1週間ほど前、途中から見て再放送を見たいなと思っていた番組、NHK・Eテレ「こころの時代~宗教・人生~『“源氏物語”と歩む』」が今日再放送された。90歳の今なお教壇に立つ「源氏物語」研究の第一人者、秋山虔(あきやまけん)先生。戦時中に学生時代を過ごし、時代背景から「源氏物語」を否定することから研究を始めた秋山先生だったが、深く読み進めるうちに物語に描かれている人間たちの生きざまに共感するようになる。そしてそれを書いた紫式部の人生観にとらえられて行ったという。
そんな中に特に印象深い話があった。それは「源氏物語」の中にも度々出てくる「徒然(つれづれ)」という言葉の持つ意味の話だった。先生によれば「つれづれ」という言葉には、単に「退屈な」とか「寂しい…」とかいう意味だけではなく、「何かやるべきなのにやるすべがない」というようなニュアンスが含まれているのだという。これを聞いて僕はストンと腑に落ちた気がした。というのはこのブログのタイトル「徒然(とぜん)なか話」は、祖母がよく言っていた「とぜんなか~」という言葉が好きでこのタイトルをつけたのだが、他人から「どういう意味?」と聞かれても僕自身が納得できる回答ができないでいた。今日の秋山先生の言葉を聞いて、まさに祖母が言っていた「とぜんなか~」には確かにこんなニュアンスが含まれていたことをあらためて確認できたのである。
そんな中に特に印象深い話があった。それは「源氏物語」の中にも度々出てくる「徒然(つれづれ)」という言葉の持つ意味の話だった。先生によれば「つれづれ」という言葉には、単に「退屈な」とか「寂しい…」とかいう意味だけではなく、「何かやるべきなのにやるすべがない」というようなニュアンスが含まれているのだという。これを聞いて僕はストンと腑に落ちた気がした。というのはこのブログのタイトル「徒然(とぜん)なか話」は、祖母がよく言っていた「とぜんなか~」という言葉が好きでこのタイトルをつけたのだが、他人から「どういう意味?」と聞かれても僕自身が納得できる回答ができないでいた。今日の秋山先生の言葉を聞いて、まさに祖母が言っていた「とぜんなか~」には確かにこんなニュアンスが含まれていたことをあらためて確認できたのである。