日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

№22私の語る「システム」論から、改めて以前のブログ記事で論じた「公」と「私」の関係に関する記事内容を、読み直すとき(1)

2023-03-15 | 日記

№22私の語る「システム」論から、改めて以前のブログ記事で論じた「公」と「私」の関係に関する記事内容を、読み直すとき(1)


(最初に一言)

 「画竜点睛を欠く」云々と、私自身の「公」と「私」の関係に関する以前の記事を、批判的に見直す必要性を、前々回くらいの記事で指摘していた。それを踏まえて、今回記事は、ずっと以前の、3回連続となる「公」と「私」についての記事を再度、引用貼り付けながら、再検討してみたい。今回記事はその第一回目である。


 以下に貼り付けた記事を、改めて見直しながら、その感想としては、いい意味では「まったくブレていない」、悪い意味では、「成長がまったく見られない」というところか。これは、もうし方あるまい。ただし、私自身で自画自賛するつもりはないのだが、私の考えというか思いは、なんとか伝えられているようだ。

 早速だが、第1回目の記事を引用貼り付けておく。その後で、記事内容についての今の私の感想なり見方を述べることにしたい。読者は、記事を斜め読みでも構わないので、ざっと目を通してほしい。とくに*の付いているくだりには注意してほしい。


ーーー記事の引用張り付け、始め(なお、ここに再度、引用張り付けするにあたり、文章内容の補足や訂正、段落を新たに設けたことを断っておきたい。)

(2018、3、23)

「公」的空間とは何か。「公」と「私」の関係を考える(1)

 かつて丸山眞男は彼の有名な論考(「超国家主義の論理と心理」)で、戦前の日本と欧米諸国の「公」と「私」の関係における比較論的考察から、前者の特徴として「公」的権力が「私」に関わるすべての空間を、すなわち「真・善・美」の空間(世界)でさえも、包摂・包含していると論じた。その一方で、市民革命を遂げた英国などでは、「私」が主体となって構成される「公」的空間としての国家権力を描いていた。

 大胆にわかりやすく換言すれば、丸山は*公的権力が個人の心の内面を、つまり精神的世界までも支配・管理することの危険性を鋭く描いている。その意味では、「公」的権力と「私」の関係は非常に重要な問題なのである。*国家・政府の「公」的権力の「私」物化問題が、安倍内閣を批判する際において、最近よく取り上げられるのだが、これもまさに*「公」と「私」の関係における公的空間の重要性を説いているのである。それゆえ、私たちは「公」や「私」、「公的空間」について考察するのをどうしても避けられないこととなる。これらの点を踏まぇて、先の続きに戻るとしよう。

 丸山の国家間関係を捉える視角は「一国枠」であったから、こうした結論は無理ないとしても、「関係」論的枠から見れば、*明治日本国家・政府の背後にあって日本が組み込まれている覇権システムとそのシステムを構成する覇権国の英国(当時)と非覇権・中心国、準周辺国、周辺国との関係を考慮した際の「公」と「私」の関係は、それほど単純なものとはならない。

 また、上述したように、丸山によって、明治日本におけるそれよりも、高く評価されていた英国の「真・善・美」の世界を取り巻く「公」と「私」の関係に加えて、*英国の資本主義システムと民主主義システムにおける「公」と「私」と「公的空間」の関係を見るとき、それらのシステムは、*力のある「私」が力のない他の「私」を呑み込みながら、「公」と「公」的空間をつくり出していることがわかる。

 こうした「公」と「公的空間」と近代市民憲法、そして日本国憲法との関係をみるとき、近代憲法も、またその一つの具体例としての日本国憲法も両者ともに、そうした「公」と「公的空間」を擁護してきたのである。*そうした「公」と「公的空間」の抱える差別と排除の関係を、近代市民革命の母国とされる英国や仏国や米国は、何ら疑うこともなかったのである。

 それゆえ、これら諸国は、従属国や植民地を自らの下に、力のない弱い「私」的存在として組み込みながら、〈覇権国―非覇権・中新国―準周辺国ー周辺国〉に見られる差別と排除の関係をつくり出すことに成功したのである。そして、その関係を、近代憲法も日本国憲法も何ら疑うことなく、正当化・合法化してきたのである。

*その意味では、両者ともに、「公的空間」における「人権侵害」を正当化する憲法だということがわかる。*この英国が「主体的」につくり出した公的空間に、戦前の日本と日本人が呑み込まれたことで(勿論、他の準周辺国も周辺も呑み込まれたのだが)、*明治以降の日本の私的空間の一つを構成した〈真・善・美〉の世界は、いびつな影響を受けざるを得なくなるとみるべきだろう。

 付言すれば、丸山はこうした「公」と「私」の理想的な関係を築いた英・米・仏国がどうして、準周辺、周辺地域における「公」と「私」の関係を構成できる「空間(国家)」の実現さえも許さなかったのかという点に関しては何ら言及していないのである。(この点に関しては、拙論を参照されたい。なお、失礼ながら出典は略す。)

*ところで、今日の日本の〈真・善・美〉の私的空間は、他の資本主義、民主主義システムの公的空間と同様に、*有力な「私」が「公」を支配、管理して、大多数の無力な「私」を統制できるように、*「私」=「公」の空間をつくり出しているのではあるまいか。この公的空間の内部は、私のモデルで描いたA、B、Cの、あるいはB、C、Aの関係に呼応した関係が、つくられているのである。たとえば、Aの国家の内部で、さらにA、A A´、A´´のように、「私」と「私」と「私」との間で、力の優劣関係がつくり出されているのだ。

*その関係は、{[衣食足りて礼節を知る]→[衣食足りて・足りず礼節を知る・知らず]→[衣食足りず礼節を知らず]}の「私」と「私」と「私」との三者の自己決定権にみる力の優劣関係から構成されている。つまり、その意味では、*力の弱い「私」が主体となって構成される「公」的空間が創造されないままなのである。*ラジオやテレビといった*〈「公」(私)的空間〉で、「私」が公的仮面をかぶりながら、公的空間をむさぼりつくしている。*(なお、これに関しては、拙著『「日本人」と「民主主義」』、『21世紀の「日本」と「日本人」と「普遍主義」』を参照されたい。)

*国際金融資本・世界的多国籍企業が支配・統制するテレビやラジオそしてネットの世界で、どうでもいい、つまらない「私」的コメントや解説が充満している。*それらが「事実」さえも作り替えていく。たまらない。息苦しくて窒息してしまう。)*私はいつもそうした*偽装「公」的空間に対して身構えながら生きることを余儀なくされている。どうすれば、こうしたおかしな関係に異議申し立てができるのだろうか。

*おかしなことに(いや、何もおかしなことではないのだが)、「自由」な「民主主義」の社会で閉塞感漂う世界がつくられている。*これは、自由な民主主義社会が本来あるべき姿から「変質」した結果なのか。それとも、*もともと自由な民主主義社会はそうした性質を兼ね備えていたのに、私たちがそれに気が付かなかっただけなのか。もしそうだとすれば、それでは、どうして気づかないままだったのか。

 振り返れば、「デモクラシーを全体主義から、テロから守る」ための戦争という掛け声はよく聞いたのだが、*「私たちの公的空間をそのデモクラシーから守る」(ための闘争)を!、といったシュプレヒコールを、私たち自身が一度でも発したことがあっただろうか。*と言うのも、そのデモクラシーは自由主義的世界に包含された「公的空間」を提供するものだから、*最初から力のある「親分」の空間に、力のない「子分」が生活することを強いられる自由なのだから、*いつも私たちはそのデモクラシーから、どうやって身を守るかを考えていなければ、大変な災厄に直面することになる。

 福島原発事故での東電の「営業の自由」の名の下の支配に菅直人や枝野幸男(現、立件民主党代表)等が率いた民主党政権はなすすべもなかった。*自由を規範とする憲法を護憲する限り、そうなるのは必至だろう。何しろ、親分である覇権国の米国の、覇権システムを下位システムとする、私の語る「システム」が提供する「自由」であるから。

*米国のFRBは民間銀行だとよく言われるが、つまり「民間」=「私」だが、*同時にその「私」はいつでも「公」的存在となれる力を持っている。その意味で、「私」=「公」=「中央」となるのだ。こうした関係の中で私たちが生きていることを、私たちは痛いほど自覚しておかなければならない。もっとも、自覚したからといって、何が変わるのか、と問われれば、何も変わらないと言ううしかないのもその通りだろう。

*それにもかかわらず、公的空間を力のない普通の庶民である「私」が、再度つくり直すためにも、ニュースや新聞記事で、FRB、アメリカの中央銀行に該当するという決まり文句をラジオやテレビで聞きながら、「中央」=「政府」=「公」=「私」の意味している「私」とは、力も富もない普通の名もないその他大勢の「私」とは次元の異なる世界に暮らしている超お金持ちを意味する「私」であるということを、何度も噛みしめることによって、やはり何かのおかしさに気が付くかもしれない。

 もし、気が付かないとすれば、もう終わりというしかあるまい。誠に、遺憾であり残念なのだが、これまた、どうしようもないだろう。勿論、それがどうしたである。何も悲観することはない。私はただ淡々と自分の役割を果たすだけだから、こうして訴えるだけである。

(今回からテーマを変えてみた。ただし、内容は前回の続きであるが。前回は少しきつかった。わかりやすく伝えたい気持ちと裏腹に、大事なところを伝えられないもどかしさが残った。目が悪い理由にしたくない。ただ言えるのはこれまでの思考のパラダイムを大転換しない限り、非力な私が似たような「私」と一緒になって公的空間を作ることは難しいと考える。

 そうしない限りは、たとえ「バリア・フリー」云々と言っても、ただ「段差」のない空間(部屋)といった意味でしか理解されないと思うのだ。力のない、いわゆる「弱者」とか「障碍者」に関しても、まだまだ批判的に論及されるべき問題が多々あるのも現実なのだ。おそらく、私は弱者に対して甘くはないし、むしろ厳しい見方をするのではあるまいか。これから、少しずつ、もっと身近な話をしてみたい。)

―ーー記事の引用貼り付け、終わり


(最後に一言)

 やはり、最後の最後で、なお。「私」と「私」の関係であるにもかかわらず、「私」と「公」の関係が、それでも何か存在しているかのような、誤ったメッセージを読者に送っている記事内容となっているくだりが散見される。勿論、私は「私」=「公」=「私」となることを十分に理解した論の展開をしているのだが、それにもかかわらず、もっと踏み込んだ形で、すべてにわたって述べているとはいいがたいように思えるのも事実ではあるまいか。

 私的権力が公的仮面を被って云々とも指摘はしているのだが、国家・政府を、なお私的権力として存在しているとまでは、断言していないように思われる。それは、まだこの時点においては、*私の語る「システム」とその関係それ自体が、*私的権力とその利害関係者集団の集合体であり、*それはどれほど多くのかつ巨大な集合体となろうとも、私的権力の存在以上にはなり得ないことを、私は的確に言及できていなかったことに、最近気が付いた次第だ。

 


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№21私の語る「システム」論から、改めて「市民革命」〈前・後〉の「私的権力」体制に見られる〈連続性〉について、問い直すとき(続)

2023-03-14 | 日記

№21私の語る「システム」論から、改めて「市民革命」〈前・後〉の「私的権力」体制に見られる〈連続性〉について、問い直すとき(続)


*およそ生殺与奪の権力を掌握している者は、黒を白へとひっくり返すのも簡単であるように、私的権力に仮面を被せて公的権力にすり替えるのも容易である。

**私たちは国家・政府なるものは私たち国民の代表であるとの間違った思い込みによって、彼らの仕出かした過ちを批判する際に甘くなるとすれば、それはとんでもないことである。彼らは私的権力であって、公的権力として存在していないのだから、徹底した批判をしない限り、彼らの愚行を反省してやめるどころか、さらに金の成る木としての「システム」の維持・発展とその存続に邁進・猛進するばかりである。

***私たちはその「システム」を担い支持してきたシステム人としての弱さを自覚・自戒すると同時に、それ以上に、「システム」とその主導的利益集団の私的権力の存在を許してはならない。

****そのためにも、私たちは「私」の単なる集合体としての国民と、その私的権力の存在である国家ではなく、その集合体を「公」的集団として位置付けられると同時に、その公的権力として存在する「共同体」の創造を、目指していかなければならない。

*****その際、ここで言う「私」とは、差別と排除の関係を前提とした「システム」を担い支える存在であるのに対して、「公」とは、そうした「システム」を批判・拒否して、差別と排除を許さない仕組みを担い支えようとする存在として、位置づけ理解される。

******その道のりは、相当に困難であるのは容易に想像できるのだが、それを踏まえながら、先ずは私たちが当然のように信じ込んできた従来からの「普遍的価値」や「民主主義」、「公」と「私」、「国家」と「国民」等々の「歴史叙述の神話」の呪縛から自らを解放していく以外にはない、と私はみている。


(最初に一言)

 もし日本国憲法の日本国という国家が単なる私的権力として存在するとすれば、そんな憲法をありがたく守ろう、となんて主張したりはしないはずだ。だが、私たちの多くは?、未だにそれを守ろうとしていることを鑑みるとき、おそらくその日本国家を公的権力として存在している、と位置づけ理解しているからに他ならない。果たして、本当に日本国家を含む近代国家は、公的権力として存在しているのだろうか。それは公的な存在とはまったく異質の次元の異なる、私的権力として存在してきたものではないのか。

 ここで、私のあのモデルで描いた世界の構造を、もう一度思い出してほしい。差別と排除の関係を前提としてつくり出されてきた「システム」とその関係(史)である。その「システム」の主導的利害集団を構成していたのは、いわゆる市民革命の中心的指導者であった。

 彼らは、王族に匹敵するあるいはそれを凌駕する富の所有者である。今日でいうところの国際金融資本とその担い手たちであり、その祖先ともいえる彼らこそ、近代市民革命の「私」としての「市民」たちであった。その意味では、絶対王制と何ら変わらない私的権力体制の継続が今日に至るまで続いている。その歴史は、トマ・ピケティの著作『21世紀の資本』とも重なる、と私はみている。


(最後に一言)

 本論が始まったばかりなのに、もう疲れてしまった。それにしても、疲れることばかりの社会だが、私の人生も、あともう少し。それまでに書き残しておきたいことは、できるだけ書いておきたい。ただ、それだけが私の人生の楽しみとなった。それではおやすみなさい。しっかりと生き切りましょう。たとえ面白くない世の中だとしても。〈必ず〉いいことが、たとえ少しでも、(必ず)巡ってくると信じて。それではおやすみ。

 


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№20私の語る「システム」論から、改めて「市民革命」〈前・後〉の「私的権力」体制に見られる〈連続性〉について、問い直すとき

2023-03-11 | 日記

№20私の語る「システム」論から、改めて「市民革命」〈前・後〉の「私的権力」体制に見られる〈連続性〉について、問い直すとき

*いわゆる「絶対王政」なる〈私的権力〉体制を、いわゆる「市民革命」なるものによって、「近代国民国家」としての「公的権力」体制の誕生としてこれまで描かれてきた「歴史叙述の神話」の壮大なるウソ物語を、私の語る「システム」論から描き直す必要性に改めて気が付いた。これまでの私の議論は、画竜点睛を欠くの感がする論となっていたように思われる。その理由として、これまでの論では、本来ならば、〈「私」と「私」〉の関係に過ぎないものを、いつも〈「私」と「公」〉の関係が成立・存在しているかのように、完全に見誤っていたことが大きく影響しているのである。

**1648年のウェストファリア体制は、これまでの絶対君主である私的権力保持者を中心・主体とした主権国家とする国際的承認・表明であった、と私はみている。そこでは主権国家の担い手は絶対君主である私的権力の保持者であるということであった。それが1789年のフランス革命に代表される市民革命によって、国民を担い手とした革命により、主権国家と国民国家の主人公である国民が公的権力の担い手として存在する、と位置づけ理解されることによって、市民革命の前・後で、大きな断絶が、すなわち「私的権力」体制から「公的権力」体制へと権力構造の転換が、導かれたとの壮大な物語が誕生することになった。

 私たちは、それゆえこうした神話の世界の中でこの21世紀にあっても、それを何ら疑うこともなく信じて生きているのだ。今こそ覚醒すべき時である、と言いたいところだが、覚醒などしないで、これまで同様に、眠っていた方がいいかもしれない。その方がずっと楽なのだから。正直なところ、そんなことをしても、何も変えられないことに、これまで以上に、より一層気が付いてしまうだけだから、さらに苦しくなるばかりだ。

 まあ、そんなことは今までもずっとわかっていたのだから、どうこう言うものでもあるまいが。今回記事はここまでにしておきたい。何か相当に疲れてしまった。こんな時は、それこそ、少し眠った方がいい。(続)

 


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№19私の語る「システム」論から、改めて「民主主義」社会の担い手としての「私」と「公」の存在を問い直すとき

2023-03-10 | 日記

№19私の語る「システム」論から、改めて「民主主義」社会の担い手としての「私」と「公」の存在を問い直すとき


〈前回までの記事において、私が強調していた論点〉

*私たちは、かつての日本国家・政府が仕出かしてしまった「侵略」戦争に対する責任を、「国民」だから、国家・政府と同様に引き受けなければならないと思い込んでいるとしたら、それは大きな誤解ではあるまいか。そもそも国民と言ってもそれは公的存在としてのそれではなく、あくまでも私的存在としての国民であるのだから。と言うのも、国家・政府それ自体が公的存在のそれではなく、単なる私的存在であったからなのだ。私的存在である国家・政府が、公的存在であるかのように、見事に化けていたのだ。

**それゆえ、私たちは私的存在としての個人である「私」と、そうした諸個人の集合体である私的存在としての国家・政府との「立ち位置」を異にしていることを、何よりも議論の初めに、明確にしておくことが重要となる。そこから、私たちは、日本の国家・政府が私たちを巻き込んでしまった戦争に対する損害賠償の支払いを、当該国家・政府に対して正当に請求できると同時に、その前に戦争を引き起こした国家・政府の速やかなる私的空間からの退場を、これまた正当に主張できるのである。また、その「退場」を、私たちの手で実現できたとき、私的空間は初めて、公的空間へと生まれ変わるに違いない。

 それはそうとして、私は一体どこへ(を)漂流しているのかと、自分でもわからなくなってきた。そんな中で記事を書いているのだから、相当に苦しいと言えばそうであるが、今はそれ以上に、自らの論の行方を楽しみながら?見守ってみたいところである。


(最初に一言)

 前回記事では、私の目の不自由さから、便宜上、『ウィキペディア』からのラスウェルの「政治的人間」のくだりを引用・紹介したのだが、それにしても、学生時代に読んだ彼の著作の内容は、私にとっては、今では「歴史叙述の神話」を構成する話としか思われないのだ。当時の自分が、あまりにも素直過ぎたことを、思い知らされる始末である。確か、以前のブログ記事でも、何か似たようなことを書いていたのではないか、と今そんな思いがした次第。
(*なお、〈「私」と私〉は勿論、その意味は違う意味だが、紛らわしいので、〈私=自分〉と、ここではしている。しかし、以下では自分ではなく、私をそのまま使っていることを、ここで断っておきたい。)


 ところで、そのラスウェルの話で注目すべき点を、もう少し引用・紹介しておきたい。それは、彼が次のように考えているところだ。すなわちーーー政治的人間タイプの問題点は権力を追及する行動が 、私的動機に基づいていることにある。民主主義的人間な人格に対して政治的人間タイプは本当の公共的な利益のために権力を行使するとは限らない。民主主義においては権力が人民によって共有されており、多数派の支持によらなければ指導や統治は成り立たない。このような社会の指導者に必要なのは政治的タイプとは反対の民主的人格であり、人間の破壊性を抑制することである。ーーーに示される彼の見方である。

 こうした彼の「民主主義」の位置付け方と理解の仕方は、それこそ後世の読者にとって「(民主主義に関する)歴史叙述の神話」となる傑作であったことは言うまでもなかろう。それにしても、「私的動機」と「本当の公共的な利益のためには」、あるいは「民主主義においては権力が人民によって共有されており」のくだりからも、」私的」と「公的」とは次元が異なるものであり、その「本当の公共的な利益のために」、「民主主義」とそれを担う「人民」が何の疑いもなく、あたかも当然であるかのように結びつけられているのには、驚かざるを得ないのだが、かつての自分は、このような見方を、それこそ「自然な関係」として、当然であるかのように受容していたのである。

 やはり、私にはラスウェルのこうした「民主主義」理解では、社会における巨大な力を持つ「私」によって、無力な多くの「私」の利益が、どれほど簡単に破壊されているのかについて、最初から何も見えてないようにしか思われないのだ。それにしても、「よくもまあ、こんな民主主義論がまかり通っていたんだなあ」、と当時の米国流の民主主義(論)に心酔していた私が、今更「よく言うよなあ」なのだが。

 私の周りには、今日のますますおかしくなっていく米国社会を目の当たりにしながらも、それにもかかわらず、今もなお「民主主義」様様の人々がなんと多いことか。彼らの多くは、決まって言うのだ。米国はダメだが、フランスは違う、と。それならば、「民主主義なるものが、どのようにして現実の民主主義となるのかを、一度でもいいから論及してみろよ」、と私は言いたいのだが。

 これに対しても、彼らはいつも「価値」としての、「理念」としての「民主主義」の話でごまかすだけである。「左翼?」の主張があまりにもくだらなく、かつ面白くなくなったのは、これについてほとんど語れないからだ、と私はみている。何しろ、日本共産党は、「共産主義」を語らずして、「自由民主主義」万歳なのだから、自民党と同じではないのか。否、自民党は、たびたび?リーダーが入れ替わるから、自民党から、「同じにするなよ」との批判の声が上がるかもしれない。


(最後に一言)

 若い頃に学習した内容を、30代以降に再度読み返して、そこからさらに、また以前とは異なる形として捉え直すことが、どれほど難しく、かつ苦しいのか、それを何度も追体験していく中で、やっと、これがそうではないのか、これこそ私の追い求めていたことではなかったか、と思案するばかりである。またまた、前回記事から後退した感のみ残りという具合だが、これまた致し方あるまい。(続)

 


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№18韓国の元徴用工は、本来的には筋論としては、先ずは何よりも、韓国国家・政府に対して、戦争被害者としての損害賠償を請求すべきであるー私の語る「システム」論から、改めて問い直すとき

2023-03-09 | 日記

№18韓国の元徴用工は、本来的には筋論としては、先ずは何よりも、韓国国家・政府に対して、戦争被害者としての損害賠償を請求すべきであるー私の語る「システム」論から、改めて問い直すとき


*私は以前のブログ記事で「嘘」ばかり述べていた。「私」が二人以上集まって「公」となると指摘していたが、「私」がたとえいくら集合しても「私」でしかないということに、この最近になってやっと気が付いた次第。そこには、私の思い込みがあった。米国の政治学者のH・D・ラスウェルの「政治的人間」に関する内容に、見事に「洗脳」され続けてしまったと言える。

 彼に従えば、ーーー政治的人間は私的な動機を公的な目標に転化して、公共の利益の名の下に合理化するーーー云々と述べるのだが、ここには「私」と「公」とが何か異なる次元に位置しているかのような描き方をしている。私はずっとこうした両者の関係をそのまま受け入れてきたのだが、私的な事柄は、結局のところ、たとえ転化して合理化したとしても、私的なそれに留まったままである、と私は捉え直したのだ。

**さらに、上のくだりに関連して言えば、私たちがしばば安倍元首相の政治手法を批判する際に、「彼は国家とその権力を〈私物化〉している」云々との話は、やはり再考すべきではあるまいか。むしろ、私たちは問い直すべきではあるまいか。すなわち、どうして私的権力に過ぎなかったものが、これまでずっと公的な仮面を被って、私たちを支配し続けることができたのか、と。


 **それにしても思うのだが、韓国の元徴用工や従軍慰安婦の人たちは、彼らの戦争被害の訴えを、先ずは彼らの自国国家・政府に対して行うのが筋ではなかろうか。というのも、彼らを救うことも守ることもできなかった国家・政府こそが、批判されるべき対象だろう。それゆえ、仮に日本国家・政府を訴えるにしても、その前に、彼らの立ち位置を明確にしておいた方がいい。彼らの国家・政府とは一線を画した存在であるという立場の表明である。

 ところが、これがなかなか容易ではないというか、できないのだ。それは日本の国民も同様である。米国による原爆投下の被害にあった当時の関係者たちは、原爆投下に関連した放射性物質による被害の救済はもとより、その前に彼らをそのような危険な状態から守れなかった日本国家・政府に対して、損害賠償の支払いを要求すべきであろう。彼らの他にも、米国戦闘・爆撃機からの空襲・空爆によって命や財産を失った人々も、同様に訴えるべきであり、その請求権は、今の国家・政府に対しても有効であるとみるべきではあるまいか。

***それにしても。私はそれこそ小さい頃から公立の学校と私立の学校という呼び方を当たり前のように見聞きしてきたし、その際、官公庁という言葉が、そこに重なっていたこともあって、物心の付いた時には、「私」と「公」とは、次元の異なるものとの理解が空気のように、何も不思議には感じられなかったのだ。誤解のないように、再度ここで付言しておくと、両者は、異なる次元の関係に位置すべきである、と私はみているのだが、それが現実には実際には、そうではなく「私」的な存在がそのまま「公」的存在に化けてきたということを、批判的に再考すべきであるとの論を展開しているのだ。

 私はこれまでの記事において、何度も、私たちは「システム」を担い支える「システム人」として国民の前に存在している云々と論じていたくせに、そのシステム人と国民の、それこそ「私」と「私」の関係を、的確に描くことができないままに済ませてきたのである。もう少しストレートな物言いをすれば、私の頭の中では、「私」と「公」の関係としての理解の方が強かったのだ。と同時に、なお、私は「システム」それ自体を、「私」的な存在として見るのか、それとも、「公」的存在として見るのかについての考察も、おこなわないままであったのだ。

 ところが、やっとその考察を不十分なままに、これまで私の語る「システム」論は云々と論を展開してきたことに気が付いたのだ。それを確認した途端、私の中で「お前はこれまで一体何を書いてきたのか」との叱責する声が聞こえてきた。そこから、私はこれまでの記事内容を、再検討・再考察する必要性を認め、少し前の記事から、それを踏まえた内容を論じているのだが、ある意味では新鮮というかワクワクする思いだが、同時にまた、これまで以上に、重苦しさを感じているというのが、正直な感想である。。


 それでは、今回記事に入るとしよう。最初に確認しておきたいのは、明治維新で誕生した明治国家とその国民は、あくまでも、「システム」を担うその一部としての「日本」と「日本人」であると同時に、国家も国民も、「公」的仮面を被らた私的権力と私人としての存在であるということである。その意味では、最初からずっと私的権力と詩人のままであったのだ。それはいわゆる、市民革命発から何も変わっていないのだ。(続)

 


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