
熊本最大のまつり「藤崎八旛宮秋の例大祭」はいよいよ明後日の神幸行列を控えて今日は「飾卸」。藤崎八旛宮でお祓いを済ませた各団体がさっそく雨降る街中に繰り出し、飾り馬を追うラッパや鐘太鼓と勢子たちの威勢のいい掛け声が響き渡っていた。ところでこの祭り、近年ますます女性参加者の多さと元気さが目立つようになり、僕らの子どもの頃とはかなり様相が変わってきた。賛否両論あるようだが、時代の変化とともにこうした伝統行事も徐々に姿を変えていくのは必然なのだろう。僕らの子どもの頃はこの祭りは「ボシタ祭り」と呼んでいた。その語源は、文禄・慶長の役が終結し、加藤清正が無事帰還したことを感謝し、藤崎八旛宮に飾り馬を奉納した神事の際、見ていた民衆が「朝鮮滅ボシタ!」と叫んだのが始まりとされている。昭和40年代の半ばに人権問題がシビアに問われるようになった社会風潮の中で「ボシタ」という呼び名を自粛するようになり、現在では年配者以外はほとんど言わなくなった。最近ではかつて「ボシタ祭り」と呼んでいたことすら知らない若者も参加しているらしい。また「ボシタ」の語源は「朝鮮滅ボシタ!」ではないと言い張る人もいるようだが、僕らの子どもの頃の勢子の掛け声は「ボシタ!」ではなく「ホロボシタ!」が一般的だったからなぁ、今さらという感じだ。ただ、それと伝統的な祭りの呼び名を禁止することがどうなのかということは別問題だ。さて明後日のお天気はどうかな?
年齢は定かではありませんが、祭りの最中、藤崎宮の境内で迷子になり泣きながら親を捜し廻ったことを覚えています。その時、棒状の朝鮮飴を買って貰ったような記憶があります。
どんな屁理屈をつけようと朝鮮を「滅ぼす」の意味の「ボシタ」のかけ声だと思います。
変な屁理屈を付けるより、歴史的事実は事実と認めることが大切でしょうね?
文禄・慶長の役の実相や民族差別の歴史的事実を正しく認識することが大事であって、400年近く使われた言葉にフタをするというのは、何か話が違うような気がしてなりません。
徒然さんのおっしゃる通り、過去の事実は事実と認めつつ、我々熊本県民は「ぼした祭り」を続けますと言えば良いことです。