№26私の語る「システム」論から、私と「私」と「私」が「システム」の中で、命と暮らしを守る安全保障のための〈「クニ」造り〉を、改めて考えるとき(1)
〈ここ数回の記事のまとめ〉
今回記事では、ここ数回にわたって述べてきた話を、整理しながら、私の強調点とそこから少し先の問題提起としての話も含めて、述べておきたい。
私が何よりもこだわるのは、〈(2023,3,20)№24私の語る「システム」論から、改めて以前のブログ記事で論じた「公」と「私」の関係に関する記事内容を、読み直すとき(3)〉の中で述べていた次のくだりに示されている。
ーーー*すなわち、常に〈「文明ー半開ー野蛮」〉の仕組みをつくり出す、そうした関係を支える{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の関係としての担い手である「私」とその「私」からなる「公」的存在を何ら疑うことなく礼賛し続けてきた、と私は理解している。勿論、同情したり、憐憫の情にあふれた優しさは満ち満ちてはいるが、先の関係にまで目を向けようとしない残酷さを自覚することには至らない、教育であり教養である。
*それゆえ、私のような「私」が一緒になって他の「私」とともに、「親分ー子分」関係ではない、差別と排除の関係のない、「バリア・フリー」関係を構築するためにはどうしても、*これまで私たちが当然の如く受け入れてきた教育や教養とは違う、異なる教育と教養が必要となってくるのは、言うまでもなかろう。
換言すれば、*従来のような{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の関係から創られる「礼節を知る」を拒否する「れいせつをしる」営為とその「れいせつ」を模索することがどうしても必要となるのだ。そしてまた、*その「れいせつをしる」から導かれる「いしょくたりて」の営為が模索される必要があるだろう。ーーーである。
何度も繰り返して言及してきたように、「私」と「私」を担い手としながらも、それが従来とは異なる「こうてきくうかん」を創造するためには、これまでの近代的「知」の営みを「超克?」すると同時に、それに替わる思想的・理論的前提となる新たな「知」の営みに着手することが望まれる。
*すぐ上で指摘した近代的「知」の営みに関して付言しておきたいことがある。それは、私の語る「システム」を構成する下位システムの一つである、個人や諸個人とその集合体としての共同体(国家)を担い手としたナショナリズムの「源泉」として位置づけられる覇権システムは、「私」と「私」と「私」の自己決定権の獲得とその実現において、常に差別と排除の関係をつくり出す「力」(暴力)と「力」(暴力)を介した「争奪戦」を、所与の前提としている。
この関係は、個人レベルにおいても、集団間レベルにおいても、共同体(国家)間レベルにおいても、等しく共通して見い出される関係である。すなわち、私たちの近代とその「知」をつくり出してきた「個人」は、私のモデルで描く{[個(私)]→(×)[個(「私」)]→×[個(「私」)]}の関係を前提とした「個(「私」)」であり「諸個人」でありその集合体としての「共同体(国家)」であるということである。
それゆえ、こうした「個」や「私」を前提とした近代的「知」の営みは、最初から思想的・理論的限界を抱えていたのだが、「近代」それ自体が覇権システムを前提としない限り実現できないという大問題に対して、近代的「知」の営みは真正面から向き合うこともなく、その問題に背を向け続けてきたと言っても過言ではなかろう。というのも、覇権システムを否定してしまった瞬間に、近代そのものが崩壊すると同時に、近代的「知」の営みも御破算となるからである。
その関連から言えば、*柄谷行人氏の説くNAMの思想的・理論的骨格となっているカントとマルクスの総合?云々の話には、私はあまりというかまったく共感できないのが本音である。だが、もはや、そんなことをあれこれと論じることもない。それよりも大事なことは、前回記事で紹介した「木の花ファミリ―」のようなコミュニティ造りに向けた実践であろう。そうした実践活動の中から、自ずと新しい思想や哲学も紡ぎだされてくるに違いない。
ところで、こうした点を踏まえて、今はやりの「都会を捨てて田舎で農業しよう」云々の呼びかけに対して、私の素朴な疑念を述べておきたい。農業をすればいいとか、ITを使った田舎でのリモート生活を楽しもうとか、そんな類の話を私はしたくはない。たとえ、田舎で暮らすにしても、また自給自足的農業に従事しているとしても、それが「私」を主体とした田舎暮らし、農業である限りは、これまでの都会暮らしとまったく同様に、私の語る「システム」の維持と発展と存続に、貢献するだけである。この点を忘れてほしくないのだ。
それを踏まえて言うならば、田舎で暮らす、農業で何とか飯を食うのは、それほど甘くはないし、できれば楽して金儲けをしたいのが、普通の私のような「私」であることを自覚・自戒しておく必要がある。少しでも農作業のまねごとをした経験のある人ならば、たとえその楽しさややりがいを感じたとしても、これで飯を食うとしたとき、その覚悟は並大抵のものではないはずだ。
それゆえ、みんながたとえ「木の花ファミリ―」のようなコミュニティの一員にはなれそうにはないとしても、それは当然のことなのだ。それを踏まえて、そのコミュニティに少しでも寄り添える「私」の生活の在り方を考えることが大切となる。いろいろな生活の仕方をミックスした生き方が望まれるのは確かだが、その際も忘れてほしくないのは、「私」と「私」を担い手としながら、どうやって「こうてきくうかん」を創造するかという点である。
*当面の目標として、日本の47都道府県に、「木の花ファミリー」のようなコミュニティを発足させる運動を目指すことが求められている、と私は考えている。このコミュニティの実現を念頭に置きながら、たとえそうした完全体ではなくても、そこで展開されている差別と排除の関係をなるべく薄められる共同体造りを目指していけばいいのではあるまいか。そこから、世界的ネットワークを作ることができれば、それこそ私の語る「システム」の中で、覇権システムと向き合い、そのシステムのつくり出す「親分ー子分」関係とその宿痾に対する、ある種の解毒剤としての役割を担えることができるかもしれない、と私はみている。もっとも、何度も言うように、それはとても困難なことであるのだが。
いずれにせよ、もしこれからの新しい「クニ」造りを構想する際には、木の花ファミリ―のようなコミュニティがその中心的・骨格的要素として位置づけられることが、何よりも大切だということである。 その「(農・的)実践」こそが何よりも大事だというのは、これまで実践の現場からほど遠い地点から、あれこれと好き勝手なことをほざいていた私には、それこそ痛いくらいに、身に染みてわかることである。(続)