知財判決 徒然日誌

論理構成がわかりやすく踏み込んだ判決が続く知財高裁の判決を中心に、感想などをつづった備忘録。

路傍の石理論とメカニズム論(サポート要件)

2008-06-15 19:41:03 | 特許法36条6項
事件番号 平成19(行ケ)10308
事件名 審決取消請求事件
裁判年月日 平成20年06月12日
裁判所名 知的財産高等裁判所
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
裁判長裁判官 塚原朋一

『第5 当裁判所の判断
取消事由1(旧36条5項1号違反の判断の誤り)について
(1) 本件明細書(・・・)には,以下のアないしサの記載がある。
・・・

(2) 上記(1)によれば,審決における認定判断(16頁17行~17頁9行)のとおり,本件明細書には,・・・,⑤そのIa値が本件発明1の数値を満たさない比較例である,膜質(Ti,Al)Nで被覆され,皮膜のIa値が,それぞれ1.2〔従来例1〕,0.9〔従来例2〕,1.1〔従来例3〕,0.8〔比較例4〕,1.4〔比較例5〕及び1.0〔比較例6〕である各超硬工具については,皮膜と基体との密着性が十分でなく耐摩耗性に劣ること,が記載されているということができる。

 一方,本件明細書においては,当該被覆硬質部材の皮膜につきIa値を2.3以上とすることで,発明の課題を解決し発明の目的を達成することができることが,上記実施例の記載があることを除き,見当たらない

(3) ところで,旧36条5項は,「第3項4号の特許請求の範囲の記載は,次の各号に適合するものでなければならない。」と規定し,その1号において,「特許を受けようとする発明が発明の詳細な説明に記載したものであること」と規定している(なお,平成6年法律第116号による改正により,同号は,同一文言のまま特許法36条6項1号として規定され,現在に至っている。以下「明細書のサポート要件」という。)。

 特許制度は,発明を公開させることを前提に,当該発明に特許を付与して,一定期間その発明を業として独占的,排他的に実施することを保障し,もって,発明を奨励し,産業の発達に寄与することを趣旨とするものである。そして,ある発明について特許を受けようとする者が願書に添付すべき明細書は,本来,当該発明の技術内容を一般に開示するとともに,特許権として成立した後にその効力の及ぶ範囲(特許発明の技術的範囲)を明らかにするという役割を有するものであるから,特許請求の範囲に発明として記載して特許を受けるためには,明細書の発明の詳細な説明に,当該発明の課題が解決できることを当業者において認識できるように記載しなければならないというべきである

 旧36条5項1号の規定する明細書のサポート要件が,特許請求の範囲の記載を上記規定のように限定したのは,発明の詳細な説明に記載していない発明を特許請求の範囲に記載すると,公開されていない発明について独占的,排他的な権利が発生することになり,一般公衆からその自由利用の利益を奪い,ひいては産業の発達を阻害するおそれを生じ,上記の特許制度の趣旨に反することになるからである

 そして,特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合するか否かは,特許請求の範囲の記載と発明の詳細な説明の記載とを対比し,特許請求の範囲に記載された発明が,発明の詳細な説明に記載された発明で,発明の詳細な説明の記載により当業者が当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否か,また,その記載や示唆がなくとも当業者が出願時の技術常識に照らし当該発明の課題を解決できると認識できる範囲のものであるか否かを検討して判断すべきものである(知財高裁平成17年(行ケ)第10042号同年11月11日判決参照)。

 以下,上記の観点に立って,本件について検討する。

(4) 本件発明1の課題は,上記(1)及び(2)のとおり,・・・,皮膜の結晶配向性を最適にすることにより皮膜と基体との密着性を向上させて耐摩耗性,耐欠損性に優れた被覆硬質部材の提供を目的とするところにあると認められ,当該被覆硬質部材の皮膜につきIa値を2.3以上とすることが同目的を達成するために有効であることが客観的に開示される必要があるというべきである

 この点,本件発明の場合,・・・,Ia値が2.3以上の皮膜が良い性能を持つとしたものであるが,何ゆえ,そのような値であると皮膜の特性が良くなるのかにつき,因果関係,メカニズムは一切記載されておらず,またそれが当業者にとって明らかなものといえるような証拠も見当たらない

 また,「Ia値が2.3以上」といえば,その数値が(200)面と(111)面の比をいうだけのものであるから,上限なく高い値の比が想定でき,かつ,その比の値に制限があるとする特段の事情も存在しないことから,当該Ia値の数値としては,2.3を大きく超える高い数値をも含み得るものであって,実際にも,原告作成の実験結果報告書(乙18)によれば,Ia値が10を超える値の被覆も存在することが示されている

 これに対し,本件明細書では,Ia値について,本件発明の実施例として開示されたIa値は,上記(1)オの【表1】における本発明例7ないし10の2.3から3.1までという非常に限られた範囲の4例だけであり,これらの実施例をもって,上限の定まらないIa値2.3以上の全範囲にわたって,本件発明の課題を解決し目的を達成できることを裏付けているとは到底いうことができない

(5) 以上述べたところに照らせば,本件明細書に接する当業者において,本件発明1に記載される構成を採択することによって皮膜と基体との密着性を向上させて耐摩耗性,耐欠損性に優れた被覆硬質部材を提供するとの課題を解決できると認識することは,本件出願時の技術常識を参酌しても,不可能というべきであり,本件明細書における本件発明1に関する記載が,明細書のサポート要件に適合するということはできない。

 そうすると,本件発明1の特許請求の範囲の記載を引用して構成される本件発明2についても,本件発明1と同様にサポート要件に適合していないと解すべきことになる。

(6) もっとも,原告は,通常,本件発明のような場合,実施例の数としては数例が一般的であり,それらにより発明の目的,課題解決の方向が示されておれば,実施例以外の箇所ではIa値の条件を満たされていることで十分当業者が理解できると考えられると主張する

 確かに,数例の実施例によってもサポート要件違反とされない事例も存在するであろうが,そのような事例は,明細書の特許請求の範囲に記載された発明によって課題解決若しくは目的達成等が可能となる因果関係又はメカニズムが,明細書に開示されているか又は当業者にとって明らかであるなどの場合といえる

 ところが,本件発明1の場合,上記のとおり,本件明細書には,何ゆえIa値が2.3以上であると皮膜の特性が良くなるのかにつき,因果関係,メカニズムは一切記載されておらず,また,それが当業者にとって明らかなものといえるような証拠も見当たらないものであるから,原告の上記主張は採用することはできない。

(7) また,原告は,本件明細書においてIa値の上限の記載がないことにつき,実施例に裏付けられた結果から,より特性の向上する範囲が予測できる場合には,上限の限定をすることなく記載しても何ら不明瞭ではないので,明細書の記載不備には当たらない旨主張する

ア 本件発明1の場合,明細書に開示された発明の実施例は,4例だけであるところ,これらを,前記(1)オの【表1】と同コの【表2】から摘記すると以下のとおりである。
・・・
そして,上記値においては,臨界荷重値は値が大きいほど密着性が向上して剥離強度が強まり,また切削長が長いほど耐摩耗性が高まることを意味することになるから,これを実施例を順に見ていくと,剥離強度が強い順では実施例7,10,9,8となり,耐摩耗性が高い順では実施例9,7,10,8となるが,ピーク強度比では高い順に実施例9,10,8,7とある。

 このように,ピーク強度比と臨界荷重値,切削長の関係はバラバラであって,何らかの相関関係を見い出すことはできず,明細書に開示された4つの実施例から,ピーク強度比が2.3以上のすべての範囲において本発明の課題が達成可能であると認めることはもちろん,原告の主張するピーク強度比の上限を予測することも不可能であるといわざるを得ない
・・・

(9) したがって,本件明細書の特許請求の範囲の記載が,明細書のサポート要件に適合しておらず,旧36条5項1号に違反するとした審決の判断の誤り(取消事由1)をいう原告の主張は,理由がないことになる。』

路傍の石理論は次の被告の主張から命名したもの。
『(3) 原告は,「本件発明の『物』は,公知の方法で製造可能であり,審決で引用した公知例においても本件発明の『物』ができている場合もある。すなわち,本件発明は,既にあった物の中から,特定の技術的目的,効果を奏するもののみを選び出しているのである。」と主張するが,これには何らの根拠もなく,本件明細書には原告が主張するような記載は何もされておらず,原告の主張は明細書の記載に基づかない独自の誤った見解に基づくものである。
 なお,本件発明は「既にあった物」の中にあるとの原告の主張は,本件発明は路傍の石を拾い集めるがごときのものである,というに等しいものであり,本件発明が特許保護に値する「発明」であるというにはほど遠いものであることを自認するものである。』

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