この発明を生かす事業には、奥さんの父親も参加してきた。親父さんのやっていた理科講座、数学講座は不人気で、たいした人数は集まらなかった。ただ限られたメンバーたちは、この事業に契約社員のような形で参加して、やがて本職になる人もいた。
色々な分野の人、発明のバックボーンを判る人たちにも意見を聞いていた
実行感覚に優れていた チャタロウグループと協力していた。個人再生をしていた人たちはそれに乗っかる形で進められた
結果的に言えば、この事業は成功した。
個人としてこの事業を進める形ではなく、チャタロウグループの協力会社として進んでいた、この人たちの会社には、チャタロウグループの会社とリトルチャのアメリカ代表オフィスが出資して、個人再生を図る人たちは、リトルチャ財団が出資分を貸す事で少しは出資していた。