徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

光秀の実像と湖西の風景

2021-01-08 22:48:51 | 歴史
 大河ドラマ「麒麟がくる」もいよいよ大詰め、あと5回となった。今、光秀が近江の坂本城にいた時代の話が続く。見ながら、薩摩の戦国武将、島津家久が京へ上った時の見聞録「家久君上京日記」のことを思い出した。天正3年(1575)春のことだ。家久は当代きっての連歌師であり文化人である里村紹巴を訪ねるが、その折、石山本願寺攻めから帰陣する信長の大軍に遭遇する。革衣を着た信長は馬上で眠っていたという。その後、紹巴の案内で坂本城に光秀を訪ねる。光秀の歓待を受け、近江の酒と琵琶湖の魚でもてなされ、一緒に風呂に入ったりもする。どんなドラマでも見たことがない光秀の実像が垣間見える。

 僕が彦根で勤務していた頃、滋賀県内の高校をリクルートして廻った。湖西では堅田高校や北大津高校、そして比叡山高校などをまわった。堅田や坂本の風景を懐かしく思い出す。堅田は近江八景の一つ「堅田の落雁」でよく知られている。鎌倉時代の説話集「古今著聞集」には、暴れ馬を足一本で止めたという怪力女「近江のお兼」が登場するが、長唄「晒女(さらしめ)」は、堅田を舞台に「近江のお兼」のことが唄い込まれている。


歌川広重「堅田落雁」