平和への道

私の兄弟、友のために、さあ私は言おう。「あなたのうちに平和があるように。」(詩篇122:8)

空前の大きな恵み(2016.4.10 礼拝)

2016-04-11 21:46:43 | 礼拝メッセージ
2016年4月10日礼拝メッセージ
『空前の大きな恵み』
【Ⅱサムエル7:4~9】

はじめに
 礼拝のメッセージでは、幕屋の学びを終えてソロモンの神殿の学びに入る前の準備として、ダビデについて学んでいます。
 ソロモンの神殿についての学びは、この教会では2014年の1月から3月に掛けての祈祷会で、既に一度行っていますが、祈祷会のメンバーは限られていますので、また改めて学びたいと思っています。また、私自身も当時の2014年の初めの頃とは、だいぶ心境が変わって来ていますから、また新たな気持ちで学びたいと思っています。
 2014年の1月から3月というのは、私が2013年の4月にこの沼津教会に着任してから、ようやく1年になろうとしている時期でした。私は2013年に着任した時から新会堂の建設に取り組むことが自分に与えられた重要な使命だと思っていましたが、着任したばかりの2013年はさすがに右も左もわからない状態でしたから、とりあえずは、廣瀬邦男先生個人の所有になっていた教会の土地と建物の所有権の移転の手続きを始めることで、会堂建設に備え始めました。そして2013年の年末頃までには、だいたいの目途が付き、2014年の1月の末には所有権の移転が完了する運びになりましたから、いよいよ新会堂の建設に本格的に備えなければならないと感じていました。と言っても、具体的に何をしたら良いかは依然としてわかりませんでしたから、ともかくも毎月第二聖日には会堂祈祷会を行うことにして、祈祷会ではソロモンの神殿について学ぶことにしました。
 このソロモンの神殿の学びを始めた頃の2年前の私は、神殿の建設も会堂の建設も人間の側が行うものだと思っていました。お祈りでは「会堂を与えて下さい」という祈り方をしていましたが、会堂は主に与えていただくものというよりは、自分たちの力で建設するものだという思いが強かったような気がします。
 しかし、それから2年が経ち、隣の土地が与えられた経験を通して、会堂建設というのは神様が与えて下さる恵みなのだということを、つくづく実感しています。皆さんもそうだろうと思います。2年前の私たちは、まさか隣の土地が与えられるとは、誰一人として思っていなかったと思います。しかし、2年後の今は、このように隣の土地が与えられています。ですから、まだ建物はありませんが、建物もきっと与えられるだろうと思います。それは、会堂建設は神様が与えて下さる恵みだからです。この恵みが今の中途半端なままで途絶えるはずはありません。これまでの流れを見ていて私は、それを確信しています。その一つは、玄関の集会案内板が真っ二つに裂けたことです。このプラスチックの案内板が真っ二つに裂けたことはイエスさまが十字架で死んだ時に神殿の垂れ幕が真っ二つに裂けたことを思い起こさせ、新しい時代の始まりを予感することができました。
 そしてソロモンの神殿の建設ももちろん、神様が与えた恵みでした。このことがわかって私は、ダビデの神殿を建てたいという願いをなぜ神様が許さなかったかが、よくわかった気がします。

ダビデの神殿建設をゆるさなかった主
 第二サムエル7章の学びに入って行きましょう。先ず、先週読んだ1節から3節までを、もう一度おさらいしておきたいと思います。

7:1 王が自分の家に住み、【主】が周囲のすべての敵から守って、彼に安息を与えられたとき、
7:2 王は預言者ナタンに言った。「ご覧ください。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまっています。」

 ダビデは自分だけが立派な宮殿に住み、神の箱が幕屋という布製のテントの中にとどまっていることを申し訳ないことだと思い、やはり杉材を使った神殿を建設したいと願いました。そして預言者のナタンも、このことに賛成しました。3節、

7:3 すると、ナタンは王に言った。「さあ、あなたの心にあることをみな行いなさい。【主】があなたとともにおられるのですから。」

 ナタンはダビデに、「さあ、あなたの心にあることをみな行いなさい」と言いましたから、ダビデの考えに大賛成だったのですね。しかし、その夜、次のような言葉がナタンにありました。5節から7節までを交代で読みましょう。(7節はご一緒に)

7:5 「行って、わたしのしもべダビデに言え。【主】はこう仰せられる。あなたはわたしのために、わたしの住む家を建てようとしているのか。
7:6 わたしは、エジプトからイスラエル人を導き上った日以来、今日まで、家に住んだことはなく、天幕、すなわち幕屋にいて、歩んできた。
7:7 わたしがイスラエル人のすべてと歩んできたどんな所ででも、わたしが、民イスラエルを牧せよと命じたイスラエル部族の一つにでも、『なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか』と、一度でも、言ったことがあろうか。

 7節で主は、「なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか」などとは一度も言ったことがないと仰せられました。つまりダビデが杉材の神殿を建設する必要はないということです。
 どうして主は、ダビデの神殿建設を許さなかったのか。歴代誌には次のように書いてあります。歴代誌第一22章の7節と8節をお読みします(旧約聖書p.720)。

22:7 ダビデはソロモンに言った。「わが子よ。私は、わが神、【主】の御名のために宮を建てようとする志を持ち続けてきた。
22:8 ある時、私に次のような【主】のことばがあった。『あなたは多くの血を流し、大きな戦いをしてきた。あなたはわたしの名のために家を建ててはならない。あなたは、わたしの前に多くの血を地に流してきたからである。

 この理由は、何となくは、わかります。モーセの十戒には「殺してはならない」とありますから、ダビデの神殿建設を主が許さなかったのは、ダビデが戦いで多くの血を流して来たからだ、というのもわからないではありません。でも、何となく腑に落ちない点もあります。ダビデを王に立てたのは主です。そしてイスラエルの王国の繁栄を揺るぎないものにするためには、この時代にあっては戦いは避けられないことでした。その戦いのリーダーとなる役割を主はダビデに与えました。その主が与えた役割を果たしたダビデが、神殿の建設を願った時に、ダビデが多くの血を流したからと言って神殿の建設を許さなかったのは、今一つすっきりしないと私はずっとモヤモヤとしていました。

神殿建設を遥かに上回る恵み
 しかし、この沼津教会の会堂建設に携わるようになり、会堂は人間の側が建てるものではなくて主が与える恵みなのだとわかった時、主がなぜダビデに神殿建設の恵みを与えなかったのかが、納得できた気がしました。
 主は、神殿建設の恵みを与えることをソロモンが王になるまで取っておいて、ダビデには神殿建設を遥かに上回る、もっともっと大きな恵みを与えました。第二サムエル7章に戻ります。8節と9節を交代で読みましょう(旧約聖書p.535)。

7:8 今、わたしのしもべダビデにこう言え。万軍の【主】はこう仰せられる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場からとり、わたしの民イスラエルの君主とした。
7:9 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにおり、あなたの前であなたのすべての敵を断ち滅ぼした。わたしは地上の大いなる者の名に等しい大いなる名をあなたに与える。

 9節を読むと、敵を絶ち滅ぼしたのは神である主なのだということがわかります。イスラエルの戦いは主の戦いであり、主が敵を倒したのでした。それゆえダビデが血を流したから、神殿の建設を許さなかったというのは、今一つすっきりしません。でも神殿建設は主が与える恵みであり、主はダビデに神殿建設を遥かに上回る恵みを与えたのだということがわかると、すっきりします。少し飛ばして12節と13節を交代で読みましょう。

7:12 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。
7:13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。

 12節の「あなたの身から出る世継ぎの子」というのは、旧約聖書の狭い範囲だけで読むなら、この「世継ぎの子」とは、ソロモンのことです。しかし、新約の恵みをいただいている私たちは旧約聖書に新約の恵みの光を当てて読みます。すると、この「世継ぎの子」というのは、イエス・キリストのことであると読み取れます。
 新約聖書の一番始めのページには、何が書いてあるでしょうか。新約聖書の1ページをご一緒にみましょう。1章1節、

1:1 アブラハムの子孫、ダビデの子孫、イエス・キリストの系図。

と書いてあり、アブラハムからの系図が書かれています。そして6節に

1:6 エッサイにダビデ王が生まれた。ダビデに、ウリヤの妻によってソロモンが生まれ、

とあります。そして16節と17節を交代で読みましょう。

1:16 ヤコブにマリヤの夫ヨセフが生まれた。キリストと呼ばれるイエスはこのマリヤからお生まれになった。
1:17 それで、アブラハムからダビデまでの代が全部で十四代、ダビデからバビロン移住までが十四代、バビロン移住からキリストまでが十四代になる。

 このようにダビデの子孫がイエス・キリストにまで、つながって行きます。これは、神殿建設を遥かに上回る空前の素晴らしい恵みでした。もう一度、第二サムエル7章の12節と13節を、私のほうでお読みします。

7:12 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。
7:13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。

 13節の彼はわたしの名のために一つの家を建て、というのは使徒の時代にキリスト教会が建て上げられたことと読み取れます。そして、王であるキリストの教会はとこしえまでも堅く立ち、21世紀の私たちもその恩恵に与っています。ダビデは、そのキリスト教会の父祖になりました。何と言う祝福でしょうか。

どのような状況でも主を第一にしたダビデ
 これほどの祝福が、どうしてダビデに与えられたのか、それはダビデが、どのような困難の中にあっても、主への信仰を失わなかったということが大きかったと私は考えます。例えばダビデがサウル王に仕えていた頃、ダビデの人気を妬んだサウルがダビデの命を狙って追い回していた時期が長くありました。その時期にもダビデは主を恐れることを忘れていませんでした。
 ダビデがサウルから逃げ回っている時、ダビデにはサウルを殺す絶好のチャンスが少なくとも二回、訪れました。ダビデの部下は、これを主が与えて下さったチャンスだからサウルを殺すべきだと進言します。しかしダビデは、サウル王は主が油を注がれた方だから、その主が油を注いだサウル王を殺すことなど絶対にできないと言いました。
 自分がどんなにピンチにあっても、そこから抜け出すために主が油を注いだ方を自分で取り除くことがあってはならないという信仰をダビデは持っていました。どんな状況にあっても、主を恐れ、主を第一とすること。これは、なかなかできることではありません。
 ダビデは、どんな状況でも主が自分と共にいて下さることを信じていましたから、ダビデが信仰から離れることはありませんでした。それゆえ主はダビデに、サウル王の時よりも広大な領土を与え、ダビデの後継者のソロモン王には、ダビデの時よりもさらに広大な領土を与えました。そしてまた、真の後継者のイエス・キリストは全世界を支配しています。これは素晴らしい恵みです。

おわりに
 さて、私たちの教会も敷地を広げることができました。私たちもまた素晴らしい恵みをいただいています。この恵みは中途半端で終わるはずはありませんから、主は必ず素晴らしい会堂をも与えて下さることでしょう。このことを信じて、私たちはダビデのように何があっても主を恐れ、主を信じ、主を第一にして進んで行きたいと思います。
 最後にもう一度、第二サムエルの12節と13節を交代で読んで、メッセージを閉じたいと思います。

7:12 あなたの日数が満ち、あなたがあなたの先祖たちとともに眠るとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。
7:13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。

 お祈りいたしましょう。
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