
県道を渡れる脚を持たざれば春野にはこべら踏むこともなし
平成29年の暮、奥様から喪中はがきをいただいた時、この歌が遺作として書き添えられていた。先生の最晩年は身体がご不自由で、自らの足で歩くことはできなくなっていた。そんな身の上を、自虐的なニュアンスを込めて歌われたものと思う。先生のご自宅近くを通る県道長洲玉名線を横切ると田園地帯が広がっている。その畦道には春になると七草のひとつ「はこべら(ハコベ)」が咲き乱れ、先生の少年時代はおそらくその畦道が遊び場だったのだろう。
この歌を読みながら、僕は少女詩人・海達公子が幼い頃に詠んだ一つの詩を思い出した。それは「すみれ」と題する可愛らしい詩だった。
あしもとのすみれ ふまんでよかつた
海達公子を愛し、生涯をかけて顕彰し続けた規工川先生は、最後の最後まで公子のことを忘れることはなかったに違いない。はこべらの歌を詠まれた時も、公子のこの詩が念頭にあったのかもしれない。
