徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

大津絵飛騨ぶし

2019-09-11 14:57:36 | 音楽芸能
 YouTubeの「東海風流チャンネル」に水野詩都子さんと本條秀五郎さんによる「大津絵飛騨ぶし」という歌がアップされている。東海道五拾三次の宿場を品川から大津まで綴った歌詞となっている。
 先月、熊本県立美術館で開催されていた「歌川広重展」で東海道五拾三次の浮世絵集を観たばかりだったし、25年ほど前、滋賀県に住んでいた僕にとって大津は思い出の町でもあるのでとても興味深かった。その大津絵ぶしがなぜ飛騨なのか、これが疑問だった。下の映像の中にも触れられているが、飛騨は東海道とは遠く離れている。しかし、江戸時代は街道のネットワークが発達しており、大津は東海道の宿場であるとともに中山道の宿場でもあるから大津の流行り歌が中山道の太田宿を経由し飛騨街道に入って飛騨へ伝わることは、他の民謡の伝播などと同様、ごく普通のことだったと考えられる。飛騨に伝わった大津絵ぶしは、地域なりのアレンジや独自の作詩が行われ、「大津絵飛騨ぶし」となったのだろう。
 そもそも大津絵は、「大津絵の筆の始は何仏」という芭蕉の句が残っているように、江戸時代前期に旅人のお守りとして作られた仏画が始まりだという。旅の土産として人気が出ると「藤娘」のような風俗画も描くようになり益々人気を博して行った。江戸中期になると、これら人気の大津絵を題材とした大津絵ぶしを大津の遊女たちが歌い始め、これが街道を往来する旅人たちによって各地に伝えられていった。さらに大津絵が歌舞伎舞踊の題材となったことも、全国的な人気に拍車をかけた。その大津絵ぶしの元唄は次のように絵の題材を並べたものだった。

 〽外法梯子剃り、雷錨で太鼓を釣りあげる
  御若衆は鷹を据え 塗傘お山は藤の花
  座頭の褌を犬わんわん咬いつきゃびっくり仰天し
  遽てて杖をふりあげる
  荒気の鬼も発起して、鉦撞木
  瓢箪鯰でおさえましょ
  奴の槍持釣鐘矢の根五郎