徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

漱石記念緑道の秋

2023-09-06 20:22:12 | 
 JR上熊本駅から京町台を通り坪井へ抜ける道を新坂という。明治24年(1891)に九州鉄道が熊本まで開通した時、池田停車場(上熊本駅)から坪井方面へ馬車を通すために新設された道路である。明治29年(1896)には第五高等学校の教師として熊本に赴任した夏目漱石が人力車でこの道を通った。
 上熊本駅から新坂を登り始めると、左側に九州森林管理局の丘が見えてくるが、ここは加藤清正公の時代、熊本城の外城として、北からの侵入を防ぐ役割を持つ「赤尾丸城」があったところである。慶長16年(1611)に清正公が亡くなった時、この丘の上で荼毘に付された殯(もがり)の丘でもある。現在は明治42年の「清正公三百年遠忌」の際に建てられた「静慶庵」の跡に碑が建てられているだけである。さらに新坂を上ると右側に合流する古い小さな坂道がある。この坂は釈将寺坂と呼ばれ、その昔、この坂の上に釈将寺という天台宗のお寺があり、その名が付けられたという。この釈将寺は、俳人・松尾芭蕉をして「俳諧の中興開山」と言わしめた談林派俳諧の祖、西山宗因が幼い頃、初めて和歌や連歌に触れ、俳人連歌師への道を歩き始めたお寺である。新坂を登り切った左側に京陵中学校がある。古い大きなクスノキが並ぶ辺りを、漱石来熊百年(1996)を記念して「漱石記念緑道」と名付け、句碑や花壇、ベンチなどが整備された。
 今日も日中の日差しは相変わらずだが、「漱石記念緑道」はすっかり秋の草花に覆われている。








   秋になると聞きたくなるのがこの「秋の色種(いろくさ)」


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