徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

相撲町と吉田司家

2017-12-07 20:29:19 | 熊本
 毎日、朝から晩までテレビでは相撲のいやな話題ばかり。いいかげんウンザリだ。
 そんな中、今日夕方のTKU「みんなのニュース」で「城下の地名に隠された歴史」というシリーズのコーナーをやっていて、地名研究家の毛利秀士さんが解説をしていた。今日、取り上げた地名の中に「相撲町」があった。光琳寺通りから下通りを横切って東の方に進む界隈は、かつて「相撲町」と呼ばれていた。ここは肥後細川三代藩主・細川綱利公が越前から相撲の宗家・吉田司家十五代追風を招聘し、ここに屋敷を構えさせた。以降、この界隈に力士など相撲関係者が多く住むようになったことによりこの名がついた。
 番組では吉田司家についても紹介していたが、1982年に吉田司家で行われた初代吉田追風の追悼750年祭で、第58代横綱・千代の富士が奉納土俵入りをする懐かしい映像も流れた。
 僕らの子どもの頃、新横綱が誕生すると藤崎宮参道沿いの吉田司家で免許状の授与が行われていた。吉田司家からほど近い白川公園で毎年行なわれる熊本巡業は県内外から見物に来る大勢の人たちで賑わった。いやなニュースばかり聞いていると、ますますあの頃が懐かしい。


土俵入りを奉納する第58代横綱・千代の富士


かつて藤崎八旛宮の参道沿いに吉田司家があった。


今も跡地には記念のプレートが掲示されている。


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