徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

金剛寺は何処? ~ 民謡ポンポコニャにまつわるエトセトラ ~

2012-01-24 21:12:44 | 音楽芸能
 熊本民謡「ポンポコニャ」には謎が多い。細川藩時代にできた座敷唄だと言われているが、中でも僕が最後までわからなかったのが、京町のくだりに出てくる金剛寺がどこにあったお寺で、その後どうなったのかということだった。1年ほど前から図書館などでいろんな文献を調べたがわからず、この程とうとう熊本市歴史文書資料室に調査依頼をした。その結果、昨日判明したという連絡があった。元禄時代の京町之絵図に書き込まれていたその場所は僕が想像していた場所と違い、中坂の登り口にあった。さらにその場所は崖崩れの危険性があったため、明治22年に移転していたという文書も出てきた。そして移転先の大江村の番地を今日の番地に置き直すと、今の新屋敷の「金剛寺中将姫」(写真)がそれであることが確認できた。実はこのお寺のことは前にも調べていたのだが、今日までいろいろと有為転変があったらしく詳細は確認できなかった。あと一つ残る疑問は、金剛寺のくだりでなぜ揚弓が出てくるのかということだ。元禄時代は寺社の境内で矢場を開くところも多かったらしいので、ひょっとしたら金剛寺でもやっていたのだろうか。

▼元禄時代の京町之絵図。赤丸のところに金剛寺と書いてある。



▼同じ場所を今日の地図で見てみると・・・



▼竹林の下を左の方に入った辺りが金剛寺があった場所。



♪ 花の熊本 長六橋から眺むれば オヤポンポコニャ
   下は白川 両芝居 少しさがればな オヤ 本山渡し船
   オオーサポンポコ ポンポコニャ

♪ 花の熊本 涼みがてらに眺むれば オヤポンポコニャ
   清水湧き出る水前寺 少し下がればナ オヤ 江津湖の舟遊び 
   オオーサポンポコ ポンポコニャ               

♪ 花の熊本 銀杏城から眺むれば オヤ ポンポコニャ
   下は清正公菩提所 少し下がればナ オヤ 横手の五郎さん
   オオーサポンポコ ポンポコニャ 

♪ 花の京町 中坂越ゆれば金剛寺 オヤポンポコニャ
   揚弓ガッチリ 信濃の善光寺 少し下がればナ オヤ ほんまの二十四拝  
   オオーサポンポコ ポンポコニャ