この唄には熊本発祥説、関東発祥説など諸説がある。僕も前はこの歌はどこか他県に発祥した歌ではないかと思っていた。しかし最近、他県説に疑問を感じるようになった。僕は基本的には民謡というのは、どんなに時代が変わろうと多くの人たちに歌い継がれていくことが大事で、ルーツがどこかなど、どうでもいいと思っている。さりながらも、熊本の伝統文化について調べるうち、「あんたがたどこさ」の発祥についても新たな興味が湧き、あらためて考察してみた。
1.「あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ」
まず、この部分が他県説の根拠の一つになっているところだが、明治16年生まれの僕の祖母に生前聞いていた話では、祖母の子供時代は「肥後=熊本」ではないということ。当時、熊本と呼んでいたのは昔の城下町にあたる限られた地域であり、その周辺地域のことを祖母は「在郷」と呼んでいた。つまり、肥後を熊本に言い換えたのではなくて、地域を絞ったのではないだろうか。
2.「熊本どこさ 船場さ」
さらに、熊本の中で船場に地域を絞っている。このようにローカルな情報を、はたして他県の人とやり取りするだろうか。まずしないだろうと思う。同じ県民同士だからこそのやり取りだと思われる。
3.「船場山には たぬきがおってさ」
「船場山」という山は熊本にはないではないか、というのが他県説の大きな根拠になっているが、「船場山」の「やま」とは、登山するような山のことではなく、木々や藪が茂った一帯のことを指している。僕らの子供の頃も家の裏の竹藪を普通に「やま」と言っていた。「里山」と同じようなイメージだ。実際、船場の坪井川沿いに築かれた土塁に藪が生い茂り、地元の人たちは船場山と呼んでいたそうだ。ちなみに熊本城周辺には今でもたぬきが棲息している。
4.「~さ」
語尾に「さ」をつけるのは熊本弁にはない。というのも他県説の根拠になっている。しかし、この歌が子供たちが手まりで遊ぶときに、自然発生的に生まれたものならば、方言などは一切関係ないと思う。子供の発想はいつの時代も自由で柔軟だ。手まりのリズムと語尾の「さ」が感覚的に一番ピッタリ合ったのではないだろうか。ちょうど手合わせの「せっせっせ」と同じような言葉遊びの一つと考えたほうがいいのかもしれない。
以上のようなことを総合すると、城下町に住んでいる女の子が、在郷の親戚の家を訪ねて行った時、道端で遊んでいた近所の子供たちから「あんたどっからきたの?」とたずねられている場面をイメージすると僕にはピッタリくるのだが、いかがだろうか。

船場山と呼ばれた一帯があった第一高校周辺
1.「あんたがたどこさ 肥後さ 肥後どこさ 熊本さ」
まず、この部分が他県説の根拠の一つになっているところだが、明治16年生まれの僕の祖母に生前聞いていた話では、祖母の子供時代は「肥後=熊本」ではないということ。当時、熊本と呼んでいたのは昔の城下町にあたる限られた地域であり、その周辺地域のことを祖母は「在郷」と呼んでいた。つまり、肥後を熊本に言い換えたのではなくて、地域を絞ったのではないだろうか。
2.「熊本どこさ 船場さ」
さらに、熊本の中で船場に地域を絞っている。このようにローカルな情報を、はたして他県の人とやり取りするだろうか。まずしないだろうと思う。同じ県民同士だからこそのやり取りだと思われる。
3.「船場山には たぬきがおってさ」
「船場山」という山は熊本にはないではないか、というのが他県説の大きな根拠になっているが、「船場山」の「やま」とは、登山するような山のことではなく、木々や藪が茂った一帯のことを指している。僕らの子供の頃も家の裏の竹藪を普通に「やま」と言っていた。「里山」と同じようなイメージだ。実際、船場の坪井川沿いに築かれた土塁に藪が生い茂り、地元の人たちは船場山と呼んでいたそうだ。ちなみに熊本城周辺には今でもたぬきが棲息している。
4.「~さ」
語尾に「さ」をつけるのは熊本弁にはない。というのも他県説の根拠になっている。しかし、この歌が子供たちが手まりで遊ぶときに、自然発生的に生まれたものならば、方言などは一切関係ないと思う。子供の発想はいつの時代も自由で柔軟だ。手まりのリズムと語尾の「さ」が感覚的に一番ピッタリ合ったのではないだろうか。ちょうど手合わせの「せっせっせ」と同じような言葉遊びの一つと考えたほうがいいのかもしれない。
以上のようなことを総合すると、城下町に住んでいる女の子が、在郷の親戚の家を訪ねて行った時、道端で遊んでいた近所の子供たちから「あんたどっからきたの?」とたずねられている場面をイメージすると僕にはピッタリくるのだが、いかがだろうか。

船場山と呼ばれた一帯があった第一高校周辺
そうでしたか!洗馬という文字は今では電停の名前だけになりましたが、船場まで荷物を馬車で運んできて荷卸しをした後、川原で馬を洗っていた名残だと思われます。
”さ”は”さん”が省略されたのでは・・・。
熊本弁で「さん」をよく付けるのは、今風な言葉でいうと「~の方(ほう)」に近いと思います。元はというと平安時代に都で使われていた「様に」という方向などを表す言葉が地方に伝わり、次第に「さんに」になり、さらに「さん」に省略されたと言われています。東北地方などで使う「さ」も同じ語源と言われており、ぴっかまん様のご説は当っているかもしれません。ただ、この唄で使われている「さ」は間投助詞あるいは終助詞の「さ」であるという説もあり、論が分かれるところです。
企画でこれを描く時、たしか、このFUSAさんのブログも拝見した記憶があり、可能性”大”として船場山=第一高校の丘に私も一票を投じました。
洗馬川という字も記憶にあります。春日から五福小へ通いました。制服を作る時、この近くで寸法取りに来た事が有ります。中央郵便局へも時々。
さん=つけも納得ですね。伯母が熊本弁女性言葉の名手です、伯母の語りでいつも笑い転げていました記憶の糸もいまだ携えております。