日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

オニクタラムの「国を守る」というのは(続)

2015-09-23 | 社会 政治
今日も、昨日の話の続きです。「国を守る」ことは、関係(史)を守ることを前提として以外に、そもそもできないという話をしました。今日の話の要点は、国を守るというとき、誰から誰を、どこからどこを守るという前に、まずは覇権システムとそこでつくり出される「構造的圧力」とその関係から、私たち自身を守るということを、そしてそれ以外には無いということを考えるのが大事だという話です。「日本」とか「日本人」を守ることはできないということです。

1970年代までのセカイ(このモデルのセカイが現実の「世界」になってきたし、これからもそうなっていく、と私は考えています。ただし、これからというか、1970年代以降は、そのセカイは、{[B]→(×)[C]→×[A]}ですが。)は、{[A]→(×)[B]→×[C]}でしたね。勿論この図式は省略形ですから、詳しい話は拙著か、このブログ記事の前にありますモデルの紹介をぜひ見てください。

AはBに対して有利な位置にあり、BはAからの無理難題の要求に対して従うしかありませんが、Aもそのグループ内の対立がありますから、Bグループのどこかの国を仲間にというか、子分(手下)にしたいと考えていますから、その要求の仕方は計算された巧妙なものとなります。

正確に言いますと、「無理難題の要求」とは、Aグループが同意しない限りは、Bの位置にとどまるように、ということです。ですから、Bが力をつけていくに従い、その「同意」は守られなくなります。こうしてAとBの間に緊張が高まり、さらに衝突そして戦争へと発展していきます。

しかしよく考えますと、BがAに対して力をつけられるのはなぜかという問題が起こります。なぜならBはAに対しては当初は力がなかったからです。その力の源泉としての一つの象徴である軍事力にしても、BはAから買うしかなかったのではありませんか。(個々の下りは、日米経済・貿易摩擦「戦争」にも該当します。誰が日本の自動車産業に力を与えたか。簡単に言いますと、米国は日本が自動車産業で米国のそれを「敗北」に導くことをある時期から考えました。その代わりとして、米国は60年代末から、金融・サービス化に舵を切りました。)

それではそのお金はどうしたのでしょう。どのように工面したのでしょうか。開国以降、日本は明治維新を経て、国力を強化する必要がありました。日本が、というより徳川幕府が組み込まれたのは、先のセカイとその関係でした。そのセカイは、まさに「僕が僕であるために」、「勝ち続けなきゃならない」セカイでした。「日本が日本であるために」----。

日本が攻撃されたらどうするのか、9条があるから大丈夫、いやそんなことは「念仏」だから、やはり抑止力をつけなければ云々の議論は、私からすれば、あなた方はどこに生きているのかを確認できていないのだ、となります。私たちは、あのセカイとその関係(史)の中で生きていますから、すでにいろいろな形の戦争・センソウを継続しています。覇権システムとその関係の中に生きているということは、絶えず構造的圧力の下に置かれ続けているということです。

何度も同じことを言いたくありませんが、この圧力は経済的な意味での構造的暴力以上に、政治的な、社会的。文化的な暴力も含んだ意味で使っています。自由や、民主主義、人権、平和もこうしたセカイの関係の中で創り出されてきました。Aの自由、民主主義、人権、平和とBの自由、民主主義、人権、平和とCの自由、民主主義、人権、平和とが相互に構造的圧力の関係の下に置かれています。Cはいくら安全保障の議論をしても、武器を軍事力を備えても、逆に第9条を世界に訴えたとしても、この構造的圧力の関係からなる世界はそんな営為をあざ笑うだけです。

こんなことはお分かりのはずでしょうが、どうも現実はそうではないのです。自分たちは℃ではないという思い込みというか思い上がりですね。それならBなら、Aならば、議論の展開は違うものになるのでしょうか。この構造的圧力の関係から構成される覇権システムと比較して、Aも、Aグループの覇権国である米国でさえ、BもCとそれほど大差はありません。

私たちは、日本という「空間」に生きているのですが、それを日本を考える、明日の日本を考える「単位」としてはダメなのです。むしろ、その日本や、米国や中国が組み込まれているシステムを、覇権システムを、その構造的圧力の相互作用から構成されるセカイとその関係(史)を、「単位」(思考・志向のよるべき「枠組み」)として、それを基軸として、そこからその下部単位である日本を、日本人を見ていく必要がある、と私は考えてきました。ごめんなさい。毎回同じことの繰り返しですいません。

話がだいぶややこしくなりましたので、先の開国以降の日本に戻ります。簡単に言えば、明治維新により主権国家、国民国家としての日本が、日本人が創造されましたが、その日本と日本人を創ったのは、AとBとCとの関係から成るシステムでした。もっと簡単に言えば、Aのイギリスと、Cの朝鮮と中国(台湾と日本以外のその他のB)との関係の中で創られたのです。

日本は、そのイギリスから国家建設のための青写真を示され、それに従って、日本は、櫻井よしこさんの言うように、国の役割としての、国家の防衛と国民の命と暮らしを守るために、尽力しました。ここで少し考えますと、日本は国の役割を果たすために、どうしてもイギリスの力が必要でした。つまり、イギリスが存在してなかったら、国の役割は果たせなかったことになります。

ちなみに、そのイギリスに力を与えたのは、まさにシステムですね。そのイギリスも当時は大英帝国であると同時に、覇権国でしたが、その大変力のあるイギリスでさえ、イギリス一国ではその力を、つまりイギリスの国家の役割を守れなかったのです。このように、関係の中で、関係の存在を前提として、初めて国の役割云々の話が可能となるのです。

当時の日本はイギリスだけではなく、Cの朝鮮と台湾、中国東北地域の天然資源や食料、人的労働力、商品市場が必要でした。日本と日本人は、こうして日本と日本人の命と暮らしを守るために、どうしてもこの関係(A,B、Cの関係の中のBとCの関係)をまずは守らなければなりませんでした。それゆえ、イギリスからの圧力というか、それこそ「多種多様な」意味での「侵略」に耐え、同時に朝鮮、台湾、中国、その他アジア諸国、諸地域に対して、これまた同様の圧力の行使を展開したのです。

つまり、自国の防衛とか、自存自衛のためと言いながら、このシステムの構造的圧力の関係を擁護しながら、自分たちより弱いところに対しては、「侵略」していったのです。

覇権システムの中で、それこそ大きな侵略を、すなわちA、B、Cという関係それ自体がうみ出す「侵略(圧力)」を受けながら、付言しますと、Aのイギリスをはじめとした先進国の自由や民主主義や人権や平和という圧力を甘受しながら、それに対抗するために、Aのイギリスの防衛力の庇護の下に、近隣のアジア諸国を侵略していったのです。自国を守ることが、同時に弱い地域や弱い人々を犠牲とするような「関係」の下で行われるのですね。

左翼の論者、とくに福島瑞穂さんたちの「侵略」論議はいつもこうした関係の中の、Aの先進国の「侵略」に甘すぎます。中でも、Aの自由や民主主義、人権、平和といった「普遍主義」の担った「侵略(圧力)」にはことの他、甘いのです。その理由は簡単です。そうした普遍主義をもとに憲法や法律がつくられてきましたし、それをもとにして、彼女は弁護士となり社民党の党首となっていましたから、それを批判、否定することは、飯の食い上げとなりますね。
もっとも、彼女は心底、それを疑うことはなかったですから、私などとは異なり、幸せでしょう。

同様に、右翼の櫻井さんの論も、Aのイギリスがその気になれば、いつでも潰せたはずのBの日本の姿を直視していません。いくら防衛しても、関係の中の日本ですから、その関係の中で優位な地点にいるイギリスには従わざるを得ませんから、その都度イギリスの要求に合わせなければなりません。イギリスはシステムの維持、発展を最優先として、イギリスとその同盟国の防衛を図りますから、また覇権国としては、図らざるを得ませんから、日本という国を守ることが、その最優先課題に奉仕するということになります。それを、櫻井さんは問いません。

今のセカイは、{[B]→(×)[C]→×[A]}の構造的圧力の関係のセカイですが、明治維新以降の1970年代までのセカイと異なるものではありません。イギリスが米国に代わったのです。私が読者にお伝えしたいのは、安保法制の集団的自衛権の発動は、結果的には、このセカイとその関係を守ることになるのです。つまり、Bの先頭にいる中国が、Aの先頭に位置しているこれまでの覇権国の米国との覇権連合によって、このセカイの維持と発展に、奉仕するということなのです。(それを具体的に知るためには、その背後にある経済的利権の動きを知る必要があります。この作業において、いわゆる「陰謀論」の資料は大変参考になります。)

もしそうであれば、中国を「仮想敵国」とした一連の議論の意味は何だったのでしょうか。憲法を守っても、第九条を守っても、あるいは集団的自衛権の行使を容認しても、この図式のセカイの現実化は阻止できません。

私たちは、このセカイの現実化の中で、世界各地の紛争を目の当たりとしています。多くの難民や戦争犠牲者が絶えません。その根源は、このシステムです。その関係の展開です。そうしたシステムの構造的圧力に苦しめられているのは、B、C、Aのいずれのグループ内に暮らす人たちです。

それぞれその苦しさの形や内容は異なりますが、それぞれがこの関係の中で結ばれています。こうした不幸の仕組みを、少しでも低減できる、緩和できる≪じゆう≫、≪みんしゅしゅぎ≫、≪じんけん≫、≪へいわ≫を考えていきたいものです。それは決してこれまでのような自由、民主主義、人権、平和ではないことは言うまでもありません。

私はそのために、これまで、経済発展と民主主義の発展の関係(「衣食足りて(足りず)礼節を知る(知らず)」の営為の実現の関係)をもとにして、このシステムの全体像とその形成と発展の歩みに関して考えてきたのです。今日はこの辺でやめておきます。お付き合いありがとうございました。











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