知財判決 徒然日誌

論理構成がわかりやすく踏み込んだ判決が続く知財高裁の判決を中心に、感想などをつづった備忘録。

物の発明の製造方法の記載の要否

2008-06-15 20:15:52 | 特許法36条4項
事件番号 平成19(行ケ)10308
事件名 審決取消請求事件
裁判年月日 平成20年06月12日
裁判所名 知的財産高等裁判所
権利種別 特許権
訴訟類型 行政訴訟
裁判長裁判官 塚原朋一

『2 取消事由2(旧36条4項違反の判断の誤り)について
さらに,念のため,原告が旧36条4項違反の判断の誤りをいう点についても検討する。

(1) 旧36条4項は,「前項第3号の発明の詳細な説明には,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の目的,構成及び効果を記載しなければならない。」と規定する(なお,現行の特許法においては,36条4項1号が明細書の発明の詳細な説明の記載につき「経済産業省令で定めるところにより,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者がその実施をすることができる程度に明確かつ十分に記載したものであること。」との要件に適合するものでなければならないことを規定しており,旧36条4項とほぼ同様の内容が規定されている。以下「実施可能要件」ということがある。)。

(2)・・・
 以上によれば,アークイオンプレーティング法により皮膜を形成するに際しては,その皮膜の物性の一種であるX線回折パターンにおける(200)面,(111)面のピーク強度及びその比であるIa値は,イオン衝撃電力W,堆積速度R,サブストレート(基板)温度Tの各プロセスパラメータにより影響を受けるものであって,特に,皮膜の組成の成分割合により強く影響を受け,そのIa値はその成分割合の選定により大きく変位するものであるということができる

(3) 本件明細書において,本件発明1の被覆硬質部材の製造方法については,前記1(1)エないしカ,ク及びケ(・・・)によれば,・・・ことが示されるだけであって,アークイオンプレーティング法により必要とされる製造条件につき説明するところはなく,また,サブストレート(基板)温度T等の他のプロセスパラメータにつき記載されるところもなく,さらに,その製造条件の中でも,被覆硬質部材の皮膜のIa値に強く影響する皮膜組成におけるTi成分とAl等の他成分の割合につき記載されるところはない

(4) 以上によれば,本件明細書では,被覆硬質部材の製造条件として,皮膜組成の成分割合等のIa値にとって重要であるパラメータにつきその開示を欠くものであって,その記載に係る製造条件のみでは皮膜のIa値を決定又は特定することができず,所定のIa値を保有する皮膜を製造することができないものといわざるを得ない。

 したがって,TiとTi以外の周期律表4a,5a,6a族,Alの中から選ばれる2元系,ないし3元系の炭化物,窒化物,炭窒化物を被覆してなる被覆硬質部材の皮膜につき,そのIa値が2.3以上であると規定する本件発明1については,本件明細書に当該Ia値が2.3以上のものを得る上で特有の製造方法が記載されておらず,本件明細書の発明の詳細な説明には,その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者(当業者)が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の構成及び効果が記載されているということができず,旧36条4項に規定する要件を満たしていないことになる。
・・・

(5) もっとも,原告は,本件発明は「製造方法」の発明ではなく,「物の発明」に係るものであり,特有の製造方法は必要ないので,「本件明細書に当該Ia値が2.3以上のものを得るうえで特有の製造方法が記載されていない」として,本件明細書には当業者が容易にその実施をすることができる程度に記載されていない,とした審決の判断は誤りである旨主張する

 ところで,特許制度は,発明を公開する代償として,一定期間発明者に当該発明の実施について独占的な権利を付与するものであるから,明細書には,当該発明の技術内容を一般に開示する内容を記載しなければならないというべきであって,旧36条4項や現行特許法36条4項1号が前記のとおり規定するのは,明細書の発明の詳細な説明に,当業者が容易にその実施をできる程度に発明の構成等が記載されていない場合には,発明が公開されていないことに帰し,発明者に対して特許法の規定する独占的権利を付与する前提を欠くことになるからである

 そうであるから,物の発明については,その物をどのように作るかについて具体的な記載がなくても明細書及び図面の記載並びに出願時の技術常識に基づき当業者がその物を製造できる特段の事情のある場合を除き,発明の詳細な説明にその物の製造方法が具体的に記載されていなければ,実施可能要件を満たすものとはいえないことになる。
 したがって,本件発明は,「物の発明」であるから「製造方法」の開示は必要がないとの原告の主張の見解は正当ではないことになる。

(6) また,原告は,本件発明の「物」は,公知の方法で製造可能であって,前記審決で引用した公知例においても本件発明の「物」ができている場合もあり,本件発明は,既にあった物の中から,特定の技術的目的・効果を奏するもののみを選び出しているから,実施可能要件に違反しない旨主張する

 しかしながら,前記(2)のとおり,アークイオンプレーティング技術においては,そのアークイオンプレーティングによる得られる皮膜の特性は,・・・各プロセスパラメータに依存して変位するものであるところ(乙21),本件明細書には,パラメータ選定に関する指針などの開示がないことから,当業者が,本件発明の条件に合う硬質被覆膜を得るには,膜の成形に関連する多数のパラメータの最適な値を探るために必要以上の試行錯誤を行わなければならないことになってしまうものであって,本件明細書には,本件発明が当業者が容易にその実施をすることができる程度に,その発明の構成及び効果が記載されているとする原告の主張は採用できない

(7) さらに,原告は,本件発明は,発明を特定する技術的条件として特許請求の範囲に「Ia値が2.3以上」を規定しており,この条件を満たしている「物」でさえあればいいのであって,審決が無効とした理由のいずれもそれに該当するものではなく,公知の製造法でもできる「物」の発明である本件特許の無効理由として「特有の製造方法の記載がない」としてされた審決は,「物」の発明である本件特許の技術内容の把握を誤っており,それに基づいてされた判断は違法である旨主張する

しかしながら,上記(5)のとおり,「物」の発明であっても,その「物」が容易に製造可能なように明細書にその「製造方法」を示す必要があるものであるから,原告の上記主張は採用できない

3 以上によれば,本件明細書の記載が,明細書のサポート要件に適合しておらず旧36条5項1号に違反し,また,実施可能要件に適合しておらず旧36条4項に違反するとの,審決の誤りをいう原告の主張は理由がないから,原告主張の取消事由はいずれも理由がないことになる。』

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