いわゆる『偉人伝』ではない『自伝』がお好きな甲斐さん
『ミュージック・ビジネスじゃなくて
ミュージシャンの背景に興味があって
どういう心の成り立ちでああなっていくんだ』という
メンタルの部分に注目なさったり
多くのバンドが著作権で揉めていることや(笑)
プロデュースのタイミングについての知識も吸収なさっていたようですが
スタンディング・オベイションの普及に時間をかけて
周到な準備をされたのにも関わらず
花園でのライブは暴動寸前に…(汗)
甲斐さんが話されてた通り
事故に到ってないから『伝説』と呼ばれ
今でこそ『ビニールシート』もネタになってますけど(笑)
40年のキャリアの中で『たった1度だけ』中断したライブには
色んな思いがおありなんじゃないかと…
まあ、そのことさえもう伝説の一部なんでしょうね(笑)
ライブ中に20分(この番組では15分とおっしゃってたけど)も
ミュージシャンが説教するなんて、まずないことだと思うし…(爆)
『俺よりラテンかよ!?(笑)』という甲斐さんの言葉に
奥さんが笑っていられるのも『苦渋の決断』のおかげです
ともあれ、甲斐さんが海外のロックから学ばれたことが
仮設トイレの設置や過去の音源・映像の保持に結びついてる訳ですが
かねてより常々おっしゃってる
『音楽は文化じゃない、経済だ(笑)』発言に
奥さんいわく…
だから初期の映像を放出して
保管料を回収しようよ♪(爆)
かつての野音や渋谷公会堂の映像が
…というより、超ロングヘアの甲斐さんが諦め切れないみたいです(爆)
そうそう!甲斐さんは、パンフやチラシなど
音源に関係ないものは持っておられないようだけど
『うまいもんで、松藤が全部持ってる』と甲斐さん(笑)
山野楽器の公録の時にも
『ビル・ワイマン』を引き合いに出されてましたが
そういう意味でもラブリーパートナーなんですね♪
【ブルーレター】の『孕ませて』だけでなく
『破れたハート…』が倫理規定に!?…という話は聞いたことがあると奥さん
【どっちみち俺のもの】の『植物●間』の部分が
音声処理されて流されていたという
でも、この放送でその理由が
『全面暴力賛美(爆)』だったと聞いて
『えっ!?そっち!?』と笑い転げておりました(笑)
まあ【ダイナマイトが150屯】に
【ジャンキーズ・R&R】ですもんねえ…(爆)
甲斐さんは『やった!!(爆)』と自慢話のように話されてたけど(笑)
奥さんによると…
当時は、難産だった【破れた…】や【ブルーレター】が
楽曲としてではない部分で取り沙汰されたことで
『不憫な曲だ』とおっしゃっていたという
ともあれ、マニアックな曲ばかりコピーしていた高校生が(笑)
その後、本気でプロになろうとして
『オリジナルを書くと女の子にモテるよ』って
言われたからではないでしょうけど(笑)
『オリジナルを演らないとダメだ(爆)』と曲作りに励み
ソロ・デビューのはずが、バンドを作りたいと言って
レコード会社が引いた(笑)のは
『頭の中でバンド・サウンドが流れていたから』だと…
ちなみに、何故そうだったのか?甲斐さんによると…
ステージに立つ時はギターの弾き語りで
レコードではバックに多くのミュージシャンを起用して
厚いサウンドを作るというやり方は
その落差が大きくて、今後は通用しにくいと思った
ソロよりバンドの方に大きな可能性が見えたからだそうだ
そしてプロになる際には、チャートに入ることを意識した
ロックの第一世代として、判りやすい表現を選び
スタジアムバンドを目指すことに…♪
甲斐さんいわく…人生は計画と準備が大事
こみ上げる思いと衝動をただの思いつきて終わらせるのではなく
自分を信じて、とことん追究する
舘野さんが『甲斐さんは繊細なのに狂暴(爆)』とおっしゃった時
『大胆でありながら繊細』って言って欲しい(笑)と
笑っていらっしゃったけど
この放送を見て、ホントにそうだなあと思いました
ロックが市民権を得た後は、スタイルが必要になると甲斐さん
宮迫博之さんとの対談の際にも…
ビッグ・マーケットになると
質が拡散しながらどんどん低下していくから
お笑いもロック・ミュージックも本質的なところに向かおうとすると
形にとらわれてる場合じゃなく
らしい自分の色とか、らしい自分のやり方、嗅覚とか
そういうところで技を磨くしかない
いくら自分が目指したって、狙ったって
そこに時代とか旬なものとかが寄って来なかったら意味がない
だから、運もあるんだけど
それ以上にその時代に生きてる自分が
その時代の旬なものを嗅ぎ分けてるんですよと話されてました
ただ『年齢を重ねることは怖くない』と
サラリと言える60代なんて、そうはいません(笑)
でも甲斐さんは、20代の頃から『ユーミンや俺たち(甲斐バンド)は
年齢に関係なく音楽をやり続ける最初の世代だ』とおっしゃってたんですよね
『博覧強記のロックマニア』というナレーションが
ピッタリな甲斐さんでしたけど
最後の最後に『歌詞が微妙に違う』話でオチがつき(笑)
いや~楽しませて頂きました♪
余談ですが、甲斐さんが
デイヴ・クラーク・ファイヴのファンクラブに
入っていらしたことに触れた記事を探してみたら
これを書かれたのは五業昌晶さん
…後に甲斐バンドのマネージャーになられた佐藤剛さんでした(笑)
『ミュージック・ビジネスじゃなくて
ミュージシャンの背景に興味があって
どういう心の成り立ちでああなっていくんだ』という
メンタルの部分に注目なさったり
多くのバンドが著作権で揉めていることや(笑)
プロデュースのタイミングについての知識も吸収なさっていたようですが
スタンディング・オベイションの普及に時間をかけて
周到な準備をされたのにも関わらず
花園でのライブは暴動寸前に…(汗)
甲斐さんが話されてた通り
事故に到ってないから『伝説』と呼ばれ
今でこそ『ビニールシート』もネタになってますけど(笑)
40年のキャリアの中で『たった1度だけ』中断したライブには
色んな思いがおありなんじゃないかと…
まあ、そのことさえもう伝説の一部なんでしょうね(笑)
ライブ中に20分(この番組では15分とおっしゃってたけど)も
ミュージシャンが説教するなんて、まずないことだと思うし…(爆)
『俺よりラテンかよ!?(笑)』という甲斐さんの言葉に
奥さんが笑っていられるのも『苦渋の決断』のおかげです
ともあれ、甲斐さんが海外のロックから学ばれたことが
仮設トイレの設置や過去の音源・映像の保持に結びついてる訳ですが
かねてより常々おっしゃってる
『音楽は文化じゃない、経済だ(笑)』発言に
奥さんいわく…
だから初期の映像を放出して
保管料を回収しようよ♪(爆)
かつての野音や渋谷公会堂の映像が
…というより、超ロングヘアの甲斐さんが諦め切れないみたいです(爆)
そうそう!甲斐さんは、パンフやチラシなど
音源に関係ないものは持っておられないようだけど
『うまいもんで、松藤が全部持ってる』と甲斐さん(笑)
山野楽器の公録の時にも
『ビル・ワイマン』を引き合いに出されてましたが
そういう意味でもラブリーパートナーなんですね♪
【ブルーレター】の『孕ませて』だけでなく
『破れたハート…』が倫理規定に!?…という話は聞いたことがあると奥さん
【どっちみち俺のもの】の『植物●間』の部分が
音声処理されて流されていたという
でも、この放送でその理由が
『全面暴力賛美(爆)』だったと聞いて
『えっ!?そっち!?』と笑い転げておりました(笑)
まあ【ダイナマイトが150屯】に
【ジャンキーズ・R&R】ですもんねえ…(爆)
甲斐さんは『やった!!(爆)』と自慢話のように話されてたけど(笑)
奥さんによると…
当時は、難産だった【破れた…】や【ブルーレター】が
楽曲としてではない部分で取り沙汰されたことで
『不憫な曲だ』とおっしゃっていたという
ともあれ、マニアックな曲ばかりコピーしていた高校生が(笑)
その後、本気でプロになろうとして
『オリジナルを書くと女の子にモテるよ』って
言われたからではないでしょうけど(笑)
『オリジナルを演らないとダメだ(爆)』と曲作りに励み
ソロ・デビューのはずが、バンドを作りたいと言って
レコード会社が引いた(笑)のは
『頭の中でバンド・サウンドが流れていたから』だと…
ちなみに、何故そうだったのか?甲斐さんによると…
ステージに立つ時はギターの弾き語りで
レコードではバックに多くのミュージシャンを起用して
厚いサウンドを作るというやり方は
その落差が大きくて、今後は通用しにくいと思った
ソロよりバンドの方に大きな可能性が見えたからだそうだ
そしてプロになる際には、チャートに入ることを意識した
ロックの第一世代として、判りやすい表現を選び
スタジアムバンドを目指すことに…♪
甲斐さんいわく…人生は計画と準備が大事
こみ上げる思いと衝動をただの思いつきて終わらせるのではなく
自分を信じて、とことん追究する
舘野さんが『甲斐さんは繊細なのに狂暴(爆)』とおっしゃった時
『大胆でありながら繊細』って言って欲しい(笑)と
笑っていらっしゃったけど
この放送を見て、ホントにそうだなあと思いました
ロックが市民権を得た後は、スタイルが必要になると甲斐さん
宮迫博之さんとの対談の際にも…
ビッグ・マーケットになると
質が拡散しながらどんどん低下していくから
お笑いもロック・ミュージックも本質的なところに向かおうとすると
形にとらわれてる場合じゃなく
らしい自分の色とか、らしい自分のやり方、嗅覚とか
そういうところで技を磨くしかない
いくら自分が目指したって、狙ったって
そこに時代とか旬なものとかが寄って来なかったら意味がない
だから、運もあるんだけど
それ以上にその時代に生きてる自分が
その時代の旬なものを嗅ぎ分けてるんですよと話されてました
ただ『年齢を重ねることは怖くない』と
サラリと言える60代なんて、そうはいません(笑)
でも甲斐さんは、20代の頃から『ユーミンや俺たち(甲斐バンド)は
年齢に関係なく音楽をやり続ける最初の世代だ』とおっしゃってたんですよね
『博覧強記のロックマニア』というナレーションが
ピッタリな甲斐さんでしたけど
最後の最後に『歌詞が微妙に違う』話でオチがつき(笑)
いや~楽しませて頂きました♪
余談ですが、甲斐さんが
デイヴ・クラーク・ファイヴのファンクラブに
入っていらしたことに触れた記事を探してみたら
これを書かれたのは五業昌晶さん
…後に甲斐バンドのマネージャーになられた佐藤剛さんでした(笑)