日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

№25私の語る「システム」論から、私と「私」と「私」が「システム」の中で、命と暮らしを守る安全保障のための〈「居場所」づくり〉を、改めて考えるとき

2023-03-25 | 日記

№25私の語る「システム」論から、私と「私」と「私」が「システム」の中で、命と暮らしを守る安全保障のための〈「居場所」づくり〉を、改めて考えるとき


(最初に一言)

 結局のところ、私の語る「システム」との格闘の末に、私が辿り着いたのは〈「居場所」づくり〉を目指す話であった、ということになる。それは、換言すると、2014年3月頃のブログ記事での〈新しい「クニ」造り〉云々のの話に他ならない。


 何か長い旅の果てに、苦労してやっとたどり着いたという感じがしている。勿論、すべてが頭の中での「ああだ、こうだ、いや違う、そうではなくて、結局のところ、---」という具合に、同じところをぐるぐると遍歴していた話でしかないのだが、ここまでの歳月を要してしまった。正直なところ、まだ何も始まってもいないのに、どっと疲れてしまった状態である。

 私のこれまでの「システム」論云々の話は、その〈新しい「クニ」造り〉のための理論的考察というか、何故、そうした〈「クニ」造り〉を目指す必要があるのかについての「前置き」であった。私にすれば、もうそこしかあるまいとの「結論」である。何度も言うように、それができるかどうかは別として、それゆえ、頭の中での結論であったのである。

 だが、それにもかかわらず、私の目指そうとするクニ造りを、既にこの日本において実践している、私の言う意味での「公的空間」が存在している。日本のエコビレッジの一つとしても、ネット記事において紹介されている「木の花ファミリー」である。記事によれば、ーーー木の花ファミリーは、富士山の麓で赤ちゃんからお年寄りまで100人近い人々が、互いを助けあいながら自然と調和して生きる、21世紀の暮らしを実践するコミュニティです。ーーーとある。これをさらにネットで検索していくと、その他の情報に接することができる。

 私がそれを調べている最中に、ふと思い出したのは、ずっと以前の民放テレビ番組で、富士山麓周辺で自給自足的な共同生活をする5家族くらいの日々の暮らしが紹介されていたのを思い出した。そこでは、男性陣は普段はサラリーマンとして働き、週末には農作業に従事する、女性陣は子育てや農作業を共に担いながら生活するという、そんな姿が私の脳裏には残っているのだが、木の花ファミリ―の記事を読みながら、私が昔に見たあの集団は、その前身であったのかもしれない。

 もっとも、そうは言っても、記憶にはあるのは確かだが、両者のつながりがそうであるかは、はっきりはわからないものの、私の頭の中のクニ造りの見事な実践例の一つとして、木の花ファミリ―が位置しているのは間違いなかろう。できるだけ早い時期に、一度は見学したいと考えている。


 それにしても、あれから30年近く、コミュニティとして、木の花ファミリ―は存続してきたことを鑑みるとき、それはもう、素晴らしいとしか言いようがないのだ。私は、今もなお「私」の殻を破れずにいる。現実の実践として、「私」と「私」が共に各人の力を携えながら、「私」的存在から抜け出して「公」的存在として生きるまでには、なお至らないままなのだ。「私」がたとえ何十人、何百人、何億人集まったとしても、それは単なる「私」的存在としての集合体にほかならず、「私的空間」でしかない。換言すれば、それは決して「公」的存在を可能とする「公」的空間とはなり得ない。

 その理由は簡単だ。私の語る「システム」の中で生きているからである。「システム」は差別と排除の関係を前提としてつくり出されてきた。すなわち、自己決定権の獲得とその実現において、既に差別と排除の関係が前提とされている、組み込まれているからだ。それゆえ、「私」の自己決定権としての自由が、もし仮に獲得され実現されるときには、必ず誰かの「私」「の自由は否定されるか十分には実現されない。そうした差別と排除の関係が存在している。

 こうした「私」と「私」がたとえ一緒になって、何かの共同事業に従事したとしても、それは「公」的存在としての「私」ではない。本来ならば、現実の姿は私的なままなのだが、この世界に生きている私たちは、それにもかかわらず、その私的空間を、公的空間と誤解させられて生きているのだ。それが証拠に、「公民」とか「公共」という名の下で、力のある「私」による力のない「私」に対する差別と排除の関係を、すなわち、人権侵害を許すと同時に、それを正当化・合法化することに何らの疑問や疑念を抱くこともない。おい、そこの「私」よ、しっかりしろよ、目を覚ませよ、と私は叫びたいほどなのだ。

 こうした私たちの錯覚状況・状態から、私たちの目を覚ますためには、どうしても(固有名詞を持つ)私が「私」として生きている現実を直視できなければならない。すなわち、私たちは公的空間の中では生きてはいないということを、そもそも公的空間など存在していなかったことを自覚できることが、最低限、私たちに求められているのである。だが、これはほとんど難しいことだ。というのも、いわゆる市民革命以来、ずっと巨大な私的権力が支配する私的空間の中で、政治も経済も教育も社会も文化もつくられてきたからである。

 換言すれば、私たちは私的空間しか知らないのだ。その空間の中で生きてきた「私」がどうやって、どうすれば、「私」が「私」であるために、相手を絶えず差別し排除する私的空間から一歩でも二歩でも抜け出して、「私」が「私」であるために、相手を絶えず敬いながら、分かち合い、譲り合う「私」と「私」を担い手とする「こうてきくうかん」を創造することができるのだろうか、という生き方にかかわる問題である。


(最後に一言)

 それゆえ、試みてみなければ何も始まらないということだ。なぜなら、私たちのほとんどは、未だそうした「私」と「私」の関係からつくられる「こうてきくうかん」を知らないのだから。だが、同時に、その実践の歴史を経験したコミュニティの存在もあるのだから。(続)


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