そして「7月15日 愛知」のクレジットが出て
Zepp名古屋の場外の様子が映ったところで、カメラは場内の2階席に切り替わり
スタッフの方々がステージのセッティングをなさっている中、井出情児さんがご登場♪
ただ「甲斐バンドを初期から撮り続けて来た写真家・映画監督」という紹介テロップに
「『初期から』なのかなあ?」と奥さん(笑)
確かに、45年というスパンで見れば「初期から」なんでしょうけど
オリジナル甲斐バンドにこだわりのある奥さんにとっては
情児さんが、初めて甲斐バンドの写真をお撮りになった1980年の箱根ライブは
いわゆる「12年戦争」の甲斐バンドとしては「中期」に当たる…という感覚らしい
また、奥さんの思う「初期」の甲斐バンドのステージ写真には
思春期の少女がキュンキュンする(笑)繊細な表情の甲斐さんが数多く捉えられていたようで
「チューリップのイメージに合わず、撮った写真のほとんどがボツになった」という
情児さんの「モノクロザラザラ写真」は、当初受け入れにくかったみたいです(苦笑)
ちなみに…チューリップは、情児さんが「自分から撮ってみようと思った」バンドだそうで
それは「サウンドがビートルズなのに、よくまあ、あんなピッタリな日本語を乗っけたもんだ!」
…と驚かれたのが、きっかけだったらしいんだけど
当時「日本のポール・マッカートニー」と評されていた財津和夫さんのことを
「浪曲ニール・ヤング」とお呼びになっていたんだとか…(笑)
そのチューリップの後にお撮りになったのが、ARBで
その頃から「君のトーンは、甲斐バンドに合ってるよ」と言われるようになられたみたいですが
「ナゼか、陽水を除くほとんどの九州のバンドは撮ったと思うんです」と情児さん
愛媛県出身でいらっしゃるのに、九州の方々とご縁があったんですね(笑)
その愛媛地方のイントネーションなのか?朴訥な感じの話し方で
「甲斐さんに言われたんだけどね『お前は人を暗くして写真を撮るな?』って言われて…
イヤ、考えてみたら、まあ、半分影で、半分逆光だったりして
そういうのが、ナンかこう…雰囲気がこう…上手くマッチしたのかなあ」とおっしゃってましたが
このインタビューのバックに差し込まれていた
花園ライブのステージ奥から撮られた写真も
3人体制の甲斐バンドも「破れたハートを売り物に」のアルバムジャケットも
【100万$ナイト】のラストと思われる甲斐さんの姿も、全体的に黒っぽい印象ですよね
でも、かつての亀和田武さんとの対談で…
箱根ライブの時は「はっきり言って、楽屋とか舞台袖とかは
恐ろしくて入れなかったんですよ、初めてだったし…とにかく異様な雰囲気でしたね
恐いというか、野外のあの独特な世界があったしね
僕自身、それまで野外のコンサートで、1度も良い写真が撮れたことがなかったし
その時も状況が悪かったこともあって、自信がなかったんですけど
その中で何点か気に入ってくれて使ってくれたんで『良かったなあ』と思ってたら
『もう少し撮ってみないか?』と言われて…」
…と明かされていて、そもそもは、音楽雑誌の仕事では
「コンサートのアタマ3曲しか撮っちゃいけないとか
出来るだけグループの全員が写ってて、メインのタレントが真ん中にいる
…という風に決められてたりして、全然面白くなかった」ので
「ロックのコンサートに通い始めて、何回か楽屋に出入りしているとね
もう全然、ステージよりも楽屋の方が面白いんですよ
迫力があるし、存在感のある人ほど、その楽屋での空気っていうか、自分の世界をすごく持ってて
『ナンで、こういうトコ撮らないんだろう?』と思った」という方が
「自信がなかった」とおっしゃるステージ写真をきっかけに、長いおつきあいが始まったのは
やはり、バンド側の求めておられたものと「トーンが合って」いらしたんでしょう
まあ、甲斐さんと情児さんは「60年代のシッポ」「遅れて来た全共闘少年」たちですもんね?(笑)
情児さんは、その箱根ライブで初めて【100万$ナイト】をお聴きになって
「『ナンなんだ、これ?』と思ったのね
だって、何言ってるのか、ほとんど意味が判らない
『ウォーッ』って、叫び声だけ、判ったのは…(笑)
僕の場合、どうしても絵面から行くでしょう
この曲イイなとか、気に入ったっていうのは…
だから、マイクスタンドを折らんばかりに握りしめ
ムチ打ちになるんじゃないかと思わせるくらい、のけ反らせた体で
最後の『ウォーッ』って絞り出すような叫び声が、たまらなくイイんだよね」
…と話されてますが、奥さんによれば
箱根ライブは、甲斐さんが、前の奥様と別居中で
まだ正式に離婚を発表なさっていない時期に行われたそうで
後に「指輪をしたままでいるのが辛かった」と洩らされていたらしく
その頃の【100万$ナイト】は「本当の魂の叫びだった」んだとか…
それはさておき…「僕が自分の中で、彼らの歌を聴いていると
ナンか、風景っていうか、情景っていうのかな
短編映画のワンシーンみたいな情景が見えて来るんで
そこをナンとか…まあ最初、写真だったんですが
だんだん、その…映画とかにこう…引っ張って行ければいいなと…」と話されるバックには
NYで撮影されたメンバーの皆さんの写真や「THE BIG GIG」
「HERE WE COME THE 4 SOUNDS」のライブ映像がカットイン
WOWOWさん的には、この先に放送予定の2本をチラ見せ…といった意味もあったかも?(笑)
もっとも、我が家の住人は、5月のNY行きを思い出したらしく
この番組を見終わった後、NYでの写真や動画を収めた円盤を見てました(笑)
そうそう!「写真」から「映画」へというのは
甲斐バンドと出会われてから、ほどなくして情児さんの頭の中におありだったみたいで
「写真集が出たから、今度は映画を作らないと
彼らに対する落とし前はつけれないって感じでね
今回の新曲【無法者の愛】のプロモーション用VTRは
『映画を作ろう』という、僕から甲斐さんへのラブコールなんです」と話されてます
ともあれ…「口ずさめるんですよね
だから、今回も写真ねぇ…久しぶりに写真を撮らして貰うんだけども
半分は歌おうと思ってます(笑)」と情児さん(笑)
【ポップコーンをほおばって】で、カメラを構えながら、ホントに口ずさんでおられたけど(笑)
かつて「妙に、その日の演奏が胸に刺さっちゃって
1枚も撮れないで聴き惚れちゃったということは何度かありました」そうですし
この日は大丈夫でいらしたのかなあ?(失礼!)と思っていたら
終演後のバックステージで、甲斐さんから「写真撮れました?」と訊かれて
「ええ…少し…」とお答えになるや「少し?少しかよ!(笑)
少しかい!あれだけ念押しといて(笑)」とツッコまれていらっしゃいました(笑)
甲斐さんが「昔は厳しいからさ、あのサイドの、あのライト横切っただけで
ステージの裏に蹴落とされたりしてたよね?(笑)
まあ、ひどい前島って男がいたんですけど…(笑)」と照明の話をなさると
「ライトも昔っぽいよね、デジタルっぽくなくて…」と松藤さん
甲斐さんは、情児さんに「もう、あの…LEDなのよ、今は…
それが、今回はアナログなんで、昔みたいに熱いの」と説明されてましたが
甲斐バンドが、LEDを使うようになられたのは、照和ライブの時ですよね?
そして、最後に再び情児さんのインタビュー
「歌、歌いながら、パラパラ撮ってるけど、1コ遅れてるの(笑)いやあ、年やろかな?
ちいと勉強しないと…デジタルの勉強しないといけないですね…負けました!」
…と、額に手をやられ、しょっぱいお顔をなさってたけど(笑)
久々にライブの撮影をされても、お疲れのご様子もなく
「まだまだ現役!」って感じでしたよね?(笑)
余談ですが…前述の亀和田さんとの対談で
「カメラを抱えて撮りながら聴いてるバンドの音というのは
どういう風に聴こえるんですか?」と訊かれて
情児さんは「音というのは、あまり聴こえないんですよ
ちょうどPAとPAの間で、音が一番遅れて来るところでしょう
生音が前から聴こえて、後ろからお客さんの歌声が聴こえて来る訳でしょう
だから、僕が一番最初に感じるのは、その日のお客さんのノリなんですよね
だから、その日のノリで『あっ!今日はヤバイ!』とか
『あっ!今日はすごくなるぞ!』とか判るんです」…とお答えになっているんだけど
この日の「歌う名古屋」ライブは、どう思われたのかなあと…?(笑)