今夜のTKU(フジ系列)のバラエティ番組「日本語探Qバラエティクイズ!それマジ!?ニッポン」で、世界で注目されている植木町のハート型スイカが問題に出された。江戸時代からスイカの名産地として知られる植木町、2010年に熊本市に編入され、合併特例区となっているが、来年3月22日をもって合併特例区の期限が切れる。それ以降の町の事業がどうなるのか先行き不透明な状況だ。
植木町はもともと「味取町」として交通の要衝として発展した町だが、味取地区の看板には次のように記載されている。
「味取町」について
来民往還の分岐点、豊前街道沿いに加茂坂の登りつめにあり、豊富な湧水もあって、かなり以前より集落が形成されたものと思われる。寛永9(1632)年、内村内に味取町が設けられ、在町として栄えた。町名の起源を「荷取」とも、和名抄の「三重郷」等に由来するとも伝える。参勤交代の際の茶屋が豪商松屋(堀家)に置かれた。盛時には約150戸の民家を数え、上、西松屋、富七屋、砥石屋といった商家が軒を並べたと云う。元禄年間に当町から植木町(味取新町)に分かれた。明治18年、新道(福岡往還)の開通と共に往時の賑わいを失っていった。
また、スイカやメロンなどの農産物はもちろんのこと、田原坂を始めとする西南戦争の激戦地、小野小町伝説の残る泉水、種田山頭火ゆかりの味取観音、そして植木温泉など、いろんな魅力を湛えた町である。たとえ熊本市内の一町になっても、キラリと光る町であり続けてほしいと願っている。
▼世界が注目!「ハート型スイカ」


▼田原坂花音頭
植木町はもともと「味取町」として交通の要衝として発展した町だが、味取地区の看板には次のように記載されている。
「味取町」について
来民往還の分岐点、豊前街道沿いに加茂坂の登りつめにあり、豊富な湧水もあって、かなり以前より集落が形成されたものと思われる。寛永9(1632)年、内村内に味取町が設けられ、在町として栄えた。町名の起源を「荷取」とも、和名抄の「三重郷」等に由来するとも伝える。参勤交代の際の茶屋が豪商松屋(堀家)に置かれた。盛時には約150戸の民家を数え、上、西松屋、富七屋、砥石屋といった商家が軒を並べたと云う。元禄年間に当町から植木町(味取新町)に分かれた。明治18年、新道(福岡往還)の開通と共に往時の賑わいを失っていった。
また、スイカやメロンなどの農産物はもちろんのこと、田原坂を始めとする西南戦争の激戦地、小野小町伝説の残る泉水、種田山頭火ゆかりの味取観音、そして植木温泉など、いろんな魅力を湛えた町である。たとえ熊本市内の一町になっても、キラリと光る町であり続けてほしいと願っている。
▼世界が注目!「ハート型スイカ」


▼田原坂花音頭