監督・脚本:ピエール・グラニエ・ドフェール
出演;アラン・ドロン、シモーヌ・シニョレ
原作がジョルジュ・シムノンで
ともかくラストが悲しいのと、体調のせいもあって、見たあとなんだか落ち込んでしまい、BS深夜の「春にして君を想う」の録画を失敗してしまった。
アラン・ドロンもこうしてみると、自分の役をきっちりと演じる俳優なんだなあ、と思った。
しかしどうしても視線はシモーヌ・シニョレに行く。これは農家の主婦だし、どっしり感のある役。ちょっと見できれいという役でもないし。
でも漂ってきます。彼女のもつ危険な香り。アラン・ドロンだって彼女がいなければ、危険を感じたときにとっととずらかれただろうな。
「嘆きのテレーズ」(1952)
「肉体の冠」(1952)
「悪魔のような女」(1955)
このあたりのほっそりしていかにも背徳的なものも身体のうちに潜めた美女である彼女が、年齢を重ねて、どっしりして生活感と強さとそれなのにどこかインモラルで危険な香りが失せないというのは奇跡的。
イヴ・モンタン夫人なんですが、やはりこのご夫婦の場合、イヴ・モンタンがシモーヌ・シニョレの夫であるという言いかたをしたほうが、はまるでしょうね。
出演;アラン・ドロン、シモーヌ・シニョレ
原作がジョルジュ・シムノンで
ともかくラストが悲しいのと、体調のせいもあって、見たあとなんだか落ち込んでしまい、BS深夜の「春にして君を想う」の録画を失敗してしまった。
アラン・ドロンもこうしてみると、自分の役をきっちりと演じる俳優なんだなあ、と思った。
しかしどうしても視線はシモーヌ・シニョレに行く。これは農家の主婦だし、どっしり感のある役。ちょっと見できれいという役でもないし。
でも漂ってきます。彼女のもつ危険な香り。アラン・ドロンだって彼女がいなければ、危険を感じたときにとっととずらかれただろうな。
「嘆きのテレーズ」(1952)
「肉体の冠」(1952)
「悪魔のような女」(1955)
このあたりのほっそりしていかにも背徳的なものも身体のうちに潜めた美女である彼女が、年齢を重ねて、どっしりして生活感と強さとそれなのにどこかインモラルで危険な香りが失せないというのは奇跡的。
イヴ・モンタン夫人なんですが、やはりこのご夫婦の場合、イヴ・モンタンがシモーヌ・シニョレの夫であるという言いかたをしたほうが、はまるでしょうね。