日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

№27私たちの言論空間は、(第9条も含む)「護憲」や「改憲」を巡る議論において端的に象徴されるように、「私的空間」を前提とするものであり、「こうてきくうかん」の創造を目指すものではなかったことを、

2023-03-31 | 日記

№27私たちの言論空間は、(第9条も含む)「護憲」や「改憲」を巡る議論において端的に象徴されるように、「私的空間」を前提とするものであり、「こうてきくうかん」の創造を目指すものではなかったことを、私の語る「システム」論から、改めて考えるとき


 やはり行き詰ってしまった感ありだ。その理由はいたって簡単。私はほとんど「実践」にかかわる能力・時間・余裕が、これまでほとんどなかったことから、それを具体的に語れないことから、先へは進めないのだ。それをしてしまうと、嘘で嘘を塗り固めた話に終始してしまうから、それはとてもできない。木の花ファミリ―にかんしても、それはいつも「ような」といった表現でしかない。私の最初の方でのブログ記事で述べていた〈新しい「クニ」造り〉の「クニ」を念頭に置いたコミュニティが、正確な位置づけであるのだが、これも所詮は構想の域を超える代物ではない。

**それを踏まえて少し付言しておくと、私の「クニ」では農業を主体とした第1次産業を中心として、その周りに第2次、第3次、第4次、第5次―産業が取り囲む関係を構成している。これに関しては以前のブログ記事を参照されたい。それらのコミュニティでも、人間関係の基本となるのは、差別と排除の関係を許さない「私」と「私」と「私」を担い手とした「(こう・きょう・的)くうかん」(造り)である。
 

これらの点を断った上で、今回記事を書き進めているのだが、やはり歯切れは相当に悪いというしかあるまい。ただし、それを踏まえた上で大事な点をここで指摘しておきたい。私が一番理想的なコミュニティとして位置づけ理解している「こうてきくうかん」を創造する運動において、私的空間と、「私」と私的権力との関係をうまく処理するのはとても重要であると同時に、必要であるということである。具体的には、そこからの寄付や援助その他の強力は欠かせないことから、その関係を断ち切らないことが大切となる。

 こうした私の物言いそれ自体が、矛盾じみた話だと思われる読者もいるに違いなかろうが、とにかく、私の語る「システム」の中での「こうてきくうかん」造りであることを悟ってしまえば、それは至って当然のことではあるまいか。私的権力に最初から嫌われ、踏みつけられてしまうならば、元もこうもないからだ。さらに、こうした「こうてきくうかん」造りは、結局のところ、残念ではあるのだが、社会の一隅を照らす動き以上には、大きく成長することはない、と私はみている。だが、同時にそれを目指す動きはそれにもかかわらず、尊い営みであるのは間違いない、と。


 それでは今回記事に入ろう。*そもそも第9条の文言で謳われている「精神」の側から、どのような人々に信奉・支持されたいだろうか、という観点からみた場合、たとえば労働者団体か、あるいは木の花ファミリ―のようなコミュニティ、換言すればそれは以前のブログ記事で構想している「クニ」かという観点から捉え直すとき、果たしてどのようになるだろうかの話である。

 前者は、私の語る「システム」の覇権システムを前提とした私的空間を担い支える関係の中で、日々戦っている集団であるのに対して、後者は、そうした私的空間ではなく、「こうてきくうかん」を前提とした差別と排除のない、親分ー子分関係ではない人間関係を前提としている。

 さらに付言すれば、私たちの「生産」と「労働」、そして「消費」の担い手は、あの尾崎豊の「僕が僕であるために」の歌詞にある僕というか、「私」としての「僕」であるということである。すなわち、「私」としての「僕」が「私」としての「僕」であるために「勝ち続けなきゃならない(あるいは負け続けなきゃならない)」世界・セカイとそこでの戦争・センソウに従事している「私」としての「僕」だということなのだ。

 私の語る差別と排除の関係を前提とする「システム」の中で生きる限りは、どうしても「勝ち続けなきゃならない(負け続けなきゃならない)」状況・状態を余儀なくさせる生産であり、労働であり消費の現場からは抜け出せないということだ。そうした現場において、たとえ今はやりのテレワークを介した新しい動きが見られたとしても、それは「システム」の差別と排除の関係を担う「私」としての「僕」的存在からの卒業を決して意味しない、と私はみている。

 少しまどろっこしい話となったが、第9条の精神から見るとき、こんな生産や労働や消費の現場からは、できればおさらばしたいところではあるまいか。日々の実践が、戦争・センソウを前提とする世界・セカイであるにもかかわらず、第9条を掲げるという矛盾した立場を自覚できないとするならば、それこそ何も守ることにはつながらないのではあるまいか。ここでいう世界とは日本を取り巻く外的環境であり、それに対してのセカイとは、日本国内の内的環境を意味している。同様に、戦争とは文字通り戦場での戦闘を介した戦いであり、センソウとは、日常の生活レベルにおける戦いを意味している。

 それゆえ、その第9条の精神に歓迎される新たな生産・労働・消費の実践とその在り方を構想することがどうしても必要となるのである。これに関して言えば、既に拙著『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」-「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない」世界・セカイとそこでの戦争・センソウ』(晃洋書房、2014年)において論述しているので、それを参照されたい。

*ここまでのくだりを踏まえて、少し整理するならば、第9条も含む「護憲」論者と「改憲」論者は、両者それぞれ相異なる主張を繰り返してきたにもかかわらず、両者は共に「私的空間」を前提としながらも、その空間を公的空間であるかのように見誤らせる巨大な私的権力とその利害関係者集団を中心的担い手とする私の語る「システム」を擁護してきたという点において、立場を共有しているのである。その関連から言えば、私たちの論壇を含めた言論空間は、戦後一貫して、「歴史叙述の神話」の空間を醸成することにに、ひたすら貢献してきた、と私はみている・。


 それでは、ここまでの私の主張内容を、№24、№25のブログ記事と結び付けて、今回記事では少し補足的な話をしてみたいのだが、その前に、*前回記事の補足をすることによって、今回記事の目的をさらにわかりやすくしたいと考えている。

 前回記事では、ここ数回のまとめとして、私の強調点を、〈(2023,3,20)№24私の語る「システム」論から、改めて以前のブログ記事で論じた「公」と「私」の関係に関する記事内容を、読み直すとき(3)〉のくだりから引用貼り付けたのだが、さらに、今回記事では〈(2023,3,25)№25私の語る「システム」論から、私と「私」と「私」が「システム」の中で、命と暮らしを守る安全保障のための〈「居場所」づくり〉を、改めて考えるとき〉で述べていたくだりを、引用貼り付けておきたい。


ーーー

(最初に一言)

 結局のところ、私の語る「システム」との格闘の末に、私が辿り着いたのは〈「居場所」づくり〉を目指す話であった、ということになる。それは、換言すると、2014年3月頃のブログ記事での〈新しい「クニ」造り〉云々のの話に他ならない。


 何か長い旅の果てに、苦労してやっとたどり着いたという感じがしている。勿論、すべてが頭の中での「ああだ、こうだ、いや違う、そうではなくて、結局のところ、---」という具合に、同じところをぐるぐると遍歴していた話でしかないのだが、ここまでの歳月を要してしまった。正直なところ、まだ何も始まってもいないのに、どっと疲れてしまった状態である。

 私のこれまでの「システム」論云々の話は、その〈新しい「クニ」造り〉のための理論的考察というか、何故、そうした〈「クニ」造り〉を目指す必要があるのかについての「前置き」であった。私にすれば、もうそこしかあるまいとの「結論」である。何度も言うように、それができるかどうかは別として、それゆえ、頭の中での結論であったのである。

 だが、それにもかかわらず、私の目指そうとするクニ造りを、既にこの日本において実践している、私の言う意味での「公的空間」が存在している。日本のエコビレッジの一つとしても、ネット記事において紹介されている「木の花ファミリー」である。記事によれば、ーーー木の花ファミリーは、富士山の麓で赤ちゃんからお年寄りまで100人近い人々が、互いを助けあいながら自然と調和して生きる、21世紀の暮らしを実践するコミュニティです。ーーーとある。これをさらにネットで検索していくと、その他の情報に接することができる。


 それにしても、あれから30年近く、コミュニティとして、木の花ファミリ―は存続してきたことを鑑みるとき、それはもう、素晴らしいとしか言いようがないのだ。私は、今もなお「私」の殻を破れずにいる。現実の実践として、「私」と「私」が共に各人の力を携えながら、「私」的存在から抜け出して「公」的存在として生きるまでには、なお至らないままなのだ。「私」がたとえ何十人、何百人、何億人集まったとしても、それは単なる「私」的存在としての集合体にほかならず、「私的空間」でしかない。換言すれば、それは決して「公」的存在を可能とする「公」的空間とはなり得ない。

 その理由は簡単だ。私の語る「システム」の中で生きているからである。「システム」は差別と排除の関係を前提としてつくり出されてきた。すなわち、自己決定権の獲得とその実現において、既に差別と排除の関係が前提とされている、組み込まれているからだ。それゆえ、「私」の自己決定権としての自由が、もし仮に獲得され実現されるときには、必ず誰かの「私」「の自由は否定されるか十分には実現されない。そうした差別と排除の関係が存在している。

 こうした「私」と「私」がたとえ一緒になって、何かの共同事業に従事したとしても、それは「公」的存在としての「私」ではない。本来ならば、現実の姿は私的なままなのだが、この世界に生きている私たちは、それにもかかわらず、その私的空間を、公的空間と誤解させられて生きているのだ。それが証拠に、「公民」とか「公共」という名の下で、力のある「私」による力のない「私」に対する差別と排除の関係を、すなわち、人権侵害を許すと同時に、それを正当化・合法化することに何らの疑問や疑念を抱くこともない。おい、そこの「私」よ、しっかりしろよ、目を覚ませよ、と私は叫びたいほどなのだ。

 こうした私たちの錯覚状況・状態から、私たちの目を覚ますためには、どうしても(固有名詞を持つ)私が「私」として生きている現実を直視できなければならない。すなわち、私たちは公的空間の中では生きてはいないということを、そもそも公的空間など存在していなかったことを自覚できることが、最低限、私たちに求められているのである。だが、これはほとんど難しいことだ。というのも、いわゆる市民革命以来、ずっと巨大な私的権力が支配する私的空間の中で、政治も経済も教育も社会も文化もつくられてきたからである。

 換言すれば、私たちは私的空間しか知らないのだ。その空間の中で生きてきた「私」がどうやって、どうすれば、「私」が「私」であるために、相手を絶えず差別し排除する私的空間から一歩でも二歩でも抜け出して、「私」が「私」であるために、相手を絶えず敬いながら、分かち合い、譲り合う「私」と「私」を担い手とする「こうてきくうかん」を創造することができるのだろうか、という生き方にかかわる問題である。


(最後に一言)

 それゆえ、試みてみなければ何も始まらないということだ。なぜなら、私たちのほとんどは、未だそうした「私」と「私」の関係からつくられる「こうてきくうかん」を知らないのだから。だが、同時に、その実践の歴史を経験したコミュニティの存在もあるのだから。(続)

ーーー


 今回記事では、すぐ上で引用貼り付けしたくだりを踏まえながら、冒頭での私の問題提起に向き合ってみたい。結論を先取りして言うならば、護憲論者も改憲論者も、ひとしく差別と排除の関係を前提とする「私」と「私」と「私」を担い手とする私的空間を擁護し続けたという点では、その利害を共有していたということである。その意味では、私の語る覇権システム、世界資本主義システム、世界民主主義システムの三つの下位システムから構成される一つの「システム」の発展とその維持と存続に貢献する論であったということである。

 換言すれば、第9条論者は、*従来のような{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の関係から創られる「礼節を知る」を拒否する「れいせつをしる」営為とその「れいせつ」としての「第9条」を模索することがどうしても必要であったのだ。それゆえ、[衣食足りて→礼節を知]→[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて→礼節を知る]で描かれる「私」と「私」と「私」の関係から構成される「こうてきくうかん」造りというか、その創造を目指すことが求められていたのである。


(最後に一言)

 今回記事との関連から、それでは最後に、前回記事での「農・的)実践」云々の話をさらに続けてみたい。

 その実践に関連して言うならば、私の言う「(農・的)実践」とは、ただ農業に従事するとか、自給自足的農業とかの話ではなく、「木の花フミリー」のようなコミュニティを前提とする農業実践である。勿論、農業に従事することや自給自足を実践することは、それは今の時代において、意義深いものであるのも確かなことなのだが。

 「(農・的)実践」の文脈から、改めて私たちの社会の中での私の生き方を振り返るならば、私はこれまで「(共・的)実践」からもほど遠い地点で生きてきたということがわかる。その際の、「共同体」の「共〉とは、すぐ上で述べている「私」と「私」と「私」の差別と排除の関係を前提とする「共同体」の「共」であり、そこから一歩でも二歩でも離れ手差別と排除の関係から抜け出すことを目指す「(きょう・てき)実践」ではないことがわかる。

 こうした「私」とその「私」から構成されるコミュニティというか共同体とは異なる「私」とその私から構成される共同体を知るためには、その体験がどうしても必要となるに違いない。それはもはや頭の世界の中だけで「ああだ、こうだ」と考えても生まれてこない。たとえ一瞬だとしても、自らその空間を体験・体感する以外にはなかろう。

(付記)

 記事投稿後の4月1日となった今日、記事の最初のくだりに追加した内容を**をつけて追記したのだが、最後にまたこの(付記)において、それを引用貼り付けておきたい。

**それを踏まえて少し付言しておくと、私の「クニ」では農業を主体とした第1次産業を中心として、その周りに第2次、第3次、第4次、第5次―産業が取り囲む関係を構成している。これに関しては以前のブログ記事を参照されたい。それらのコミュニティでも、人間関係の基本となるのは、差別と排除の関係を許さない「私」と「私」と「私」を担い手とした「(こう・きょう・的)くうかん」(造り)である。

 

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