日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

№24私の語る「システム」論から、改めて以前のブログ記事で論じた「公」と「私」の関係に関する記事内容を、読み直すとき(3)

2023-03-20 | 日記

№24私の語る「システム」論から、改めて以前のブログ記事で論じた「公」と「私」の関係に関する記事内容を、読み直すとき(3)


(最初に一言)

 それでは早速、前々回、前回と同じようなやり方で、以下に記事を引用貼り付けておく。私は、今回のブログ記事をまとめるに際して、以前の記事を読み直しながら、改めて私自身の傲慢さを思い知らされた。そして、改めて、他人の抱える悩みや苦しみに思いをはせることの難しさを感じた次第だ。本当に優しくないのだ。私自身も、これまで何度となく、中途視覚障碍者ゆえに、つらい思いをしてきたはずなのに。


―ーー記事の引用貼り付け開始


(2018,4,1)

「公」的空間とは何か。「公」と「私」の関係を考える(3)
 前回の記事の続きをと思い、あれこれ考えていたとき、以下のネットの記事を教えてもらった。記事の見出しは、*〈「命を犠牲にするしか」包丁持ち役所へ 盲目の80歳男性、社会への怒り募り…高齢の粗暴犯、表面化しづらく〉である。ネットの記事(『西日本新聞』2018年3月28日)私は思わず、*「明日は我が身」の可能性のある多くの高齢者の姿が目に浮かんだ。以下に全文を引用しておく。


(引用、始め)ーー社会面の片隅にベタ記事が載った。〈役所で包丁持ち/暴れた80歳男逮捕〉。動機は何か。自宅を訪ねると、サングラス姿で現れ、取材に応じるという。「自殺しに行ったんですよ」。声には怒りが満ちていた。

ー外出には白杖(はくじょう)が手放せない。15歳の時、草野球をしていてバットが目を直撃した。それでも悲観せず、26歳で鍼灸(しんきゅう)マッサージの店を開いた。妻を亡くしてからも身の回りのことは1人でこなし、穏やかに暮らしてきた。*怒りが募り始めたのは、5年ほど前に難聴を発症し、命綱の耳が聞こえにくくなってからだった。

 家にこもりがちになる一方、火事にでもなれば逃げ遅れるため、一軒家から公営住宅へ移ることにした。*そのあたりから怒りが沸騰しだした。ーー入居手続きが煩雑で職員の説明も不親切に感じられた。*「高齢で全盲だから住まわせたくないのか」。どうにか転居できたが、公共料金を滞納扱いにされた。「請求書を送られても読めない」。

*愚痴をこぼそうにも住み慣れた場所を離れ、近所付き合いもなかった。ーー *犯行の2日前、社会への不満をテープに録音し、報道各社に郵送した。一部の社には電話もしたが*「事件にならないと取り上げられない」。突き放された思いだった。--*「わが命を犠牲にするしかない」と役所へ。玄関先で包丁を自分の腹に向けたところで取り押さえられた。

 容疑は警備員への威力業務妨害と銃刀法違反だったが、処分保留で釈放された。*「現役時代は社会に精いっぱい貢献した。人助けもした。*なぜ今になって肩身の狭い思いをしなくてはならないのか。悔しいを通り越し、みじめだ」ーー盲目の男性も逮捕後に精神科を受診させられたが、問題はなかったという。その際、*医師は話にじっくり耳を傾け「いろいろ経験したんですね」と共感してくれた。*「十数年ぶりに人の温かさに触れて心がじんわり熱くなった。地獄に仏とはこのことだなぁ」。つかの間、光が差した気がした。ーー(引用、終わり)


 最近こうした事件をよく聞く。障碍者、健常者に関係なく、高齢者が当事者となる問題が多発している。そこには、やはり孤独というか、話し相手がすぐそばにいれば防げたであろうといった問題が付随しているように思われる。若い頃から親や子供、近隣者とうまく人間関係が持てない人が高齢者となってーーーという事情が見え隠れする。

 記事で見たこの男性が、社会に対する不満や怒りを覚えると言うとき、*この男もその社会の構成員であるとの自覚はどの程度あったのだろうか。先の記事からはわからないことも多々あるのだが、包丁を自分の腹に突きつける前に、*もっとやるべきことがたくさんあっただろうに、と自戒を込めて、これから私自身が取り組まなければならない問題を再確認した次第である。それは「居場所」造りの問題だ。できればたくさんあれば、それにこしたことはないだろう。
 
 この記事の80歳老人が私だったらという観点から、もう少し考えてみたい。私は今69歳で、1級の視覚障碍者だが、支台歯台に目が見えなくなっているのがわかるこの頃だ。耳も加齢のために、聞き取りができない瞬間がたびたびある。あと10年で、私もこの老人のような目も耳も不自由になる公算は大である。それゆえ、今から最悪の場合を想定して日常生活を送ることが大切だろう。そのためにも、今から、似たような境遇の者が日ごろから集まって、よもやま話のできる公的空間をつくっておくことだ。

 その際、私がこだわっているのは、多数が寝泊や食事、入浴をはじめ日常の身の回りのことができて、一緒に各人の仕事ができる仕事場を提供しながら、お互いを支え合う居場所が創れたら、ということである。その空間は、各人(=「私))が主体的に、各人(=「私」)のできる範囲で各人(=「私」)の役割を担い、既存の公的権力の支援に頼らないことを大前提とした居場所である。私の場合、ここでの仕事は鍼灸・あんまマッサージに従事する者を念頭に置いている。障碍者と健常者の区分けはしない、お互いの手助けが必要だから。


 勿論、言うは易しーーである。大変なことだろうが、おそらく*それ以外に私の生活上の安全保障を実現する道はないと確信している。ところが、私たちの教育はこうした公的空間を創造するのには不向きなものとなっているのではあるまいか。私たちが受けてきた従来の教育は、私のモデルで描いたセカイを前提とした教育ではなかろうか。それを如実に示しているのが、トマ・ピケティの著作『21世紀の資本』だろう。

 フランス革命以来続く経済格差を前提とした教育が行われてきたことを、彼の著作は示している。すなわち、彼の著作は、フランスの高等教育が、数百年にわたり、構造的経済格差を放置し続けてきたということを端無くも示したのではあるまいか。教育の中身が問われている。たとえサルトルやレヴィ=ストロースに代表される世界的哲学者の研究であっても、そうした研究が私の提示したシステムと向き合わない、その問題点を問えない研究の中身だとすれば、いくら哲学云々を叫んでも、どうにもならないではないか。

 同じことはパキスタン出身のマララさんが説く人権や教育の重要性云々の話にも該当するのではあるまいか。ノーベル平和賞を受賞した彼女の人権や教育に関する話は、「システム」が大歓迎する内容だと、私は理解している。まったく中身を語っていないのだ。どのようにして、〈「平和な民主主義」社会の実現のために「勝ち続けなきゃならない:世界・セカイとそこでの戦争・センソウ〉に向き合えばよいのか、そうした「おかしな」仕組みの中で、その問題点を問い続けられる人権や教育の在り方とは一体何であるのか。

 こうした論点が提示されないとしたら、結局は「システム」が提供し続けてきた人権や教育を受容するしかないのではあるまいか。こうした問題提起を踏まえながら、今回は、前回に述べていた、「教養」のある人たちが形成してきた社会の特徴と、そこでの教育と、その教育が涵養する「性癖」に関して述べておきたい。

 私たちが組み込まれている社会の「衣食足りて礼節を知る」営為の仕組みは、「親分ー子分」関係を基本とする「帝国主義」関係を体現した覇権システムと、その覇権システムの下で創造された資本主義システム、民主主義システムの三つのシステムそれら自体が「公」的存在として理解されている。*だが、それは決して「公」的空間ではない。どこを見渡してみても、私的空間に過ぎないのである。
 
 それゆえ、その社会では、いつも{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の関係を構成する「私」と「私」と「私」の関係から構成されている「私」的空間である、ということを理解しておく必要がある。付言すれば、民主主義体制・非民主主義体制と、たとえ政治体制を異にしていても、それら両体制をつくり出すのは、{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の関係であるということなのだ。


 私たちの教育が涵養する教養は、たとえば、繰り返しになるが、サルトルの実存主義や、自由や責任論も、レヴィー=ストロースの「野生の思考」も、あるいは、カントやヘーゲルの思想も、私がモデルで描く「システム」とその関係(史)と、換言すれば、「システム」の自己完結運動の歩み(歴史)と批判的にに向き合うものではないのである。私はそのように理解している。それゆえ、私のような問題意識をもって、新たな公的空間を創造しようとする者にとっては、彼らの哲学や思想がいかに素晴らしいものだと言われても、どうにもならないのだ。

 さらに付言すれば、「無関心」の性癖が、ホームでの視覚障碍者が柵のない空間に置かれていることに、何ら違和感も覚えない「残酷さ」を生み出しているのかもしれない。私は自らが中途視角障碍者となって、健常者とされていた頃の、視覚障碍者に対する私自身の向き合い方を振り返る中で、私が体現していた残酷さ、すなわち視覚障碍者に対する無関心さを、痛感するに至ったのである。

 正直なところ、その感覚は、青天の霹靂に似た、ある種の驚愕に似た感情を私の心の中に生み出すに至った。逆に言うと、この頃の私は、社会に張り巡らされたた多種多様の「バリア」を確認できるとの自信があったし、またよく自覚できていたはずなのだ。だからこそ、なのだ。何故、駅のホームに柵がないのを見過ごしてきたのか、と。痛恨の極みである。これまでの私の関係論的見方がどうのといった物言いをあざ笑うかのように、所詮、お前の研究のレベルはその程度なのだと、宣告された思いを感じたのだ。


 本来、私たちは先に示したように、{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の関係の中で、「私」として生活しているはずなのに、何故か自分自身の力で、努力でその位置(地位)を獲得したかのように思ってしまい、〈{[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}〉の営為に甘んじている者たちは、彼らが努力しないで遊んでいる、無駄に時間を浪費していると考えるのである。この関係がわかる読者ならば、そんな不遜な「私」に、できるならばサヨナラしたいはずだ。

 勿論、こうした指摘はすべて誤っているわけではない。「成功」する者のすべてがそうではないとしても、血のにじむような努力を怠らない者が大勢いるのも確かだ。それは私も理解しているつもりだ。それゆえ、私たちも成功者を見習って、今以上にもっと、教育に励み教養を高めるべきだとの思いも強いはずだ。しかしながら、その成功者と彼らの教育や教養は、{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の営為に見られる〈差別と排除〉の関係を前提としたものであり、その関係を、別の関係に改めたり、替えようとするものではない。これも確かなことではあるまいか。

*すなわち、常に〈「文明ー半開ー野蛮」〉の仕組みをつくり出す、そうした関係を支える{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の営為の関係としての担い手である「私」とその「私」からなる「公」的存在を何ら疑うことなく礼賛し続けてきた、と私は理解している。勿論、同情したり、憐憫の情にあふれた優しさは満ち満ちてはいるが、先の関係にまで目を向けようとしない残酷さを自覚することには至らない、教育であり教養である。

*それゆえ、私のような「私」が一緒になって他の「私」とともに、「親分ー子分」関係ではない、差別と排除の関係のない、「バリア・フリー」関係を構築するためにはどうしても、*これまで私たちが当然の如く受け入れてきた教育や教養とは違う、異なる教育と教養が必要となってくるのは、言うまでもなかろう。

 換言すれば、*従来のような{[衣食足りて→礼節を知る]→[衣食足りて・足りず→礼節を知る・知らず]→[衣食足りず→礼節を知らず]}の関係から創られる「礼節を知る」を拒否する「れいせつをしる」営為とその「れいせつ」を模索することがどうしても必要となるのだ。そしてまた、*その「れいせつをしる」から導かれる「いしょくたりて」の営為が模索される必要があるだろう。

 しかしながら、ここまで論じてきたように、私自身が「システム」が提供してきた様々な「バリア」とその関係に縛られていることから、先の居場所を創造するのはとてもではないが、厄介極まりないことだろう。だが、同時にまた、そうしたバリアを介した縛りが、どのように張り巡らされているかについて、少しは理解できるようになった以上は、やはり前を向いて一歩一歩歩んでいくしかないのも確かなことなのだ。


ーーー記事の引用貼り付け終わり


(最後に一言)

 今回記事で指摘した*〈「居場所」づくり〉の問題は、私には大変重要な今後の課題となるとみている。既に、私のブログ記事においても、最初の報の記事において、また「盲学校が終の棲家であれば」云々の記事においても述べていたように、*残りの21世紀の時代において、私たちが一刻も早く取り組むべき、私たちの生き方が問われている大問題となるに違いない。

 私にとっては、それこそが「革命」なのだ。そして、その取り組みは至る所で展開されている。たとえば、捨て猫や犬を、空き家を借りて、そこに住まわせて彼らの生活全般の世話を、ボランティアがおこなっている。また、不登校の子供たちの面倒を見る「寺子屋」や、家庭に居場所を見つけられない青少年のための非難所も、最近では多くつくられている。この段落のくだりは、すぐさま誤解というか批判に直面しそうだ。それらを一応、念頭に置いたままで、先に行くことを断っておきたい。

 こうした仕組みの少し先に、今回記事で紹介した行き場のない高齢者の居場所がつくられるとすれば、それは素晴らしいことに違いない。また高齢者と他の若い世代との共同生活も考えられる。とにかく、いろいろなやり方があるはずだ。同時に、すぐさま、これもダメ、あれもダメの流れにも向かいそうでもあるが、おそらく、既にモデル・ケースが存在しているかもしれない。少し調べてみたい。

 それにしてもだが、前回記事の投稿からもう5年となる今のこの時点で、「少し調べてみたい。」とは。どうして、もっと早く頭が回らなかったのか、と我ながら落ち込むのだが。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« №23私の語る「システム」論か... | トップ | №25私の語る「システム」論か... »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事