ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

久しぶりにお勉強?その4

2013-11-07 22:21:28 | 日記
甲斐さんいわく…

【裏切りの街角】の頃はシングル指向で
サウンドは可もなく不可もなく

歌詞がちょっと引っかかるかな?って…(笑)
結構、音なんてどうでもいいよって時代で(笑)

【誘惑】あたりからドラムの音を
メチャメチャ大きく出してるんだけど
おそらく甲斐バンドが、日本で初めてだったと思う

その後、ずっとアルバムで1位を取り続けてたのに
【破れたハート…】が、3位だったことが
ものすごくショックだった

それまでと同じようなアルバムを作ったら
また1位が取れたかも知れないけど
俺たちは『同じことを2度はやりたくない』

ツッパリじゃなくて
自分たちがやってる音楽に飽きないようにしたい
というのが根本にあるからね

もっと長いレンジで、思い入れとか精神とか
全て含んだバンドになりたかった

音楽的な影響だけでなく
生活の中に若干なりとも影響を与えるような
スピリッツがあるか?

聴いてくれた人が賭けるに値するバンドか?

【HERO】の頃から複雑に入り乱れ始めて(笑)
【安奈】や【漂泊者】で突っ切りながら
そのステップを良い意味で超えられたと思う


ある女性外国人ミュージシャンの
ライブDVDをご覧になった甲斐さんが

こんなに客が入って、良いライブを演ってるのに
本人はスゴく不機嫌な顔だよね(笑)

俺も20代の半ばから、ずっと不機嫌だったから
気持ちはよく判るとおっしゃってたそうだ(爆)


奥さんによると…

当時は、甲斐さんがステージで笑顔を見せるだけで
『OK♪』だったらしい(笑)

いつも怒ってばかりいた訳じゃないけど(苦笑)
笑顔がこぼれると『ニュース』になったんだとか…(爆)

そういえば…
高校生の頃は、お金払って怒られに行ってた(笑)
って話してたことも…(爆)

もちろん、喜んで怒られてたみたいだけど…(爆)


それはさておき…

行き詰まりというなら
いつだって行き詰まりだったよ

頭をかきむしりながら
もうダメだと思って止めたって同じだろ?
どうせ生きてること自体、苦しいし痛いんだから…

バンド内でも笑いながら苦しんでる状態が
何年も続いてる訳だし、確認は済んでる

危機感はみんな持ってるよ
バンドを存続させる辛さとか
そのために自分たちの音楽を続ける難しさとか…

何年もやってると、やり方に飽きたり
退屈してきたりすることが問題になる

一つのことを延々続けていくにも
俺たちみたいに
スタイルをいつも変化させていくのにも
不屈の闘志がいるんだよね


ヒット曲は、起承転結がハッキリしてて
切れ味としては良い曲なのよ

ただハッキリし過ぎてて
歌う回数も多いから飽きてくる(笑)

歌っても自分に刺激がない時
歌う気になれない曲は(セトリから)外す

これ以上歌うと、俺自身が作ったにも関わらず
自分の手でダメにしてしまうと感じたら
その気持ちに正直でいたい

ヒット曲を一切やらなくても
2時間のステージくらい演れますよ♪
という姿勢を示したツアーもあれば

何年も演ってなかった曲を
今のテイストでサラリと演ってみせることも…(笑)


コンスタントにシングルを出さなくても
やっていけるという自負と

それがまだ形にならないもどかしさと苛立ち

【無法者の愛】がシングルカットされたのは
ちょうどその頃なんでしょうか?
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久しぶりにお勉強?その3

2013-11-07 06:17:15 | 日記
1981年暮れの武道館ライブで突然の
『ツアーをしばらく休む』
『東京を離れるかも知れない』宣言!?

『ショートレンジからロングレンジへ』のきっかけは…

当時の甲斐バンドにとって
シングルのヒットチャートランクと
ライブの動員数には全く関係がないこと

ビジネス面に於いて
イベンターやレコード会社との契約、権利問題を
合議・解決する時間が必要だったこと

『充分な環境で子供を産むためには
どんなことをしてもいいと思ってる』
という甲斐さんの父親としての決意が挙げられてますが

甲斐さんが、そう考えるようになられたのは
(長岡さんの脱退、離婚等があった年)

俺個人にとっても、バンドにとっても最悪だった
最愛の人間たちが何人か去っていったのね

それはものすごくデカイことだった
俺たちの体制に打撃を与えるのに十分だった

その時に、3ヶ月に1枚ヒットを出さなきゃ…
という考え方を捨てようと思った

LPも1年に1枚
骨組みのブッといヤツを作ればいいんじゃないかと

今がその時期だって
ハンマーで殴られたみたいに思ったのね


冒頭の『宣言』がなされる前にリリースされた
アルバム【破れたハート…】について

甲斐さんいわく…

【破れたハート…】という曲を作るのに10ヶ月かかった

日本人のミキサーを3人替えて
100時間近くかかってるのにも関わらず
出来上がったものは
生きてない音だった訳ですよ

日本人に失望したんじゃなくて
ロックってジャンルの中で
新しいスタイルを出した時に
歴史のなさが暴露されたんだよね

ボブ・クリアマウンテンというミキサーに
1年間コンタクトを取り続けながら

絶対コンタクトをつけるんだって意志とは別に
言葉を書く人間から湧き出る部分として
これは完全に復讐戦な訳よね

半年間ライブをやらなくてもいい
ブランクになってもいい
苦しいかも知れないけど、1作創るためにやる


だからこそ、ボブが【破れた…】のデモテープを聴いて
『是非やりたい』とOKしてくれたこと

ずっと頭の中にあって形にならなかったものが
ボブの手によって、やっと形になった時は
本当に嬉しかったと思います♪


やりたいことと
やらなければいけないことが判っているのに

どこで誰とやっていいか判らない
という状態が18ヶ月間も続いた甲斐さん

『思わずボブと抱き合ったもんね
泣いたよね、少し』


このニューヨークでのレコーディングについて
マスコミが、話題作りのためとか
ファッションとしてとか騒いだようだけど(苦笑)

甲斐さんいわく…

ニューヨークだから来たんじゃない
もしボブがロンドンにいたら、ロンドンに行ったし
四国にいれば、四国に行ったと思う


そして【破れた…】は
12インチシングル【ナイトウェイヴ】のB面に収められ

【虜】は、1982年11月にリリースされた

ちなみに、この発売日には
神戸で甲斐バンドライブがあったらしく

奥さんは、買ったばかりのアルバムを抱えて
会場に行ったことを覚えているそうだ(笑)

【虜】は、発売1週間で2位にランクインしたという

その翌月の武道館で再び
『いいモノを作る時間をくれよ』という甲斐さんの言葉

半年間のレコーディング
その後にツアーというサイクルが
定着し始めていたようです(笑)
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