毎週のようにメッセージの御用をするようになってからは、神様のことばを預かる預言者のエレミヤの側に身を置くことができるようになりました。すると、エレミヤ書のことばが以前に比べて格段によくわかるようになりました。もちろん、まだまだわからないことも多いですが、以前はほとんどわかりませんでしたから、以前に比べたら格段にわかるようになりました。そうして、神様の御心も少しずつ理解できるようになって来ました。神様は人々を愛しておられますから、何とかして人々が神様の方を向くように再三にわたってエレミヤを通して人々に警告していることを感じることができます。この神様の愛が少しでもわかって来ると、エレミヤ書のように神様の怒りばかりが目立つ書でも、恵まれるようになります。
そして、いま私は『つばさ』誌の「日々の聖句」でも、エレミヤの側に身を置いて読むことを勧めたいと思っています。ただし『つばさ』誌が対象とする読者は一般の信徒の方々ですから、牧師のような神様のメッセージを取り次ぐご奉仕をするわけではありません。それゆえ、エレミヤの側に身を置くことは、なかなか難しいであろうことが予想されます。それでも私は、何とかエレミヤの側に身を置くことを読者にお勧めして、この恵みを分かち合いたいと願っています。エレミヤの側に身を置くことで神様の御心にずっと近づくことができる恵みを味わうことができるからです。
さて、ここで、もう一度先ほどの防潮堤の話に戻ります。私は防潮堤に立ち、駿河湾の沿岸の景色を眺め、富士山を眺め、そして月と星を見て、この宇宙と地球とを支配している神様のことを感じたと話しました。ここでエレミヤ書の話と足し合わせて考えてみていただきたいのですが、防潮堤に立っている私は、実はエレミヤの話を聞く側の民に身を置いています。しかし、その民の側では、神様の御心はなかなかわからないのです。
地面にいるだけではわからない神の御心
それで、ふと会堂問題のことを思いました。私たちは、どのサイズの礼拝堂を建てるべきか神様の御心を知りたいと願っていますが、地面に立っているだけでは、神様の御心はなかなかわからないのではないかということを示されました。
では、どうしたら神様の目線でこの地域を見ることができるのか、ドローンでも飛ばせばできるのかなと考えていたところ、Google Earthのことが頭に浮かびましたので、さっそく見ることにしました。
ご一緒に見てみましょう。










これらの写真は、まだ隣のアパートある時のものですし、しかも教会の屋根もまだ私が青いペンキを塗る以前のものです。カラスがゴミを散らかした一番ひどいタイミングでGoogleの車が通って写真を撮って行きましたから、残念すぎます。
さて、こうしてGoogle Earthの画像を見ていて私はもう一つ新たなことに気付きました。このGoogle Earthの画像を見始めたきっかけは、神様はこの地にどのような礼拝堂が建つことを望んでいらっしゃるかを知る手掛かりとしたいということでしたが、一般の人々も、この画像を利用するということです。何かのきっかけで教会に行ってみようと思い、このインマヌエル教会を知ったとします。そして、ブログも見てくれるかもしれませんが、このGoogle Earthを使って、どんな教会かを見ようともするかもしれません。今はまだ、そういう人はそんなに多くはないかもしれませんが、5年後10年後には、みんな当たり前のように、このような教会の側が提供する写真ではなくて、Googleのような私たちの意図のまったく及ばない会社が提供する写真を見て、この教会に行こうか行くまいかを判断するかもしれません。その場合、こんなゴミだらけのタイミングで写真を撮られたら最悪ですね。それはともかく、こういうインターネットの画像の見映えも考えた上で新しい会堂を考えるべき時代になりつつあるのだということは意識する必要があると感じます。
神の目線で地域を見る
そして、これから建設する新しい礼拝堂が、私たちのこれからの伝道の拠点になります。イエスさまはマタイの福音書で、次のようにおっしゃいました。マタイ5章の14節、
5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
そして16節、
5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
この16節にある「良い行い」は、とりあえずは「神様を愛する」ということができれば良いのではないかと思います。「隣人を愛する」ことももちろん大切ですが、それだと皆さんにプレッシャーになり過ぎるかもしれないからです。
プレッシャー云々というのは、実は私はこのマタイ5章の14節と16節を来年の私たちのみことばにしたらどうかと思っているからです。まだ最終的に決めたわけではありませんが、このように、今年のうちに皆さんに候補をお示しして反応を見るのも良いかなと思って、次の礼拝でも、この考えを話そうかと思います。
先日の礼拝メッセージでも話しましたが、神様が私たちに「あなたがたは、世界の光です」とおっしゃる時、私たちの心には聖霊が与えられていて、私たちの内には「聖霊の光」が灯っています。神様から見て、私たちには「聖霊の光」が灯っています。そして教会にも「聖霊の光」が灯っています。この神様の目線から見て、私たちの一人一人、そして教会には「聖霊の光」が灯っています。
この神様の目線を共有するメリットもあって、私は「あなたがたは、世界の光です」を来年の私たちの聖句にすることを示されています。私たちは狭い範囲しか見えない時、羊のように迷いやすくなります。そんな風に迷ってばかりでは、地域の方々を神様の御許にお招きすることはなかなかできません。しかし、「あなたがたは、世界の光です」という神様のことばを神様の目線で味わうなら、私たちは自分たちのことを、もう少し広い視野で見ることができるようになると思います。
この今沢の地に建てる会堂は、どのような会堂がふさわしいのかについても、Google Earthの画像を参考にして、神様の目線も参考にすることができるならば、神様の御心も知りやすくなるのではないかと思います。
会堂の設計においては、大きさを先ず決めなければなりませんが、その他にも細かく考えなければならないことがいろいろとあります。そのような時に、狭い視野で考えるのでなく、広い視野で考えたいと思います。
おわりに
今度の礼拝でも、きょうと同じようなことを話しますが、ご一緒に分かち合い、礼拝後には会堂祈祷会がありますから、共にお祈りをしたいと思います。
お祈りいたしましょう。
5:14 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。
5:16 このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。