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徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

マレー・ローズの時代

2012-04-19 17:15:36 | スポーツ一般
 先日、オーストラリアの名スイマー、マレー・ローズさんが他界した。1950年代の半ばから1960年代の初め頃まで、自由形の中長距離で世界のトップスイマーだったローズさんは、日本人にとって、特に僕らのように同じ年代に水泳に関わった人間にとって忘れることのできない人だ。何ともしゃくにさわる存在だった。同じ時代、常に日本の自由形のトップスイマーだった山中毅さんの壁となった。しかし、伝え聞くローズさんの人間性はとても好感のもてる紳士だった。もともとスコットランドの貴族の出だというその顔はどこかノーブルな雰囲気を漂わせていた。ベジタリアンだったとも聞いた。山中さんとは終生、親友であり続けたという。
 ローズ、山中がデッドヒートを繰り返していた時代、水泳の世界は今とは随分異なる様相を呈していた。夏になると毎年のように日米対抗や日豪対抗が神宮プールや大阪扇町プールで行われた。必ずテレビ中継があり、僕らは二人の熱戦に手に汗を握った。一度だけ神宮プールで生で見たことがある。夜の神宮プールのスタンドは立錐の余地もないほどの観客で埋め尽くされ、メインレースともなると会場は異様な興奮に包まれた。いったん照明が落とされ、スポットライトの中に主役たちが登場した。まるでハリウッドのスターを思わせた。そして二人のマッチレースはドラマそのものだった。
 それから50年が過ぎた。今年はロンドン・オリンピックが行われる。北島を始めとする日本水泳陣の活躍にも期待がかかる。しかし、僕はもうあの時代のように興奮してレースを見ることはない。
※右上の写真はかつて日本水泳のメッカとなっていた神宮プール


1961年の全米選手権400m自由形でデッドヒートを繰り広げるローズと山中