今日は新型コロナワクチンの4回目接種を受けた。これまでの3回はかかりつけ医で受けたが、今回は接種券が届いた時点で既にかかりつけ医の方は空きがなかったので、昨年4月に開業した近所のクリニックで接種を受けた。
接種の後、経過観察で30分間、院内の一室に待機させられた。何もせず30分というのは結構長い。ぼんやりしているとふと、このクリニックの前を通る道が「牛縊坂(うしくびりざか)」であることを思い出した。道端には「牛縊坂」と書かれた石標も立っている。
僕が子供だった戦後間もない頃のこの坂の風景を思い浮かべた。当時は旧国道3号線(豊前街道)と牛縊坂が交差していて、加藤清正の時代に豊前街道は上り下りとも牛縊坂で直角に曲がる桝形道路(クランク)になっていた。荷馬車はよく見かけたが、牛が引く荷車はもう見かけなかった。今石標が立っている辺りが坂を登り切った地点で、かつてはこの辺りに牛を繋ぐにほどよい木立ちがあったのか、あるいはそのための柵が設けられていたのかもしれない。実はここから南の方へ進む街道沿いに商家が軒を連ねていて、運んできた農産物などはいちいち牛に運ばせるわけにもいかないので、ここに牛は繋いでおきあとは牛方が手持ちしたのだろう。中には不浄(肥汲み)車もやってきただろう。そんな昔に思いを馳せているとあっという間に30分が過ぎた。
ちなみに、「牛縊」を「うしくびり」と読むのは熊本だけかと思ったら、福島県郡山市に「牛縊本郷(うしくびりほんごう)」という地区があるらしい。
江戸時代前期の京町の絵図。赤いラインが「牛縊坂」
京町の周辺地域からこんな感じで荷物を運搬していたのだろう。
接種の後、経過観察で30分間、院内の一室に待機させられた。何もせず30分というのは結構長い。ぼんやりしているとふと、このクリニックの前を通る道が「牛縊坂(うしくびりざか)」であることを思い出した。道端には「牛縊坂」と書かれた石標も立っている。
僕が子供だった戦後間もない頃のこの坂の風景を思い浮かべた。当時は旧国道3号線(豊前街道)と牛縊坂が交差していて、加藤清正の時代に豊前街道は上り下りとも牛縊坂で直角に曲がる桝形道路(クランク)になっていた。荷馬車はよく見かけたが、牛が引く荷車はもう見かけなかった。今石標が立っている辺りが坂を登り切った地点で、かつてはこの辺りに牛を繋ぐにほどよい木立ちがあったのか、あるいはそのための柵が設けられていたのかもしれない。実はここから南の方へ進む街道沿いに商家が軒を連ねていて、運んできた農産物などはいちいち牛に運ばせるわけにもいかないので、ここに牛は繋いでおきあとは牛方が手持ちしたのだろう。中には不浄(肥汲み)車もやってきただろう。そんな昔に思いを馳せているとあっという間に30分が過ぎた。
ちなみに、「牛縊」を「うしくびり」と読むのは熊本だけかと思ったら、福島県郡山市に「牛縊本郷(うしくびりほんごう)」という地区があるらしい。
江戸時代前期の京町の絵図。赤いラインが「牛縊坂」
京町の周辺地域からこんな感じで荷物を運搬していたのだろう。
その工事で立ち退く事になった、田中酒店は友達の家でした。
車で出かける時、必ずと言っていいほど出会います(^^)/
交差点のクランク解消工事ご覧になりましたか!
私はその頃熊本にいなかったので見ていないんですよ。
旧3号線の植木方面から走って来て正面にあった家が私の同級生の家でよく遊びに行きましたが、進駐軍のジープが突っ込んだこともありました。
当時の状況について、京町の長老に明日にでも確かめておきます。
さてさて、私は4回目は38℃くらいに2日ほど熱が出て、その翌日は33℃の低体温になりましたが、どうぞご用心ください。
>牛が引く荷車はもう見かけなかった。
私が育った福岡の家の近くにはバスも走っていませんでしたが、たぶん馬車が連なぅていましたね。
肥汲み車が一番多かったような・・・。我が家も肥汲みした後、お礼に野菜を置いて帰ってくれていました。
今では、その通りは大型のバスがすれ違う幅の舗装で、福岡国際マラソンのコースになりました(もう、あのマラソンは去年で終わりだったのかな?)。現在は地下鉄が走っているのでバスも減便か廃止されたかも知れません。
なにしろ馬車が行きかっていた頃はデコボコ道で雨が降ったらドロドロでした。
有難うございました。
写真が載っていました。下のリンク先位の角度から撮られたもので、正面の道路の辺りが酒屋さん、左隣の三角州の様になっているところにもう1軒写っていました。酒屋さんの右は切れていました。そこも正面という感じかもしれません。その先に銭湯ありませんでした?
https://www.google.com/maps/@32.8144776,130.7055003,3a,75y,114.63h,76.31t/data=!3m7!1e1!3m5!1sMVnHm1rS65GGG4e11nvlOw!2e0!6shttps:%2F%2Fstreetviewpixels-pa.googleapis.com%2Fv1%2Fthumbnail%3Fpanoid%3DMVnHm1rS65GGG4e11nvlOw%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D350.5939%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i16384!8i8192
私の生家も荷馬車や肥汲車がよくやって来て隣の畑との間に停めていましたので、子供の頃はそれを飽きもせずじっと眺めていたものです。
家の前の県道は今は車がわがもの顔に走る道路になってしまいました。
そうそう、雨が降ったらぬかるんで大変でしたね。
ただ、時代の移り変わりとともに変わって行ったと思いますが、長老が印象深いのはこんな感じだそうです。
写真見て、二階の壁があるようだったので、左にもう1軒かと思いましたが、そこも田中酒店の続きだったみたいです。
銭湯、菊乃湯だったんですね。その先を左折して直ぐ右側にあったお菓子やさんも友達の家でした。