徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

高瀬の外港として栄えた大浜町

2012-12-03 19:06:38 | 歴史
 今朝、玉名市大浜町で理容業を営む叔父の一家が、今日は休業日というわけで熊本での所用のついでに立ち寄って、新海苔や海苔の佃煮、海苔巻きなどを届けてくれた。ありがたいことだ。母が生まれた大浜町は、以前、「海苔養殖の父」と呼ばれている早野義章(はやのぎしょう)についてブログに書いたことがあるが、「海苔のふるさと」だ。かつて人手があった頃は母の家でも海苔の養殖をやっていた。
 また、大浜町は江戸時代から明治初期の頃まで「高瀬米」の積出し港として栄えた。江戸前期までは高瀬まで上っていた五百石船も、菊池川の堆積などのため上れなくなり、江戸中期以降になると御倉の米を3キロ下流の大浜まで平田船で運び、大浜で五百石船に積み替えて大坂の堂島を目指したそうである。大浜には今でも往時の廻船問屋の名残りが残っている。下の民謡「肥後の俵積出し唄」に歌われている沖の帆前船に積む光景も、後期にはもっぱら大浜で見られる光景だったのである。


多くの帆前船や平田船などが行き交う大浜港の様子


現在の菊池川・大浜側河岸。加藤清正公の治水事業遺構が今でも残る


昭和初期と思われる大浜の岸壁


♪ 肥後の俵積出し唄
▼写真をクリックすると動画が再生されます。

♪ 肥後の高瀬のなぁ~ 御倉の米を
  黒船帆まえで 沖で積む
    サイジョドン サイジョドン サイジョドーンドン
    ア サテ サイジョドンドーン 

♪ 肥後の高瀬のなぁ~ 氏神さんは
  積み出す お米の守り神 
    サイジョドン サイジョドン サイジョドーンドン
    ア サテ サイジョドンドーン 
   
♪ 肥後の高瀬のなぁ~ 娘がほしや
  俵積み出す 若い衆が
    サイジョドン サイジョドン サイジョドーンドン
    ア サテ サイジョドンドーン 


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