8年前にYouTubeにアップした「肥後キンニョムニョ節」に、島根の竹下博文さんから、隠岐諸島の島前・海士町に伝わる、この唄の隠岐バージョンともいうべき「隠岐キンニャムニャ」をご紹介いただきました。
7年ほど前に「キンニョムニョ」について、このブログで解説したことがありましたが、せっかくの機会なので再編集した記事をアップしてみました。
〽 肥後の駒下駄キンニョムニョ 血達磨大川
加藤清正キンニョムニョ
毒饅頭 キクラカチャカポコ ちょいと来なよ
〽 片山木陰にキンニョムニ 身は時鳥
焦がれて鳴く声キンニョムニョ
聞かせたい キクラカチャカポコ ちょいと来なよ
〽 雨の夕べはキンニョムニョ 降られて帰る
今宵月夜にキンニョムニョ
照らされた キクラカチャカポコ ちょいと来なよ
「キンニョムニョ」は江戸時代後期から明治初期あたりにかけて熊本の花柳界で唄われていた端唄・俗曲の一つだといわれています。歌詞は「七七七五」の口説きに「キンニョムニョ」とか「キクラカチャカポコ」など意味のない囃子詞を間に挟んでいますが、内容は肥後に関係のある歌舞伎・浄瑠璃・講談などの外題を並べたものです。口調の良い文句を羅列しただけで、歌詞として全体の意味がまとまっているわけではありません。
▼肥後の駒下駄
家老職を務めたほどの家柄でありながら、些細なことで貶められ切腹に追い込まれた父の無念を晴らそうと奮闘する向井善九郎という侍の物語。多くの登場人物の人間模様が絡んで複雑な展開を見せる。
▼血達磨大川(細川の血達磨)
通称「細川の血達磨」とよばれる「蔦模様血染御書」は、細川家の家宝である徳川家康 から賜った御朱印状を、火災の中に飛び込んだ大川友右衛門が切腹して腹の中で死守したという忠義の物語。
▼加藤清正毒饅頭(清正誠忠録)
京都二条城における徳川家康と豊臣秀頼の会見に付き添った後、急逝した加藤清正には昔から民間伝承として毒殺説が存在するが、毒殺をも恐れず秀頼を守った清正の豊臣家に対する忠義の物語。
二番、三番の歌詞については、紫式部が詠んだ次のような歌があります。
「ほととぎす 声まつほどは 片岡の 森のしづくに 立ちやぬれまし」
この片岡というのは京都上賀茂神社の東の丘で「片山」ともよばれているそうです。この歌から発想したのかどうかはわかりませんが、おそらく「ほととぎす」や「片山」を題材とした和歌を引用しているのではないかと推測します。
西南戦争の時、官軍の兵士として熊本へやってきた人がそれぞれの地元に持ち帰った「キンニョムニョ」の変化バージョンが、隠岐の島や長野などで唄われています。
7年ほど前に「キンニョムニョ」について、このブログで解説したことがありましたが、せっかくの機会なので再編集した記事をアップしてみました。
〽 肥後の駒下駄キンニョムニョ 血達磨大川
加藤清正キンニョムニョ
毒饅頭 キクラカチャカポコ ちょいと来なよ
〽 片山木陰にキンニョムニ 身は時鳥
焦がれて鳴く声キンニョムニョ
聞かせたい キクラカチャカポコ ちょいと来なよ
〽 雨の夕べはキンニョムニョ 降られて帰る
今宵月夜にキンニョムニョ
照らされた キクラカチャカポコ ちょいと来なよ
「キンニョムニョ」は江戸時代後期から明治初期あたりにかけて熊本の花柳界で唄われていた端唄・俗曲の一つだといわれています。歌詞は「七七七五」の口説きに「キンニョムニョ」とか「キクラカチャカポコ」など意味のない囃子詞を間に挟んでいますが、内容は肥後に関係のある歌舞伎・浄瑠璃・講談などの外題を並べたものです。口調の良い文句を羅列しただけで、歌詞として全体の意味がまとまっているわけではありません。
▼肥後の駒下駄
家老職を務めたほどの家柄でありながら、些細なことで貶められ切腹に追い込まれた父の無念を晴らそうと奮闘する向井善九郎という侍の物語。多くの登場人物の人間模様が絡んで複雑な展開を見せる。
▼血達磨大川(細川の血達磨)
通称「細川の血達磨」とよばれる「蔦模様血染御書」は、細川家の家宝である徳川家康 から賜った御朱印状を、火災の中に飛び込んだ大川友右衛門が切腹して腹の中で死守したという忠義の物語。
▼加藤清正毒饅頭(清正誠忠録)
京都二条城における徳川家康と豊臣秀頼の会見に付き添った後、急逝した加藤清正には昔から民間伝承として毒殺説が存在するが、毒殺をも恐れず秀頼を守った清正の豊臣家に対する忠義の物語。
二番、三番の歌詞については、紫式部が詠んだ次のような歌があります。
「ほととぎす 声まつほどは 片岡の 森のしづくに 立ちやぬれまし」
この片岡というのは京都上賀茂神社の東の丘で「片山」ともよばれているそうです。この歌から発想したのかどうかはわかりませんが、おそらく「ほととぎす」や「片山」を題材とした和歌を引用しているのではないかと推測します。
西南戦争の時、官軍の兵士として熊本へやってきた人がそれぞれの地元に持ち帰った「キンニョムニョ」の変化バージョンが、隠岐の島や長野などで唄われています。