今日は藤崎八旛宮秋季大祭。この祭としては久しぶりに快晴に恵まれたような気がする。この祭のもととなった放生会(ほうじょうえ)は1000年以上、呼び物の飾り馬奉納も400年以上の歴史を持つ。この祭に触れた文人たちが書き残した記述から興味深い歴史が見えてくる。
■ラフカディオ・ハーン
1.明治25年(1892)11月24日付、西田千太郎宛ての手紙の中で
藤崎八旛宮秋季大祭(放生会)「朝鮮亡シタリ。エヽコロ亡シタリ――」という掛け声。
2.明治26年9月23日付け、チェンバレン宛ての手紙の中で
藤崎八旛宮の秋季大祭。「それは気違いじみた大祭で、おかしな飾りをつけた馬をひきまわし、
ボシタリ!ボシタリ!と叫ぶ。これは朝鮮出兵前に加藤清正が八旛様に唱えて以来の記念
すべき掛け声だとのこと。」
■種田山頭火
「行乞記」 昭和5年9月15日、人吉の宮川屋に滞在中の記述の中で
「熊本は今日が藤崎宮の御神幸だ、飾馬のボシタイ/\の声が聞えるやうな気がする、
何といつても熊本は第二の故郷、なつかしいことにかはりはない。」
■ラフカディオ・ハーン
1.明治25年(1892)11月24日付、西田千太郎宛ての手紙の中で
藤崎八旛宮秋季大祭(放生会)「朝鮮亡シタリ。エヽコロ亡シタリ――」という掛け声。
2.明治26年9月23日付け、チェンバレン宛ての手紙の中で
藤崎八旛宮の秋季大祭。「それは気違いじみた大祭で、おかしな飾りをつけた馬をひきまわし、
ボシタリ!ボシタリ!と叫ぶ。これは朝鮮出兵前に加藤清正が八旛様に唱えて以来の記念
すべき掛け声だとのこと。」
■種田山頭火
「行乞記」 昭和5年9月15日、人吉の宮川屋に滞在中の記述の中で
「熊本は今日が藤崎宮の御神幸だ、飾馬のボシタイ/\の声が聞えるやうな気がする、
何といつても熊本は第二の故郷、なつかしいことにかはりはない。」