散歩で通る往生院の建仁寺垣を眺めながら、最近、建仁寺垣を見なくなったなぁと思う。しかしよく見ると材質は合成樹脂系のようだ。建仁寺垣とは、割り竹の表を外側に向けて並べ、縄で結んだ垣のことで京都東山の建仁寺で始まったのでその名が付いたらしい。
泰勝寺跡(細川家立田別邸)を囲っていた建仁寺垣も数年前に鉄のフェンスに変わったし、他でも建仁寺垣を見なくなった。寺田寅彦の「夏目漱石先生の追憶」の中に次のような一節がある。漱石熊本五番目の内坪井の家の様子を書いたもので
――庭はほとんど何も植わっていない平庭で、前面の建仁寺垣の向こう側には畑地があった。垣にからんだ朝顔のつるが冬になってもやっぱりがらがらになって残っていたようである。――
とある。しかし、ここも現在はプラスチックの支柱を立てたサザンカの生垣に変わっている。やはり、建仁寺垣は組むのもメンテにも手間がかかるだろうし、耐久性も劣るのだろう。京都に始まった日本文化の一つである建仁寺垣も消えゆく運命にあるのかもしれない。

往生院の建仁寺垣(竹垣風の合成樹脂か?)

漱石内坪井旧居は現在、プラスチックの支柱を立てたサザンカの生垣になっている

数年前まで泰勝寺跡を囲っていた建仁寺垣
建仁寺のある京都東山の風情を感じさせる「京都慕情」
泰勝寺跡(細川家立田別邸)を囲っていた建仁寺垣も数年前に鉄のフェンスに変わったし、他でも建仁寺垣を見なくなった。寺田寅彦の「夏目漱石先生の追憶」の中に次のような一節がある。漱石熊本五番目の内坪井の家の様子を書いたもので
――庭はほとんど何も植わっていない平庭で、前面の建仁寺垣の向こう側には畑地があった。垣にからんだ朝顔のつるが冬になってもやっぱりがらがらになって残っていたようである。――
とある。しかし、ここも現在はプラスチックの支柱を立てたサザンカの生垣に変わっている。やはり、建仁寺垣は組むのもメンテにも手間がかかるだろうし、耐久性も劣るのだろう。京都に始まった日本文化の一つである建仁寺垣も消えゆく運命にあるのかもしれない。

往生院の建仁寺垣(竹垣風の合成樹脂か?)

漱石内坪井旧居は現在、プラスチックの支柱を立てたサザンカの生垣になっている

数年前まで泰勝寺跡を囲っていた建仁寺垣
建仁寺のある京都東山の風情を感じさせる「京都慕情」