昨日は北島康介の100m平泳二連覇に国中が沸き立った。テレビでは200mでも連覇は間違いないと言っている。そんな様子を横目で見ながら、田中聡子さんのことを思い出した。田中聡子さんとは1960年前後の日本の背泳の第一人者でローマ五輪の100m背泳で銅メダルを獲った人だ。われわれの4級上で、中学校は違ったが同じ先生の指導を受けた関係で水泳部の先輩のような気がしていた。実際に田中さんご本人から指導を受けたこともある。その田中聡子さんは200mが得意だった。その頃、200mでは世界新記録を連発していた。しかし、残念ながら当時はオリンピックでは200mという種目がなかった。メダルを期待された東京五輪では、既にピークを過ぎていたこともあって100m背泳で4位とメダルに一歩届かなかった。レース終了後、放心したかのような彼女の表情を今でも思い出す。しかし、彼女は当時まぎれもなく世界の水泳界の大スターだった。各国の選手や水泳関係者から尊敬を集めていた。五輪の実績は銅メダル1個ながらも国際水泳殿堂入りしていることでもそれは証明されている。ちなみに、皮肉にも東京の次のメキシコ五輪からは200m背泳が種目に加えられた。
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